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そして、世界は零になる。 -離解者・異能捜査譚-  作者: 園崎真遠
プロローグ 音が聞こえる
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その希望は、小さくとも確かで。

 

 だが。


 …………。


(あれ?)

 

 いつまでたっても殴打の音は聞こえてこない。


「むぅ? どうしたんだい、真人君。目をつむって」


 代わりに隣にいる男の声が聞こえてきた。


 真人はおそるおそる目を開くと、信じられないといった表情を浮かべる。


「あ……ぁ……ァ……」

 マウンの横で、大間『だった』ものがか細く悲鳴を上げていたのだから。


 大間が先ほど繰り出した拳は切断されたのか、存在そのものが無くなっていた。

 さらに、足の爪先からまるで見えない何かに咀嚼(そしゃく)されるかのようにゆっくり溶けて『無くなっていく』。


 <想起>とは『非常識』たる力。


 ならばこの非常識な光景が生み出された理由として頷けそうなものであるが、そんな非常識な力を駆使したことを踏まえても、あまりにも『異様』な光景であった。


 しかし、この惨状の操り手は何でもないかのように見つめるのみ。


「ふむ」

 つまらなさそうに口を開くマウン。


 心底、価値のないものを目にしたという様子で足元に這いつくばる大間を見た。


 一見冷酷のようにも思えるが、彼にとっては当然と言えば当然の反応だった。


 この結果を確実に起こる未来と定義し、その通りの結果を目の当たりにしただけなのだから。


 彼は、大間の無様に床を這いずる様子を嗤うこともなく、惨めさに情を見せることもなく、奴のこれまでの悪行への報いと怒ることもなく。


 ただただ無感情のまま、足元でわめく『生き物』を眺めた。


 その様子に大間はこの上なく畏怖した。


 彼は自分を倫理観の欠けた人間であると自覚していたが、そんな自分から見ても目の前の男の在り方はあまりに異質だったからだ。


 人間というものは感情という心の機微から決して逃れることのできない生き物。


 そんな生き物が、自分と同じ種族の無残な最期を遂げようとしている様を目の当たりにしているのだ。


 普通であれば、命の消えゆく場面を見つめる精神的負担、あるいはこれが報いなのだと怒りの念を覚えるなど、何かしらの思いを抱くはずだ。


 その心の機微は、善人であろうと悪人であろうとも当然起こりうる、まさに人間たる『証明』とすら言える。


 だが、この男にはそれがない。

 この男はただ漫然と、眺める『だけ』なのだ。


「何もないか」


 マウンは細菌に食いつかれて為す術ない大間を見て独り言を呟くと、その場を後にしようとする。

 

 大間はその様子に大いに焦った。 


 何故なら、異能を解除できるのは想起者本人のみ。


 すなわち、大間にとってはこの食われ続ける地獄が死ぬまで続くのだと告げられているのと同義なのだからだ。


 大間はその恐怖に耐え切れず、上ずった声で命乞いを繰り返す。


「たっ、頼むっ! 助けてくれぇ!」

 

 刻一刻と朽ちていく自分の体を見て怯え、すがるような視線をマウンに向ける。


 もう両足は膝あたりまで溶けてなくなり、足の欠損により体を支えきれなくなった大間は地に残った左腕をつける。

 すると、その腕もまた足同様に溶け始めた。


 どうやら大間がいる周辺の床に細菌が這いまわっているらしい。

 思わぬ事態に大間は酷いパニックに陥ってしまった。


「ああああ! 嫌だ! 死にたく……死にたくないぃぃぃ!」


 酷く、聞くに堪えない悲鳴であるが、マウンは大間に全く興味がないので視線すら向けない。


 何故なら大間程度の有象無象など、彼にとって視線をくれてやる価値もないのだから。


 大間は錯乱しつつもマウンに呼びかけるのは無駄だということだけは悟ることができたのだろう。

 視線を移し、大間は真人を血走った目で見ながら叫ぶ。


「天園ぉ! お前から頼め! 早くしろぉ! ぶっ殺すぞぉ!!」


「……!」

 息を呑む真人。


 自分に話が振られてくるとは思っていなかったのだろう。

 驚いた様子で大間の方を振り返る彼。

 しかし、その驚きも刹那。


 彼は鬼の形相を浮かべて怒声を上げる大間を見て、思わず体を震わせた。


 そう。


 奴の身勝手さに体を……『怒り』で震わせた。


 死に瀕した人間……いや、悪しき欲望にまみれた獣の見苦しい有様に。

 こんな醜い生き物が、自分たちの生きるこの世界に存在するのかと強い衝撃を受けたのだ。


 真人は思う。


 コイツは今まで散々、罪のない人たちを玩具にして使い潰し、無残に殺してきた。

 そんな罪という泥にまみれきって、ただ歩くだけでも悪意という飛沫をまき散らす男を生かすために。


 俺が代わりに命乞いをしろ、だと?


 ふざけるな。地獄に落ちろ。

 

 真人は怒りをたぎらせた瞳で大間を睨み、その様子に大間は恐怖した。


 もはや、真人すらも耳を傾ける気はないと悟ったからだ。


 マウンはここでようやく初めて反応する。


「そういうわけだ、雑輩(ざっぱい)

 

 彼は大間のほうを振り向くと、まるで低俗な下等生物を見るような侮蔑の視線を向けた。


 大間はその冷たい視線に震え、自分はこの男に命を弄ばれる奴隷に過ぎないのだと自覚した。

 その事実に、頭に昇っていた血が抜けていく。


 そしてマウンは、創造主が何の役にも立たない失敗作に接するように、つまらなさげに言葉を紡ぐ。


「君のような質の悪い"量産品"ごときが、稀有な存在であるこの子をどうこうするつもりなのかい?」


「身の程をわきまえろ、下郎」

 

 マウンが冷たく言い放つと、大間に食らいついている細菌たちに変化が起きた。


「ああっ!? あああぁぁぁっ!?」


 情けなく響く大間の悲鳴。


 細菌たちは『その命令を待っていた』と言わんばかりに、無数の彼らはそれぞれが我こそが一番多く食べるのだと競い始めたのだ。

 それに伴い、大間の体の溶けていく速度が急速に上がっていった。


 真人はその光景に戦慄した。

 自分たちを虐げた巨悪が為すすべなく、ただの餌として一生を終えようとしているのだ。無理もないだろう。


 そして、餌となっている当人は戦慄どころではない。


 大間は、勢いづいて一息に食らい尽くさんとする細菌達を見て、まだ食われていない腕を……いや、これから細菌達の馳走(ちそう)となる部位をジタバタさせながら喚く。


「たすけ……! たす……たぁ」


「ダメだよ」


 だが、届かない。


 大間の命は。マウンの主観的な考えにより、本人の意志に関わらず問答無用で消費される。

 ある意味、これまで大間が研究所の被験者たちに行っていたことと同義であるが、彼にはそんなことを考える余裕は微塵もなかった。

 


「――君はここで死にたまえ」



 何でもないように告げられる死刑宣告。


 執行人たる細菌たちは歓喜するかのように震えると、そのまま一息で床上から這い上がって大間を包み込むように食らいつく。


 想像を絶する痛み。自分という存在が刻一刻と削り取られて消えていく感覚。


 悲鳴を上げてしまっても仕方のないものであろうが、彼にはそれができない。

 何故なら、声を発するための喉は既に削られて何処かへいってしまったのだから。


 大間はまだ残っている方の瞳で見る。

 自分が消えていく様をつまらなさそうに眺める男に、ただただ恐怖した。


(奴にとって、私はそこらの羽虫と変わらないんだ……)

 

 あぁ……こんな『悪魔』に歯向かうんじゃなかった。


 これが大間の最後に思考した言葉だった。



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