09,オトコはオオカミなのよ!!
大河普正はパン職人だ。
パンと言えばフランス、せめてヨーロッパ圏だろうに、「パン修行と言えばとりあえず外国だ!」とアメリカに飛び出した青年時代。
それから一〇年余りの修行の果て。
なんだかんだでそれなりのパン職人に成長し、現地で嫁も見つけた。
そして嫁と嫁の連れ子と共に日本に戻り、そこから更に一〇年近くが過ぎた今日この日。
普正は衝撃に打ち震えていた。
「か、髪が……緑色だ……まるで草原のように……!」
「うス。育て親のススメで」
普正が営む小さなパン屋、いわゆる町のパン屋さん的な店内に……緑色の頭をした男子高校生が。
妙にガタイが良いし、少々厳つい雰囲気が染み着いている……。
普正は直感した。
不良少年なんじゃあないかな、って。
……まぁ、その辺りは別に良いだろう。
学生時代は「したい」と思った事は法に触れない範囲で何でもするべきだ。
やらなくて後悔しても取り返しはつかない。やっての後悔ならば諦めがつく。
ちょっとやんちゃぶってみるのも、学生時代の試みとして悪くはないと肯定する。
だが、問題は――その少年と、愛娘がッ!!
非常に仲良さげに談笑しながら並んでやって来たと言う事だ!!
「……君、名前は……?」
「うス。更頭龍助ッス。こんばんわッス」
「こんばんわ。……そうか……僕はリヴィちゃんの父だ」
「パン職人さんなんスね。すげぇ。何から何まで全部うまそう」
「ああ、腕には自信があるよ」
「マジッスか」
せっかくだぜ、今日の晩飯は奮発して何か買っちゃおうかな~……なんてつぶやきながら、龍助と名乗った緑の少年は視線だけを漂わせる。
龍助の瞳は、非常にキラキラしている。
特に甘味系のパンコーナーを重点的に観察している所を見るに、スイーツがたまらなく好きなのだろう。
その様子からして、本当はパンの物色に全身を傾けたいようだが。
まだ普正との会話の途中と言う事で、自重しているらしい。
龍助は体の正面を普正に向けて、よだれが零れそうな顔で視線だけを動かしている。
「……そんなにもパンを見たいのなら、好きにしてくれて構わないが」
「うッス! んじゃあ、失礼して!」
快活に返事をした龍助は「ヒャッハー!」と言う擬音がついて回りそうな勢いで店内を見て回る。
すると――
「龍助さんは確か甘いものが好きでしたよね? でしたら私のオススメはアイスケースの方に入っているアイスパンです」
「………………!」
愛娘――リヴィエールの発言に、普正はピクッと小さく反応。
(リヴィちゃんが……当然のように好みを把握している……!?)
普正の好物が「ママの愛情たっぷりシーザーサラダ」だと覚えてくれるまで数年かかったのに!
「アイスパンってそう言えば、表の立て看板にも書かれてたよな。あれか? 名前からしてアイスクリームが入っていたりすんのか?」
「はい。それはもうたっぷりと」
「へぇ~、やっぱりか……昨日、テメェを送りに来た時はもう店が閉まっちまってたから、看板だけ見て気にはなっていたんだよなー」
普正、今度は龍助の発言にガバッと大きく反応。
(昨日も、リヴィちゃんを送って……!? し、しかも、閉店時間後に……!?)
普正の店終いは二一時だ。
そんなミッドナイトに、リヴィエールをここまで送りに来たと!?
「よぉし、抹茶のアイスパンに決めたぜ」
龍助は上機嫌に鼻唄を歌いながら、レジへと向かう。
普正が「ゴゴゴゴ……」と言う擬音を背負っている事にはまったく気付いていない。
「うッス。お会計をお願いします」
「……娘の『お友達』からお金を取るのはしのびないよ。娘を送ってくれた御礼の気持ちもある。なので、『お友達』の父親として、気前好くプレゼントするさ」
普正は全力で「お友達」を強調した。しかも二回。
対して龍助は――それを気にかける様子もなく、
「え!? マジッスか!? 本当に良いんスか!?」
望外の喜び! と言わんばかりに笑顔爆発。
(し、歯牙にもかけられていないのか……父であるこの僕が!?)
龍助の反応に、普正は困惑を隠せない。
普通、恋人の父親に「貴様は娘の友達だ、それ以上の関係は認めない」と言われたら、もっとするべき反応があるはずだ!
だのに龍助は、けろっとしている……まるで、幼子のように、アイスパンに夢中だ!
(……あれ? もしかして、リヴィちゃんとはそんな関係じゃあない……?)
……いいや、そんなはずはない。
普正はリヴィエールのパパだ。娘が友達をろくに作ろうともしない内向的な性分なのはよく知っている(小学生の頃、何度か学校まで尾行してクラスでの様子を伺っていたから)。
そんなシャイで内気な愛娘が、自宅にまで招くほど心を許す異性――彼氏でないはずがない!!
「更頭くん……いや、もう龍助くんと呼んでしまおう」
「うス」
他人行儀は無しだ。ここからは殴り合うくらいの覚悟で、目の前の少年――いや、男と向き合う。
普正が龍助に向けるのは、全力の敵意を込めた睨み。
伊達に半生をパンに捧げてはいない。パンに囲まれたこの領域において、パン職人である普正が放つ威圧感は常人の数十倍はくだらない。
だが……、
(ッ……なんだ……この男……!)
まるで、意に介されていないッ!
龍助はニコニコ、それはもうニッコニコ!
さながら「餌をくれた人間に全力で媚びを売る野良犬」を彷彿とさせる好意全開の笑顔ッ!!
放っておいたら「お義父さん、肩でも揉みましょうか?」だなんて言い出しそうな悍ましい気配すら感じるッ!!
「そうだ、親父さん。(パンの礼に)肩でも揉みましょうか?」
言ったッ!!
「け、結構だ……!」
「そッスか? 俺、上手な方らしいんスけど」
バキッ、ゴキッ、と龍助が指を鳴らす。
肩揉み前の挙動とは思えない、湿った鈍い音である。
これから暴走族の一団と殴り合いでも始めるつもりか? と問いたくなる音だった。
(……、……! 成程……肩揉み中の事故を装って僕を始末するつもりか……!)
狡猾な男子高校生もいたものだ……! と普正は戦慄に汗を流す。
だが……これは確証だ!
普正を――自分とリヴィエールとの間にある障害の排除を目論むと言う事は……やはり、そう言う関係!
先ほどの「お友達」強調、事実上の「娘はやらん」発言に対してのすました応対……表には出していないだけで、効いてはいたのだろう。
(生半可な否定では退くつもりはない……か)
それなりの覚悟は決めた交際である……と。
そう簡単に認めてやるつもりはないが……男として、その気概だけは正当に評価するべきだろう。
「……君とは、長い戦いになりそうだね……!」
「?」
普正が差し出した手。
龍助は「何故にこのタイミング?」と軽く首を傾げつつも、条件反射のように握手に応じたのだった。
◆
「……ねぇ、リヴィちゃん」
アイスパンを握りしめた龍助が上機嫌に帰っていくのを見送りながら。
店の前で、普正は傍らの愛娘にある話をしようと口を開いた。
「なんですか、馴れ馴れしい」
「パパだからね!? そりゃあ馴れ馴れしいのが道理だよね!?」
「……………………」
「肯定してぇー!?」
相変わらずの塩対応。
リヴィエールと普正の関係性は、こんなものである。
これでも、一〇年ほど前よりはかなり進展はしているのだ。呼び方は「そこの人」から「父」になったし、弁当のサンドイッチも毎日完食してくれているし。面と向かってはシャイなハート的なアレで表面的に塩味キツめでも、内面的には打ち解けている……はず。
「ぁ、あのねリヴィちゃん……『男はみんな、狼だ』と言う一節は知っているかい?」
「ええ、はい。漫画などでよく見る表現なので。……それが何か?」
実際、狼は一度つがいを組んだ伴侶と死ぬまで寄り添うらしいので、世間一般で言う「男は女を漁るもの」と言うニュアンスでの「男は狼」は的外れらしいが。
この言葉とニュアンスは、もう訂正の仕様が無いほどに世間に浸透してしまっている。まぁ、「狡猾な肉食獣の例え」程度に納得するほか無いだろう。
「特に【送り狼】には気を……」
「ほう、意外ですね」
「ん? 何がだい?」
「まさか、父の口から妖怪の話が出るとは」
「……え?」
何の話? と普正は言いかけたが、ストップ。
(リヴィちゃんが……すごく嬉しそうな顔をしている……!?)
初めて見た、愛娘のナチュラル・スマイル……!
どうやら「送り狼」と言う単語を聞いた途端に、これまでの会話の流れをガン無視してしまう何らかのスイッチが入ったらしい。
何の話だか意味不明だが……ここは何より優先して、合わせるしかない!
「そ、そう。妖怪、だね?」
「……その様子、あまり、よくは知らない……ですね?」
「ギクゥン!?」
よく知らないどころか、何の話かすら理解していない。
秒で見抜かれてしまった。我が娘ながら鋭い洞察力だ。
「……やれやれ、成程。大体の意図は読めました。私との話題作りに、妖怪知識を半端に齧ったと言う所ですか?」
まったく……とリヴィエールは腰に手を当てて溜息。
「えぇと……うん、まぁ」
別にそんな事はしていないのだが、基本的に愛娘の言う事は否定できない親バカである。
(リヴィちゃんが妖怪好きなのは知っていたけれど……普通の話題を振った時と反応が違い過ぎてビックリだな……)
ある台風の日から「私たちを助けてくれたのは河童と言う妖怪らしいです。フィルタリング付きのネット環境では資料収集に限界があるので、図書館に連れて行ってください」とか言い出し始めて……誕生日やクリスマス、何か欲しいものを聞けば妖怪関連のグッズを挙げるようになった。
もっと女の子っぽいものに興味を示して欲しいなぁ……と言う感想はあったが。
それを言うと絶対に嫌われるので、普正は妖怪について下手に触らないようにしてきた。
「……そうだ。じゃあ、リヴィちゃん。パパに少し、説明をしてくれないかい?」
「………………ええ、まぁ……そうですね。やぶさかではありません」
「!!」
基本的に物で釣らないとパパの要望は聞いてくれない、ふてぶてしくも愛らしい愛娘が!
こんなにもあっさりと肯定を返してくるとは!!
「それでは……【送り狼】の話を始めましょう」
◆
「今、どこから出したの? そのスケッチブック」
「どうでも良い話は後にしてください」
と言う訳で、リヴィ子スケブがめくられる。
まず描かれていたのは、茂みの中から様子を伺う狼の絵。
ほど良くデフォルメが効いており、可愛らしい。
(リヴィちゃん、ほんとお絵描き上手だなぁ……)
「何だか顔がキモいんですが……まぁ、ともかく。【送り狼】または【送り犬】とは、山中に現れる妖怪の一種です」
え、妖怪の名前なの? と普正は少し驚く。
彼としては送り狼=「善意を装い『夜道は危ないから家まで送るよ』だとか言って女性に近付き、隙を見た途端に飢えた狼が如く襲い掛かり手籠めにしてしまう不届きクソ外道」だ。
妖怪の名前だったなんて、初耳である。
「元は、実在していたニホンオオカミの『縄張りに入った人間を尾行して観察する習性』から創作された怪異とされていますね」
ぱらり、とスケブがめくられる。小さな提灯を頼りに歩く百姓風の男性、その背後には、闇に浮かぶ黄色い瞳が二つ……おそらくは、狼のぎらりと光る眼だ。
「送り狼は夜の山道に入った人間を付け回し……転倒するなどの隙を見せた途端に襲いかかり捕食してしまう、恐ろしい山の化生です」
「おぉう……それは……」
恐い話だ、と思うのと同時に、納得。
夜道で獲物を尾行し、獲物が隙を見せた途端に襲い掛かってくる……故に、先ほど挙げた不届きクソ外道を「送り狼」と呼ぶのだろう。実にピッタリだ。
「しかして、害性のみの妖怪ではありません。と言うより、大抵の妖怪は御霊信仰の考えが下地にあるので、害益一体です」
「ごりょうしんこう……?」
「元は、『悪霊が人をたたると信じ、悪霊を御霊――つまりは神聖な存在だと崇め奉って機嫌を取る事で、たたりや害を減らす事ができる、場合によっては恩恵や加護を授かる事もあるだろう』と言う考え方です」
日本古来からあるもので、妖怪文化にもそれが色濃く残っている逸話が多くみられる。
「全然、知らなかった……リヴィちゃん、物知りだったんだね……」
「まぁ、それなりに」
妖怪に関わる知識について褒められるのが嬉しいらしい。愛娘の嬉し顔に普正はもう今死んでも成仏できる心地だけれどもっと堪能したいと言う意地で、不整脈を起こしている心臓を抑える。
「話を戻します。先に言った通り、送り狼は恐ろしいだけではありません。正しい手順を踏めば……なんと、守護神のような存在になってくれるんです」
「守護神って……手厚く守ってくれるようになる、って事かい?」
「はい」
こくりと頷いて、リヴィエールがスケブをめくる。
すると、何やら狼と熊がガチンコバトルを繰り広げる迫力の一枚絵が。
狼の背後には腰を抜かした人間がおり……構図的に、熊の脅威から、狼が人間を守っているように見える。
「送り狼に追跡されつつも隙を見せずに無事、山道を抜けられたならば。山道に振り返って『お見送り、ありがとうございます』と謝意を伝え、何か一品、お供えものをするんです。すると送り狼はその人間を獲物として狙う事はなくなり、むしろ、その人間がまた山道を通る時、別の山化生や害獣が出てきて人間に害を加えようとしたら守り助けてくれるようになるんです」
人間は基本的に餌でしかないが、もしも誠意と供物を用意し崇め奉るのであれば、守ってやらんでもない。愛い奴め。
と言ったノリか。
人間を脅かすその禍々しい爪牙が、ひるがえって人間を守護する聖なる加護と化す訳だ。
「ふむ……」
御霊信仰、送り狼……本来は害であり忌避するべきものを優遇する事で、益とする。
(つまり……僕が龍助くんを上手く手懐けてしまえば……?)
愛娘を掠めとるクソッたれから、愛娘に変な虫が寄り付かないよう見張る番犬にする事も可能……?
ああ、そうだ。
あんな厳つい少年が脇を固めてくれれば、不埒な男どもは近寄れまい。
そして自分への義理で縛れば、彼自身も娘に手は出せない。
よし、その方向で行こう。と普正は手で槌を打つ。
「リヴィちゃん。明日はオヤツとして抹茶チョコデニッシュを持たせるから、龍助くんにも分けてあげると良い」
「え? ぁ、はい。まぁ、構いませんが……?」




