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そして、世界は零になる。 -離解者・異能捜査譚-  作者: 園崎真遠
第一章 そっと心に寄り添うということ
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その痛みを知っているから


「先輩が……復讐を……?」


 信じられないといった様子で、真人の言葉に目を見張る愛示。


 人畜無害な真人に、そのような激情に駆られた時期があったとは想像もつかなかったからだ。


「……あれは俺がまだ小学生の頃。大間で能力を移植される前。まだ11歳だった時のことだったな」


 過去を振り返り、言葉を紡ぐ真人。


「……当時、俺の家族は父親だけだった。母親は俺が物心つく前にどこか行っちまってた」

「……その親父がものすごいお人よしでな。自称・友人の怪しい奴が金を無心(むしん)しに来る度、快く渡しちまうほどだった」


 『おかげで万年貧乏で肉みたいな高いやつは食ったこともなかったよ』と呆れた顔をした真人であったが、どこか嬉しそうな色も浮かべていた。


(本当は大好きなお父さんだったんだなぁ)

 

 愛示はそう思った。きっと、彼の脳裏には父親との良い思い出が詰まっているのだろう。


 しかし。手放しに微笑むことはできなかった。


 何故なら、恐らく真人が復讐に駆られたのも……この『父親』が関係しているということは想像に難くなかったからだ。


「―――だが、そんなある時。親友を名乗る男がやってきてな」


 急に声のトーンが落ちる真人。

 瞳には、普段の彼からは想像のつかないほどの狂気がにじみ出ていた。


「新しい事業を始めるための金が要るという話でな」

「その金を借りるために連帯保証人になってくれと持ちかけてきたんだ」


「流石に俺もその時は必死に親父を止めたよ。相手も胡散臭かったし、借金の額も大きすぎて、その時ばかりはヤバイと思ったんだ」


「だが、親父はその時も快くサインしちまった」


 連帯保証人にされ、騙されて、破滅する。


 不幸物の話にありがちな、ごくごくありふれたものだ。聞いていても退屈に違いない。


 だが。実際に自分の身に起こった者にとっては想像を絶する地獄だっただろう。


「案の定、その親友とやらは雲隠れしてな。とても払えない巨額の借金がうちにやってきた。流石に親父もその時は絶望した顔をしてたよ」


 当時を思い返しているのだろう。

 愛示は真人の手が怒りに震えていることに気がついた。


 大事な家族の善意につけ込み、騙して破滅させた。


 今ですらこれほどの怒りを感じているのだ。

 当時の憎悪は想像を絶するものだったはず。


「文無しの上に家も差し押さえられて、途方にくれ……。そうして行き場を失った俺たちは河川敷で路上生活を始めたんだが」

「3日経った頃……」


 言葉につまる真人。

 額にはツゥ……と汗がつたう。


「―――親父は川で入水自殺してたんだ」


 声色は平静を装っていたが、表情はわなわなと震えて。

 

「ご丁寧に靴を脱いで、靴の下に『すまない、真人。馬鹿な親ですまなかった。本当にすまなかった。』と、どこから拾ってきたかわからないボロボロな紙にインクの(かす)れた文字を遺してな」


 許しすら請わず。いや、きっと許しを請うことすら許されないほど自分は罪深いと思ったのだろう。


 そうして。この上ない自責の念に駆られながら、一人寂しく冷たい水の底で息を引き取った。


 たった一人の家族が、そんな惨めな最期を強いられたのだ。

 

「俺も本当に馬鹿な親父だと思ったよ」


「でも……でもな」


 彼は、悲しげに笑う。


「きっと。この世界は、親父が生きるには汚すぎた……そう思うんだ」


 馬鹿な父親だったが。常識知らずな父親だったが。


 ―――それでも、そんな純粋な彼につけ込む……この汚い世界が一番悪い。


 真人の、父親への精一杯の擁護だったのだろう。


「それから俺は、がくのない頭を必死に回して、例の親友を気取るクソ野郎を探したよ」

「探偵に依頼を出すための金を稼ぐために、年齢を偽ってホストの雑用として働いたり」

「野郎が現れそうなところはしらみつぶしにまわったりな」


 理由は聞くまでもない。

 ―――復讐のためだ。


「あの時の俺は復讐のために生きていた。復讐こそが生きる糧だった……。美来のように」


「そうして、依頼していた探偵の情報で奴が入りびたっているスナックがあるということがわかった」

「それを聞いた俺は居てもたってもいられずにすぐさまそのスナックへ向かった」


「そして……着いたとき、ちょうど奴は店から出てきた。女性を二人、両腕に侍らせながら愉快そうにな」


 親父に、あれほどの惨めな末路をたどらせたくせに。


 自分は悠々自適に酒を食らって女と遊んでいるのか。


 同じ人間とは思えない、醜悪ぶりに。


 同じ男とは思えない、卑しさに。


 あまりの衝撃に真人は頭が真っ白になった。


 そして。


「気がついたら、奴を押し倒して包丁で刺し殺していたんだ」


 あっけなく終わった復讐。


 父を奪った巨悪と思えた男は、たかが小学生に馬乗りになられて一方的に暴行を受け、情けない死に様を晒したのだ。


 今回の美来の件のように、当時は未成年で情状酌量の余地もあったことから真人も保護観察処分で施設に送られた。


「復讐を終える前は。復讐の後はなんとなく普通に自分の人生を生きていくんだと思ってたんだけどさ」


「復讐っていう目標を失って。ポッカリと心に穴が開いたんだ。どうして生きているんだろう……ってな」


 復讐こそが生きがいで、その生きがいが失われたのだ。ある意味、当然の帰結だった。


「せっかくの命だ。それでも何かして生きようかと念じてみたが、もう何もかもにやる気が起きなかった」


 まるで燃え尽きた後の灰。

 何に対しても無気力。


 真人は施設の事務員のデスクに置いてあったカッターナイフをこっそり盗むと、それを自室に持ち帰った。


「それで、特に何の感情を抱くこともなく、作業のようにリストカットしてな」


 恐怖も痛みも感じることなく、ただただ自分が死んでいくのを眺める。


 まるで当事者意識はなく。


 つまらなさそうに俯瞰ふかんする。


 もはや、人間として、いや動物としての最低限の生存本能にすら欠陥を生じた出来損ない。


「だけど……それでも、俺は流れ出る血を眺めていて、ふと声が聞こえたんだ」



 ―――真人。本当に苦労ばかりかけた。こんなダメ親父の言う事なんて聞きたくないだろうが……。一つだけ、『お願い』があるんだ。



 今思えば、これが初めて『理解』を発動した瞬間だった。

 

 真人は、自分に宿っていた父の『名残』を。

 いつも他人の『お願い』を引き受けてきた父がした、初めての『お願い』に耳を傾け―――。



 ―――どうか幸せに、幸せに生きてくれ。



 父の言葉に、想いに。真人は胸に再び熱が灯るのを感じた。


 その『熱』に、彼は自問自答せずにはいられなかった。


「この体は……この血は……親父が遺してくれた、たった一つだけの遺産だ。そんな大事なものを無意味に浪費していいのか、と」


 そう思った時、彼は恐怖で心がいっぱいになった。


 父親のたった1つ遺したものが消えてなくなりそうになっていることに。


 大事な家族が遺してくれたものをぞんざいに捨てて、その罪を永遠にぬぐえなくなるという事実に。


 すると。真人は行為の直前とはうって変わって情けなく涙を流しながら無様に手をバタつかせて、布団のシーツを掴んで傷口に押し当てた。


 布の当て方なんてわからないから、がむしゃらにシーツを巻き付けて押さえた。


「嫌だ。無駄にしたくない。こんなところで死んでたまるか。生きたい、と。そう願って、足掻いた」


 そう言って真人は左手の手袋をとって、手首の傷跡を見せる。

 相当深かったのか、10年以上たった今でもはっきりとわかるほどだった。


「そうこうしてなんとか生き永らえた俺は、わかったんだ」


「復讐だけに生きるっていうことは、その先で死ぬっていうことだ」

「あのまま、美来が復讐を成功させていたなら、きっと彼女はその先で命を絶っていた」


「でも、復讐をやめろと外野が言っても、そんな言葉は聞こえない」

「当人にとっては復讐以外、何もいらないのだと『決意』しているのだから」


 真人は痛いほどわかっていた。

 復讐の魅力と。第三者の声の弱さを。


「だから、復讐を止められるのは『本人』だけだ」


「そのためには」

「美来が、美来自身を止めるためには」


「彼女の深層に、大事にしまわれていた母親への愛を思い出すしかなかった」


「そして、その思いを引き出すには『あの力』を使うしかなかったんだ……」


 言い終えると、真人は公園の遊具で遊んでいる親子に目を向ける。


 滑り台を楽しそうに滑る男の子と、それに微笑みを称えながら見守る父親。


 その微笑ましい光景に真人を見つめながら、彼は想う。


 それはまるで、在りし日の自分と父のようだ、と。

 彼は過去の面影を重ねて……穏やかだが、どこか悲しげな笑みを浮かべた。


 『父親』、『元・相棒』。

 大切な人達を失い続けて、今にも壊れそうな穏やかな笑みを浮かべ続ける真人の様子に。 


 愛示は、見ていられず。


「愛……示?」


 真人は驚いたような声を上げる。


 何故なら。


 突然、彼の胸に彼女がしがみついてきたからだ。


「……生きていてくれて……ありがとうございます」


「私と、巡り合ってくれて……ありがとうございます」



 真人は自分のシャツを掴む後輩の手が微かに震えていることに気づき。

 

 困ったように笑う。


「……うん」 


 彼は愛示の頭を優しく撫で、穏やかな静寂が二人をしばし包み込んだ。


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