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01,河童=アクアドラゴン!!


 旧校舎の裏庭。放置された枝葉の天井が、茜の光を遮っている。

 薄暗く人気ひとけの無いその場所で、若い男女が二人きり。

 さて、そこで始まる会話とは、どんなものがあるだろう?


 甘酸っぱい青春の予感がビンビンだ。


 他の誰かには聞かれたくない事。

 恋愛相談か? 愛の告白か?

 トキメキが止まらない的なアレなのか?

 はたまた数段すっ飛ばして……。

 若さ故の過ち。大人になってはその傷を撫ぜて、追憶に耽るのもまたノスタルジィ。


 ……しかし、何事にも例外と言うものはあるらしく。


 片や、全体的にやたら大きな男子高校生。大柄な体格と若草のような緑色に染め上げた髪が特徴的。


 片や、背は低いものの、大和撫子を鼻で笑うような胸部装甲を持つ女子高生。天然の金髪に眼鏡の奥の碧眼からして外国人。


 男子の目は半死半生。じとっとした呆れ混じりの視線で女子を見下ろす。

 女子の目はほんのりと狂気。獲物を食い殺さんとする野獣めいた眼光で男子を見上げている。


 女子はパンッと手を打って、楽し気に開口。


「それでは――【河童カッパ】の話を始めましょう」


 ……どうしてこうなった?


 男子は肩をすくめて溜息を零しつつ、少し記憶を遡る。



   ◆



 更頭さらかぶり龍助リュースケ、一五歳。高校一年生。

 通り名は、【河童カッパ】。あだ名ではなく通り名である。誤表記ではない。


 燥祓かわはら高校の新入生ヤンキー、河童――それが龍助なのだ。


 通り名の所以は、大柄で筋肉質な体と特徴的な緑髪。

 屈強な力持ちで緑色とくれば河童でしょ、と。安直だが真理に近い。


「……今日こそはラブレターか何かじゃあねぇかと、ちょっぴり期待したんだけどなぁ」


 放課後、龍助はトボトボとした足取りで旧校舎裏へと向かっていた。

 その手には一通の便せん。可愛らしい薄桃色からみなぎる女子力。

 そこには荒々しい文字で時候の挨拶が記され、「最近おまえ調子に乗っていやがるな。ブッ潰してやるから放課後になったら旧校舎裏に来やがれ」的な内容に続いている。


「…………………………」


 龍助が「実は何か仕掛けがあったりしねぇかな」と未練がましく便せんを太陽に透かして見ても、文面は変わらない。


 ……ありていに言って、果たし状である。


 喧嘩しようぜ、と言うお誘い。


(いや、まぁそろそろわかってたよ……俺はそんなもん貰えるようなモテ男じゃあねぇって事くらいさ……)


 龍助が燥祓高校に入学して二週間。

 入学初日にちょっとした出来事があり、それから毎日この調子だ。


 朝もしくは放課後、下駄箱を開ければそこには可愛らしい手紙。

 龍助は毎度、ちょっとした期待をしては内容を確認して「知ってたー」と死んだ目で天井を仰ぐのが日課になりつつあった。


「にしても、この学校のヤンキーどもの間じゃあ可愛い便せんが流行ってんのか……?」


 趣味は良いけど思わせぶりだぜ……と龍助は辟易の溜息と共に、果たし状を丁寧にたたんでポケットに突っ込んだ。


「……ん?」


 旧校舎敷地内に入ると、目的地である裏手の方から声が。

 話し声と言う感じではない。怒鳴り声だ……それも一方的な。


(何だ……?)


 もしや別の果たし状案件とブッキングして、場所取りの前哨戦でも始まっているのだろうか。

 ヤンキー率が標準よりやや高めなこの燥祓高校カワコーならば有り得ない話ではない。


 龍助がこっそり覗き込んでみると、


「同じ事をよぉ~! 何べんも言わせてくれてんじゃあねぇぞ!」


 まず目に入ったのは、顔中に青筋を浮かべて怒鳴るソフトモヒカンヘアの男子。

 制服の襟に装飾のラインが三本入っているので、三年生。ソフトモヒカンの先輩。


 ソフトモヒカン先輩が怒鳴っている相手は……。


(あの金綺羅頭は……)


 ウェーブのかかった金色の長髪。染髪ではない天然物の色合いだ。加えて、かなりの低身長の細見。セーラー服の後ろ襟の装飾ラインは一本なので一年生だ。

 一年生で小柄でふわっとした天然金髪……龍助の知る限り、そんな奴は一人しかいない。後ろ姿でも特定できる。


(同じクラスの、リヴィエール……大河たいがだっけか)


 リヴィエール・大河たいが


 ここからでは見えないが、眼鏡の奥で宝石のように光る碧眼もかなり特徴的な女子だ。見た目はガッチガチの外国系だが、名前から察するに外国の血がパワフル過ぎるハーフ、もしくは片親が日本人と再婚したのだろう。

 下手したらランドセルとマリアージュできそうなほどに小柄なくせに、大和美人の奥ゆかしさなど当然知らぬ(ドント・ノウ)と言いた気な圧倒的発育も、思春期男子リュースケの記憶に強く残っている要因のひとつ。


(何であいつがこんな、いかにも『喧嘩にお使いください』って感じの所にいんだ……?)


 取り壊し費用面の都合で残されているだけの旧校舎(本来は全域立ち入り禁止)。

 更にその裏手……人の気が無いとか言う以前にあっちゃいけない場所だ。

 放置された木々の枝葉が天井を作り、その薄暗さと葉の騒めきが醸し出す雰囲気はホラー映画のワンシーンを撮れそうなほど。


 こんな場所では告白にも普通の内緒話にもミスマッチ。

 用途としては怪談合戦か、血で血を洗う殴り合いくらいにしか使えないだろう。

 リヴィエールと言う女子は、間違ってもそんな柄ではないはずだ。


 龍助は彼女と同じクラスと言うだけで、まともに会話をした事は無い。

 だが、リヴィエールはいつも教室の片隅で静かに独り、本を読み耽っているような大人しい子だと言う事は知っている。


(わかんねぇが、とりあえず止めた方が良いよな)


 柄の悪い先輩がクラスメイトの女子に怒鳴り散らしている。この状況を放置するなんて……。


「良いかァ!? もういっぺんだけ言うぞ! オレはなぁ、オカルトとかホラーとか苦手だから七不思議だの怪談だのは何にも知らねぇんだよぉ! もうやめてくんない!? そう言うの想像するだけでも嫌なタイプのヤンキーなんだよこっちはよぉ!! ここにいるだけでも結構な勇気を振り絞ってんだぞゴルァ!! 勘弁しろつってんだよぉ!」


 ……気のせいだろうか。

 ソフトモヒカン先輩、涙目でヤケクソ気味に何か許しを乞うているように見える。


「……そこを何とか」


 リヴィエールは静かな声で言うと、ぺこりと頭を下げた。

 対するソフトモヒカン先輩は「あぁぁ~~~もぉぉぉぉぉおおおおお~~~~~!!」と頭を掻きむしり始めた。


(……よくわかんねぇが、とりあえず止めよう)


 助ける対象に変動は起きたが、するべき事は変わらないな。

 龍助は頷いて、前へ出る。


「あー……どーもー」

「?」

「おお!」


 小首を傾げながら振り返るリヴィエールと、「助かった!」と表情に出ているソフトモヒカン先輩。


「よぉし、よく来たなぁ更頭さらかぶり! おら一年女子! オレはやる事があるんだよ! ちょっと退け!」

「……はぁ……」


 渋々、と言った様子でリヴィエールが横に退いた。


 龍助としては二人が一体なにを揉めていたのか少し気になるが……。

 やぶから蛇が出てきそうな気配を感じたので、スルーして本題を進める事にする。


「先輩さん。わざわざ一筆したためてもらったところ悪いんスけど……喧嘩とかやめません? 怪我したら痛いだけッスよ?」


 龍助は「愛想良く笑って、なるだけ穏便に済ませよう」とスマイル。

 まるで人懐っこい大型犬のようだな、と評された事もある自慢の笑顔だ。


「あぁん!? なに一般生徒パンピーみてぇな寝言を吐いてやがる!」


 しかし、残念ながらソフトモヒカン先輩には不発。


「……できれば俺だって、パンピー側でありたいんスけど……」

「つくづく何を言ってやがる。そんなふざけた雑草頭で――」

「あ? この頭はふざけてねぇよ。言葉は選べやブッ殺すぞ」

「急にキレた!?」


 龍助が髪を染めたのは、ヤンキー的な反骨精神やファッション精神ではない。

 育て親に「高校に通うのなら、髪くらい染めとかないとナめられるわよ?」と助言を受けたためだ。

 緑色なのは「思うに、時代の流行はエコ……つまりクリーン&グリーン! これね!」と言う謎のひと推しもあったから。


 つまりこのグリーンヘアは、龍助がこの世で最も敬愛する御仁のイチオシ!

 ディスられれば、基本は温厚な龍助でも額に青筋が浮かぶ!


「へ、へへ……急な変貌でちょいとビビったが、良い面になったじゃあねぇか……ああ、らしいぜ。それでこそ入学初日に番長を張り倒しやがった狂犬野郎!」

「……………………」


 ――龍助は、入学早々にある伝説を打ち立てた。と言うか、打ち立ててしまった。

 燥祓高校カワコーの番長に、張り手から始まる新入生挨拶をかまして一発で撃沈したのだ。

 入学早々下克上、乱世上等の狂犬野郎が現れた……とヤンキー共は大盛り上がり。


「……ったく。我ながら、どうしてこんな事になってんだかな……」


 ……実際のところはと言うと。

 龍助には下克上だとか、カワコーをヤンキー戦国時代に突入させてやろうだなんて意図は無かった。

 自分と同じ新入生に絡んでいるヤンキー先輩を見つけて、穏便に解決しようと間に割って入ったものの失敗し、殴る蹴るの喧嘩を嫌って張り手を行使しただけである。


 そんな実情などお構いなしに龍助の名は一気に急上昇。新入生ヤンキー【河童】の通り名を付けられた。

 いわゆる超新星である。


 おかげさまで「一年が調子に乗るんじゃあねぇ!」と憤る先輩方から、毎日こうして果たし状をいただいている訳だ。


「さぁ、やんぞ一年坊主! 覚悟しやがれ!」


 ソフトモヒカン先輩が拳を構えて、迷わず龍助へと突進!


「……そんなに喧嘩が楽しいかよ。ワケわかんねぇ」


 短く細く溜息を吐き、龍助も構えた。

 拳――ではなく。掌を広げて、振りかぶる。


「俺の張り手にキスしろやオルァ!!」

「ぐあッはぁ!?」


 カウンターの要領で、龍助の強烈な張り手がソフトモヒカンの顎を直撃!


「か、ぁ、河童……強ぇ、え……げふぅ」


 ソフトモヒカン先輩は拳を振るい切る前に意識を刈り取られ、その場に倒れた。

 一発KOである。拳ではなく張り手だったおかげで、ソフトモヒカン先輩に大した怪我は無い。


「……ケッ」


 倒れ伏したソフトモヒカン先輩を見下ろす龍助の表情は――圧倒的勝者らしくもなく、実に不満気。


 そもそも喧嘩が好きではない……のも要因のひとつ。

 龍助が曇り顔の理由は、他にある。


「……誰が河童だよ、誰が」


 実は龍助――河童と言う通り名が、不服。


 通り名と言うのは良い。

 ぶっちゃけ、中学時代はちょっぴり憧れてもいた。

 だって、カッチョ良い。

 強い奴だと周囲に認められ、畏れられているの証左。つまり称号。


 喧嘩は嫌いな方だが、漫画やアニメのヒーローは好きだ。リアルとフィクションは別腹で当然。

 称号がつくと言うのはヒーローっぽくて、実に良い。そして好い。日常に食い込んだ非日常みがある。ワクワクするさ、思春期だもの。


 ……せっかくのそれが、河童て。


「河童ってあれだろぉ~……? 緑色のぬるっとしたサルみたいなバケモン。そんなの、全然カッチョ良くねぇと思うんだよなぁー……」


 河童にゃあ悪ぃけどよぉ、良いイメージが無いぜ……ハァァ……と龍助が溜息を吐いた、その時だった。


「聞き捨てなりませんね」


 静かだが、芯があって聞き取り易い。

 そんな、耳に親切な声が聞こえた。


「あん?」


 龍助が振り返ってみると、そこにいたのは金髪碧眼小柄眼鏡のクラスメイト、リヴィエール。

 すっかり存在を忘れていた。


(こいつ……こんな普通に喋れたのか。そう言えばさっき先輩にも普通に喋ってたな)


 かなり失礼な心の声だが、龍助がこう驚くのも無理は無い。


 リヴィエールはいつも、教室の隅で厳つい古書を読み耽っている。

 時折、唐突に「ふふっ」と笑ったり、ブツブツと独り言を言っている事もある……いわゆる不思議ちゃん。


 龍助は彼女と話した事はまだ無いし、彼女が誰かと話しているのを聞いた事も無い。

 HRでの自己紹介だって、リヴィエールは素っ気も味気も無く、ぼそっと名前を言っただけで終了だった。


 そんなリヴィエールが、先ほどのしっかりとした声の主?

 信じ難い……とまでは思わないが、強めに意外ではある。


「今、あなたは河童を馬鹿にしましたね?」

「あぁーと……いや、馬鹿にしたっつぅか……確かによろしくはない発言だったかもだが……」


 龍助は確かに「俺個人の感性としちゃあ、決してカッチョ良いとは思えねぇ生き物だ」と河童へのマイナス評価を口にした。

 しかし、悪意を込めたつもりは無かった。

 シンプルな感想……所感を言語化しただけ。

 曇天の空を見上げて「雨が降りそうで、嫌な天気だぜ……」とつぶやくような感覚。

 誰も、曇り空を批難するつもりで「天気が悪い」とは言わないだろう。そう言う感覚だ。

 なので「馬鹿にしただろう」と指摘されても、素直には頷けないものがある。


「まったく……この旧校舎、いかにも『出そう』な雰囲気だからワクワクして探索していたのに……先輩は何の情報も持っていないし、クラスメイトはこんなんだし……気分が台無しです」


 リヴィエールは怪訝そうな表情で溜息をひとつ零すと、微塵の躊躇いも無く龍助へ接近。


 大柄で、しかもつい先ほど先輩を張り倒した龍助に対して、僅かな恐れも無い足取りだ。

 逆に龍助の方が後ずさりそうになる気迫すらある。


 リヴィエールは龍助の眼前で立ち止まると、腰に手を当てて仁王立ち。

 まるで聞き分けの無い子供に説教をするような姿勢だ。


 龍助が大柄なのと、リヴィエールが小柄な相乗効果。

 碧い瞳が、上目遣いでじいっと見つめてくる。


「……な、何だよ……? もしかして、怒ってんのか?」


 リヴィエールの不興を買うような行為……龍助は特に身に覚えが無い。

 先に言った通り、龍助は彼女とクラスメイトではあるが、ほぼ初対面に等しい。


 つまり、このタイミングでリヴィエールが不快そうな態度を見せている理由は……先の、河童への発言か?


 河童に対する負の発言が、どうしてリヴィエールの不興を買ってしまったのか。

 龍助にはさっぱりだが……そこをしっかり確認して、謝罪すべきであればきちんと謝ろうと思い、訊いた。


ノッ


 対するリヴィエールの返答は、キレの良い否定だった。


「私は悲しんでいるのです」

「はぁ……?」

「河童文化を発展させ世界に発信したこの国の男子高校生が……本当の河童を知らない。その悲惨なこの国の現状いまが……どうしようもなく私を悲しませているんですよ」

「……………………?」

「生粋の日本人だのに……河童と言う存在を世界に輩出した誇りは、無いんですか?」


 ――いきなり滔々と何を言っているんだ、この外国人。


 龍助はそれ以外の感想が見当たらない。思わずヘンテコなものを見る目になってしまう。


「あー……すまんが……無ぇな。ンなもん。そもそも河童の事とか、そんなに知らねぇからよ」


 詳しく知らないものを誇るなんて無理だ。


 龍助は不良気味だが、知識を付ける事を嫌ってはいない。

 誰かの話を聞く、モノを教えてもらうと言うのは、むしろ好きな部類だ。

 だから、不良気味のくせにどれだけ眠くても授業を真面目に受ける。


 しかし、興味が乗らない分野と言うものはある。

 今のところ、河童はそれ。

 詳しく知るつもりなんて――


「ふむ。つまり。その無知を恥じ、心をすっかり入れ替え、今となっては河童の事が知りたくてしょうがないと」

「そうは言ってねぇけど?」


 むしろ真逆の思考をしていたのだが。

 話の流れがすごい勢いで湾曲した気がする。


「皆まで言われずとも私は感じ取りました。あなたは今、私から河童の話を聞きたがっている」


 ふふ、とリヴィエールが不敵などや顔で笑った。

 眼鏡の奥、碧い瞳には一点の曇りもない。

 こう言うのをサイコ晴れした瞳と言うのだろう。


「成程。わかったぜ。面と向かってこう言うのは酷いかもだが……テメェはヤバい奴だ」


 美少女で、声が好くて、おっぱいも大きい。

 そこまでならモテ要素の塊だ。龍助だって、まともな状況でこんな子と近距離対面したのならば「ぅぉお……」とちょっぴり頬を染めて緊張していただろう。


 でも、この瞳はヤバい奴だ。何もかもを帳消しにしてなお余りが山になる。

 道理でソフトモヒカン先輩は涙目で「勘弁してくれ」と叫んでいた訳だ。こんなんに詰められたらああもなる。


 もう少し普通の瞳で丁寧に推されたならば、今後の展開に青春的な期待を込めて、渋々ながらも河童について教えを乞うのもアリだったかもだが……これはアウトだな、と龍助は頷く。


「悪ぃけどよぉ……俺は失礼させてもらうぜ。ほんとごめんな」


 関わり合うべきではないと判断し、龍助は踵を返した――が、瞬きの間に回り込まれた。

 びゅん、と風を切る音が聞こえる移動速度だった。


「……異様に速ぇな、おい」


 教室では本の虫を決め込んでいるくせに、大したものだと感心する。

 天性の外国人フィジカルがなせる技だろうか。


「関係の無い話は結構。それでは――河童の話を始めましょう」

「いいや、それこそ結構だぜ」


 再度、龍助は踵を返した。

 しかしデジャヴ。またしてもリヴィエールに涼しい顔で回り込まれる。

 しかも、今度は回り込むついでにさり気なく一歩、距離を詰めてきた。


 龍助は思わず「ぅおうっ」と小さな声を上げながら半歩後退。

 リヴィエールが不気味だから忌避した――とか、そんな酷い理由ではなく。

 彼女の大きなお胸が腹に掠りそうだったから引いてしまったと言う、思春期ならではのサムシングだ。

 やべぇ瞳をしている相手でも、胸を押し付けられそうになるとさすがに、そう言う意識をした反応をしてしまう。


「て、テメェなぁ……俺なんかに絡むより、陸上部にでも入れよ。きっと大成するぜ。なんなら応援もしてやる」

「水の上ならまだしも、陸地を走って何が楽しいんですか?」

「陸上部の前でそれ言うなよ絶対」


 槍投げ競技(ジャべリックスロー)の槍が飛んできそうだ。


「……ったく……せっかく可愛い面してんだから、まともにしてりゃあ良いもんを……」

「ふ、ふふん。そんなわかりやすい御世辞では動じませんよ。あとで人目を忍んでガッツポーズするくらいです」

「そこそこ嬉しいのな」


 女子的な要素には余り興味が無いタイプかと思ったが……そうでもないらしい。

 足の速さを褒めた時とは違い、リヴィエールは露骨に嬉しそうな反応をみせている。微笑ましい事だ。


 ……さて、それはそうと、どうしたものか。

 龍助は困り果て、ボリボリと首を掻く。


 どうにも、逃げるのは難しい。


 力づくで押しのける事はまぁ、可能か不可能かで言えば可能だが……。

 龍助の個人的な基準として。売られた喧嘩は言い値で買うが、喧嘩を売られてもいないのに武力行使と言うのは、ナンセンス極まりない。


 龍助の基本的なスタンスは「そっちがやる気なら、そりゃあ俺だってやるよ。無抵抗は趣味じゃあねぇ」と言うもの。

 喧嘩では拳や蹴りを使わず張り手に拘るのも、相手を最低限のダメージで制圧するため。


(厄介だぜ……こう言うタイプに絡まれたのは、初めてだ)


 リヴィエールは発想と瞳と挙動速度こそイカれているが、悪意が感じられない。おそらく、本人は善意のつもり。

 生粋の何かヤバい奴だ、この女子は。


 あまり関わり合いにはなりたくないタイプだが、雑にあしらって傷付けるのも何かが違う。

 ヤバい奴なら不幸になって良い、だなんて割り切れない。


 張り手をかますほどの相手ではない。ないがしろにして良い相手でもない。と言うのが龍助の結論。

 しかし、素直に付き合うのもしんどそうだ。


 ここはひとまず、あしらうのではなく精神誠意で向かい合って、言葉での説得を試みるとしよう。


「あー……あのな。河童が大好きらしいテメェに、こう言うのはマジに心苦しいんだがよぉ……ここはハッキリ言っておくぜ。河童の話なんざ、興味が無ぇんだ。俺は」

「え……?」


 どうしてそんなにも意外そうな顔ができるんだろう。

 龍助の方が驚きたい。


「じゃあ……河童の話なんて、これっぽっちも……?」

「ああ、まぁ、それっぽっちも興味はねぇな……」

「……で、でもさっき、あなたは河童の話を聞きたそうな素振りを……」

「身に覚えがまったく無いんだが……もし無自覚に思わせぶりな態度で誤解させちまったのなら、謝る。ごめんな」

「…………………………」


 誠心誠意の言葉であれば通じた。このやべぇ女子はそこまで狂ってはいなかった。

 それは良い。それは良かったのだが……。


(が、ガチ凹みしていやがる……!?)


 龍助の脳内で、幼馴染が好きな子にフラれて帰って来た時の顔がデジャヴする。

 それくらい、リヴィエールは切なそうな顔をしていた。


「お、おい……?」

「…………………………」

「なぁ、いや、そこまで落ち込む事でもなくねぇか?」

「…………………………」

「いやさ、俺が個人的に興味がねぇってだけで、俺以外の奴ならきっちり話を聞いてくれるかも知れねぇじゃん? テメェや河童が悪い訳ではないぜ? 俺の問題であってな?」

「…………………………」

「ッ~~~………………」


 うつむいたまま動かなくなってしまったリヴィエール。

 龍助は罪悪感から息苦しさを覚える。


 ……ずるい、卑怯だ。こんな態度を取られて、突き放せる人間が果たしてこの世にいるのか。


「……わかった。じゃあ、五分だけだ。五分だけ、河童の話とやらを真面目にちゃんと聞くから。それで解放してくれ」

「……! ありがとうございます!」


 ぱあっ、とリヴィエールの表情に笑顔が咲き戻った。

 それを見て、龍助は安堵の息を吐く。


「ですがしかし、五分で語り尽くすのは難しいかと……」

「語り尽くされても付き合ってらんねぇから言ってんだよ……」


 龍助としては、五分が最大の妥協案だ。


「……ふむ。まぁ、そうですね。今日は初級編チュートリアルと言う事で」

「何か今後が不安になる言葉が聞こえた気がするんだが?」

「何の事やら」


 けろっと元気を取り戻したリヴィエール。

 改めて気を取り直すように、パンパンと手を叩き鳴らす。


「それでは、今度こそ河童の話を始めましょう」



   ◆



 ――【河童のイメージについて】。


 いつの間にどこから取り出したのか。

 リヴィエールが持つスケッチブックには丁寧な筆致でそう書かれていた。


「さて、……えーと、確か……さるわたりさん?」

更頭さらかぶりだ。つーか龍助で良いわ。名前、気に入ってんだよ。自慢の名前だ。カッケェだろ?」

「確かに。龍、即ちドラゴン……良いですよね。もう響きだけでワクワクします」

「だろ!」


 ヤバい奴のくせに、話がわかるじゃあねぇか!

 龍助は少しだけ、リヴィエールへの評価を上方修正する。


「では龍助さん。ずばり、河童のイメージと言うと、どんな感じですか?」

「どんな感じ? ……そりゃあ……」

「『気持ち悪い』? 『不気味』? 『うッッッわ、きっしょ』?」

「んー、ああ、まぁ……ざっくり、そんな感じだな」


 河童のイメージと言えば、何かカエルとサルを足して二で割ってから藻をまぶしたようなイメージだ。

 触ったら何かこう……ぬるめちょんっ……的な効果音がしそう。


 龍助がこくりと頷いてみせると……リヴィエールは不満気にもほどがあるぶちゃい顔に。


「な、なんだよ、その顔……」


 淑女が人に見せて良い顔ではない。せっかくの可愛い尊顔が台無しだ。


「まったく……いいですか、龍助さん。そのイメージは……濡れ衣です」

「濡れ衣? 誤解だってのか?」

「はい。……まぁ、致し方ないものではあるんですけれどね」


 何だか、やるせない……そんな感情が見え隠れする、妙に含みのある言い方だ。


「そのイメージは……諸説ありますが、江戸時代あたりに形成されたものだと言われています」

「けっこう前じゃね?」

「絶対で考えればそうです。しかし、河童の歴史をふまえて相対的に考えると、そこまで古くもありません」


 リヴィエールがぺらりとスケッチブックをめくると、次のページには「鳴くよウグイス」と言う謎のワードが。

 これまた硬筆のお手本めいた綺麗な文字で書かれている。


「そもそも、河童はですね。『平家の怨念が川で化生物バケモノになった』ですとか、更に遡れば『平安時代の陰陽師が式神として使役していた』と言う話があります」

「平安時代って……鳴くよ(794)ウグイス、平安京……だったか?」


 龍助の確認に、リヴィエールがこくりと頷く。


「まぁ、採用する学説によって多少前後するようですが、アバウト西暦八〇〇年前後から一二〇〇年前後とお考えください。さて……と、しますと。西暦一六〇三年に江戸幕府が樹立された事で始まった江戸時代まで、ざっくりと四〇〇~八〇〇年近い期間がありますよね?」

「そりゃあまた……」


 つまり『江戸時代に確立した河童のイメージ』と言うのは、かなりの後付けだと言う事になる。


「何故、江戸時代に河童のイメージが塗り替えられてしまったか? それは江戸時代に『ある二つのもの』が流行ったためです」


 ぱらり、とスケブがめくられる。

 すると、そこにはどこかで見たような……腹巻きを巻いた赤い猫妖怪のイラストが。


「まずひとつ。『妖怪浮世絵ブーム』」

「……ちなみに、その猫ニャンのイラストは何だ?」

「私が描きました」

「上手いな。すげぇ。漫画家かよ。でも、そう言う話じゃあねぇ」

「平成の終わり頃に、妖怪のキャラクターが描かれた玩具メダルのブームがあったでしょう? あれに引っかけました。要するに洒落です」

「ああ、そう言う……」


 説明されないとわかり辛い。

 猫も犬もめっちゃ好きな龍助はもう、いきなり何の癒しかと。


「話を戻します。江戸時代にはですね。それはもうとにかく『妖怪の絵を描けばアホほど売れる』と言う時期があったそうです」

「そいつは景気が良いな」

「はい。しかしいくらブームと言えど、浮世絵は消耗品ではありません」


 浮世絵は残る。

 つまり、古く同じものばかり作っていては当然、売れ行きが落ちていく訳だ。


「稼ぐためには次々に新しい妖怪のモチーフが必要になる訳です。そうなってくると、ネタはいくらあっても足りませんが……古くからの妖怪伝承には限りがありますよね? ネタはいずれ尽きます。であれば、どうしますか?」

「どうするって……」


 龍助は顎に手をやって、少し考えて、


「……新しいネタを作るとか?」

「その通り。浮世絵師たちはオリジナルの新妖怪をぽこじゃか生み出し、更には既存の妖怪に二次創作の設定を付け足したりしてじゃんじゃんばりばり新たな浮世絵を描き続けました」


 ぱらり、とスケブがめくられると。

 今度は真っ赤な太字で『FREEDOM』と。


「そうして妖怪は、コンテンツそのものがフリー素材のような存在になってしまったのです。現代で言う戦国武将みたいなものですよ。織田信長とかえらい事になっているでしょう? 女体化は平然、巨大化や職業化やロボット化もあり、果ては分裂して進撃したり。久しぶりにまともな織田信長が出てきたと思ったら眼からビームを撃つ始末」

「現代の織田信長の惨状はさておき……もしかして、そこから河童の濡れ衣うんぬんの話に繋がるのか?」

「ほほう。話が早くて助かりますね」


 リヴィエールが嬉しそうに頷く。

 話の先を推察してくる……それは、話を真面目に聞いて、思考を走らせている証左だ。


 ――それはともかく。


 話の流れから龍助は察した。

 河童の酷いイメージは、そう言った「妖怪をフリー素材の如く好き放題していた」と言う江戸時代の時勢に由来するのだろう。

 何らかの理由により、河童に酷いイメージを擦り付ける二次創作が広く出回った、と言う事だ。


「ここでもうひとつの『江戸時代に流行ったもの』……いえ、『流行ってしまったもの』が関連します」


 ぺらり、とスケブがめくられる。


「……モザイク?」

「はい。グロ画像です。あらかじめこちらで処理しておきました」

「お気遣いドーモ。確かにグロいのは苦手だぜ……ただ、モザイクが強過ぎて、なんなのかわかんねぇよ」

「元は精巧な水死体のイラストです。私が描いて、私がモザイク処理しました」

「何を描いてんだテメェは!?」


 画力の無駄使いだ。


「つぅか、何で水死体ぃ……?」


 流血くらいなら平気だが、そのほかのグロ系はてんでダメな龍助は想像しただけで「うへぇ……」と顔を顰める。


「江戸時代は当然、今の世の中ほど発展していません。貧富の格差も相当で、貧の方に傾いている家庭の方が多かったそうです」


 江戸時代は発展期であり、暮らしが豊かになった時代だと言うイメージが強い。

 しかしそれは、直前まで長らく続いていた戦乱の時代からの相対評価でしかない。

 まだまだ、日本と言う国は全体的に貧しかったのだ。


「するとまぁ……残酷な話ですが。口減らし、間引き、うば捨てといった行為が行われます。養えなくなった子供や老人を、山や川に捨てる」

「……!」

「すると結果、どうなるかと言えば……」


 ……川に、浮かぶのだろう。


「……ほんと、酷ぇ話だな」

「はい。そして、子供たちはそんな残酷な世界を知りませんし、周囲の大人たちは知らせたいとも思わない」


 当然だ。

 子供が知るような話じゃあない。


「何も知らない子供たちが水死体に近寄っては、不衛生で、疫病の元にもなりかねない」


 それを防ぐべく、利用されたのが……。


「……だから、河童か」

「はい。『川には河童と言う禍々しい怪物がいる。近寄ってはいけない』と。川に浮かんでいる水死体そのものを指して、子供に『あの醜怪な生き物が河童だ。絶対に近付いてはいけない』と教えていた、なんて説もあります」

「…………………………」


 子供を水死体に近付けないために。

 当時は半ばフリー素材と化して設定を盛り放題だった妖怪を利用した……と。


 リヴィエールが最初に言った妙に含みのある言葉の意味が、理解できた。


「致し方ない事……か」


 子供たちの未来のため、河童には犠牲になってもらった。

 そう言う事だろう。


「……ですが、現代は違います。もう、川に水死体が浮く事などまずありません。子供たちを守るために河童が悪評を背負う必要は無いんです。だから私は、河童の真実を説きたい」

「勿体ぶらずに言えよ。……ちゃんと聞いてやる」


 一体、江戸時代にその悪評を背負うまで、河童とはいかなる存在だったのか。


 龍助は、興味をもって耳を傾けた。


「河童はそもそも、河伯カハクと言う水神がベースにあるとされています」

「かはくぅ?」


 聞き覚えの無い神様だ。


「中国における、黄河の神様ですね」

「黄河って……俺でも知っているぜ。すげぇ有名な川じゃあねぇか……!」


 黄河――世界四大文明の一角、「黄河文明」の繁栄を支えた偉大な大河だ。誰だってご存知だと言っても過言ではないだろう。

 その素晴らしい大河の神・河伯が、河童のモチーフ……元ネタであると。


「西遊記で有名な沙悟浄サゴジョウの元ネタもこの神様なので、沙悟浄は日本にくると補正がかかり河童として扱われると。日本以外では普通の武人だそうですよ」

「へぇー……西遊記は知っていたけど、そいつは初めて知ったぜ」

「して。この河伯と言う神様……御姿は、『龍に乗った武人』または『水の龍』だと言われています。……つまり、どう言う事かわかりますか?」


 ぺらり、とスケブがめくられる。

 そこに描かれていたのは――竜人リザードマン、とでも言うのだろうか。

 亀の甲羅を背負い頭に皿を被った、翡翠鱗の竜人がカッチョ良く描かれていた。


「河童とは――龍。ドラゴンなんです!」

「なッ……!?」


 衝撃の事実である!!


「それもただのドラゴンではありません。みず・ドラゴンタイプです」

「か、カッチョ良くない訳がねぇぞ、そんなもん……!」

「そうなんです……河童は――すごくカッチョ良いんですよ、龍助さん!」

「ああ……俺は……誤解をしていたッ!!」


 何と言う事だろうか!!

 よく知りもしないのに!!

 決めつけて!!

 興味など無いと!!


 龍助は五分前までの自分が恥ずかしくて仕方が無い!!


「俺は昔からこうだ……何て浅はかなんだ……!!」


 もはや恥を越えて、悔しさすら覚える!!


「……さて、約束の五分ですね」


 少し寂し気に、だが、どこか希望を持った表情で、リヴィエールは穏やかに微笑んだ。


「あなたのその表情でわかります。あなたは本当の河童を理解する入口に立ってくれた。大概の人は……そもそも、ここまで真面目に私の話なんて聞いてくれませんから。それだけでも充分、喜ばしい事です。ご清聴、ありがとうございました」

「……いや、礼を言うのはこっちだぜ」


 リヴィエールが河童の誤解を説いてくれたおかげで。

 龍助がここ数日眉間に刻んでいた不機嫌の証が、消えた。


「これからは、カワコーの河童っつぅ通り名を誇っていけるぜ」

「はぁ? あなた如きが河童を名乗るとか。髪が緑だからって調子に乗らないでくださいよ?」

「え、ぁ、うん。ごめん……」


 ガチめに叱られた……。


「……ですが、まぁ、良いでしょう。大目にみます。それくらい、私は嬉しい」


 河童の話を聞いてくれた。

 ほんの少しだとしても、河童に良い印象を抱いてくれた。

 それがよほど、嬉しかったらしい。


「それでは、私はこれで」

「おう。気を付けて帰れよ」

「ええ。……あなたとは、またどこかで会えそうな気がします」

「ん? ……ああ、そうだな」


 まぁ、クラスメイトだし。


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