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そして、世界は零になる。 -離解者・異能捜査譚-  作者: 園崎真遠
第一章 そっと心に寄り添うということ
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嵐の前の静けさ ②


 愛示ちゃんの怒りの連続パンチを浴びた後。


「ひどい目にあった」

 未だ痛む両頬をさする真人がいた。


 それを心底しらけた表情で見つめる愛示。


 殴打の音に驚いてウェイターが駆け寄ってきたが、愛示は『この人がお肉の美味しさに驚いて、はしゃいで転んでしまいました。お騒がせしました』と真人の頭を押さえつけながら謝罪し。


 ウェイターは違和感を感じながらもトラブルではないと思ったのだろう。いそいそとテーブルを離れていく。


 ウェイターが見えなくなると、再び険しい顔をする愛示ちゃん。


「……先輩。あの話、最悪にご飯が不味くなるのでもう言わないでくださいね」

 飾り気もない本気のトーンで告げる彼女。


 確かに、あれはとても食事の際に話していい内容ではなかった。

 どう考えても、どう工夫しても食欲を減衰させる以外の効果を得られるものではなかったのだろうから。


「……本当に申し訳ない」

 それをしっかりに認識していた真人は痛む頬を抑えながら頭を下げる。

 持論とはいえ、場所をわきまえなかったことには素直に反省していたのだ。


 それを横目で見て、「ふんっ!」と息を鳴らしながらパクパクとステーキを口に運ぶ愛示。あの話の後とは言え、食欲は健在のようだ。


 彼女が怒るのも最もだ。

 今回ばかりは真人自身、自分に非があるとわかっていた。


 ゆえにどうにか彼女の機嫌を直せるものはないかと周囲に目を走らせる。

 女性が好みそうなメニューはないかと期待したためだ。


 結局、残念ながらそういったメニューは見当たらないのだが、代わりに一つ、期待に応えてくれるかもしれないメニューを見つけた。


「ええと……愛示ちゃんよ。ここの肉でも持ち帰りするか?」

 持ち帰りメニュー。

 多くのレストランでやっているありふれたサービスだ。


 安いファミレスなどでは大した喜びもないだろうが、ここは高級肉の料理店。


 そして、その肉の美味しさはまさに彼女が今、実感したばかりだ。

 それを家でも楽しめる案を提供すれば、多少は機嫌を直すのではないだろうか。


 すると効果は抜群のようで、彼女はつっけんどんな様子から一転して、満面の笑みを浮かべた。


「いいですね! じゃあ今度、私の家でそのお肉を使った料理でも食べましょうよ。今週末くらいどうですか?」


 私、けっこう料理には自信あるんですよ。と胸を張る愛示。


 だが、そんな愛示に対して真人は消極的な面持ちだ。


「あぁー……いや。しばらくはいいかなぁ……」

 これ以上食べると本当に舌が肥えてしまうと危惧する真人であった。


 その様子に再びため息をする愛示。


「……全く先輩は気難しい人ですねぇ。年頃の女の子ですか?」


「す、すまん……」

 全く弁解のしようもない。


「まぁ、そんな先輩だからこそ私も楽しくペアを組ませてもらってるんですけどねぇ」


 そう言いながらフォークに突き刺したステーキの一切れを真人の口元に突き出す愛示。


「あーん」

 そして、どういうわけか。まるで恋人のようなイベントに及ぼうとする彼女。小悪魔的な笑みでぐいぐいステーキを真人の口に押し付ける。


 多くの男性なら思わず口を開けてしまうに違いないシチュエーション。


 しかし、真人は即座に"自身の信条"と秤にかけ、それに背くべきでないと判断して口を閉ざした。


 だが、そんな真人の抵抗など意に介さず、愛示の猛攻は衰えない。

 口を閉じていようが問答無用で汁にまみれたステーキを押し付け続ける。


 結局、真人はステーキの肉汁がベチャベチャと口元に付着する不快感に負けてしまい、たまらず抗議しようと口を開けてしまう。


「ちょっ。やめっ……あぐっ」

 口を開けた瞬間にポイっとステーキを放り込まれる真人。

 彼女はそれを確認すると、真人の様子を楽しむかのようにニヤニヤと笑みを浮かべていた。


(全く、何を考えてるんだか……)

 愛示の不可解な行動に振り回されて疲れ果てている真人。

 とはいえ、放り込まれたものは仕方ないので黙ってステーキを咀嚼する。


 すると。


「……っ!!!」


「かッ……らッ!!!」


 真っ赤な顔で悶絶し始める真人。

 それもそのはず。


「ふふ、これで肥えた舌も吹き飛んだんじゃないですか?」


 愛示が放り込んだステーキには、たっぷりとわさびが塗りこまれていたのだ。


 たまらずテーブルの上のグラスを掴み取り、ぐいっと飲み干す真人。


 襲いかかってくる辛さとしばし格闘した後、なんとか落ち着いた彼は疲れ切った表情を愛示に向けた。


「お前……。食べ物にそんなのを仕込むのはマナー違反だぞ……」


「何言ってるんですか。お肉にわさびをつける人だってちゃんといますよー?」


「確かにそうだが……」


 悪態をつきつつ、周囲の様子に気を配る真人。


 ここは高級料理店なのだから客の反応については料理人たちも人一倍敏感のはず。

 にもかかわらず、まるで不味いものを食ったようにじたばたしている客がいれば気にならないわけがない。


 しかし、ここはテーブルごとに敷居のある作りになっているので、大きな音でも立てない限り、どうやらこちらの騒ぎには気づかないようだ。


 一応、愛示もそれは計算していたのだろう。特に動じる様子もなく、真人の狼狽ぶりをニヤニヤと眺めていた。


 彼女の様子に苦笑いを浮かべながらも、今回は店側に余計な心配をかけずに済んだようなのでひとまずホッとする真人であった。



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