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過去を掴んだ男たち  作者: 榊原高次
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懐かしい校舎に辿り着いた。本当に久しぶりだ。

徹は生徒手帳でクラスを確かめる。三年一組。そうだ、そうだった。自分の靴箱を探す。まだ登校している生徒は少なめだ。早めに家を出て良かった。あまりオロオロしている姿を同級生に見られたくはない。何とか自分の靴箱を探し当てて履き替えていると、女子生徒が徹に声を掛けてきた。

「徹、おはよう。今日は早いのね」

菊池祥子。この時期に付き合っていた子だ。確か、同じクラスだったはず。

「おお、たまにはな」

徹は作り笑顔で返事をする。この子についていけば、自動的に自分のクラスにたどり着ける。二人は並んで、教室への階段を昇り始めた。

「ねぇねぇ、もちろん受験勉強が大変なのはわかっているんだけど、たまには息抜きしない?」

祥子がねだるように徹の顔を見る。

「明日は休みでしょ? また瑞穂と浅野君を誘ってどこかへ行こうよ。近くでいいからさ」

…瑞穂? 高橋瑞穂のことか。卓也も一緒に遊びに行っただと? 確かに卓也は友達だったが、そんな形で遊びに行った記憶はない。俺の知っている高校時代とは違うのか? 徹は自分の知っている過去ではないことに内心動揺したが、状況を確かめる必要があると思い直した。

「仕方ないな。わかったよ。高橋さんと卓也の都合も聞いてからだぞ」

「やった! じゃあ、どこに行くかはまた私たちで決めていいよね? 受験勉強のストレス発散に、カラオケがいいかな。瑞穂と相談するね。徹は、浅野君に都合を聞いておいてね」

そう言うと、祥子は階段を駆け上がった。慌てて徹も階段を駆け上がる。置いて行かれては、教室を探す羽目になる。

祥子が走りこんだ教室を何とか確認し、徹は歩を緩める。しかし、卓也と調整をしなければならないとは。今、卓也とはどのような距離感なのだろう。


三年一組の教室。そうだ、ここだ。懐かしさで思わず頬が緩む。十三年前と変わらない。いや、十三年前なので、変わらないのは当たり前か。徹は人がまばらな教室に足を踏み込む。確か自分の席は最後方の席だったはず。高校三年の間はずっと成績順だったので、最も後ろの席に座ることに徹は固執していた。何とか守り切ったのが、密かな自慢だったのだ。

最後尾の席に座り、机の中を確認する。古語辞典、漢和辞典。普段あまり持ち歩かないものが入っている。裏表紙を確認。そこには、卓也の名前が書かれていた。おっと、俺の席はここではないのか。隣の席の鞄掛けには、赤い手提げ袋がかかっている。どうやら女子の席らしい。前の席の机の中を覗き込む。やはりそこには辞典類が入っている。おもむろに徹は席を立つと、一つ前の席に腰かけて、その辞典を確かめる。竹内徹。ここが自分の席らしい。

一息ついた徹は、状況を確認する。どうやら卓也は、自分より成績が上らしい。最後尾の席は六つ。自分はこのクラスで七番目より下の成績なのか。どうしてこんなことになっているのだ。

「おはよう」

周りの生徒に声を掛けながら、卓也の隣の席に女子が座った。片瀬清美。十三年後に飛行機事故でこの世を去ってしまう人だ。目に一杯溜めた卓也の涙が、頭から離れない。この子が頭がいいのは、記憶と同じだ。定期考査では、徹と数点の差で上になったり、下になったりしていた。ライバル視していた徹だったが、推薦で有名女子大に進学することを祥子から聞き、内心ほっとしたことを覚えている。

教室の中ほどで、祥子が誰かと話をしているのが聞こえてくる。

「瑞穂、明日なんだけどさ、ちょっとだけカラオケ行かない?」

「えーっと、何時から? 家庭教師の先生が来るみたいなんだけど」

「それは瑞穂に合わせるよ。先生は何時から来るの?」

「明日は休みだから、ちょっと早いみたい。四時に来る予定ってスケジュールに書いてあった」

「書いてあったって、自分で書いたんでしょ? まぁ、いいわ。じゃあお昼前に集まって、ご飯食べて、カラオケして解散ってことにしない? それから私は、徹に勉強教えてもらうつもり」

…おいおい、勝手に決めるよなと徹は思う。確かに、祥子には勉強をかなり教えた覚えがある。文系なのに英語が苦手で、よくとんでもない誤訳を聞かされて吹き出したものだ。

「うん、じゃあそれでいいよ。竹内君も来るの? 浅野君も一緒なのかな」

「まだ聞いてないけど、そこは徹に調整をお願いしてるよ」

祥子はこちらを向き、小さく手を振る。やれやれ、こちらはよく状況が分かっていないというのに。

高橋瑞穂とも一緒によく出掛けているらしいことに、徹は少なからず驚きを感じていた。友人の間では、この高校ナンバーワンの可愛さということになっていたはずだ。誰かと付き合っているという噂を聞いたことがあるが、真相はわからずじまいだった。こうやって四人で時々遊びに行っているということは、根も葉もない噂だったのか。でも、もしかしたら状況が変わっているのかも知れない。それに、しっかり者というイメージだったが、自分のスケジュールもよく把握していないような口ぶりだった。徹の知っている過去とは何かが違っているのか。

確か、瑞穂は都内の中堅大学に進学をしたはず。祥子は浪人をして徹と同じ大学を目指したが、叶わず私立の上位校に入学した。祥子はもう一年の浪人を親に懇願したらしいが、女の子を二年も浪人させたくないという親の気持ちに負けて、その大学に進学した。そうして、徹とは疎遠になったのだった。

そして、徹の記憶とは明らかに違う成績を取っている者がいる。自分より良い成績を取ったことがないはずで、いつも学年二十番前後をウロウロしていた奴だ。大学も二流にしか進めなかったはずなのだが。

「徹、おはよう」

その本人が教室に入ってきて、後ろの席に腰かけた。

「おはよう」

徹も挨拶をしながら、まじまじと卓也の顔を見る。

「いつもぎりぎりなのに、今日は早いんだな」

卓也は笑顔を見せながら、一時間目の授業の用意を始める。

「何だか睨まれているような気がするんだが、僕の気のせいかな」

卓也は用意をしている手を止めず、徹に声を掛ける。いけない、不自然だったか。

「いや、祥子が明日カラオケでも行かないかって言ってるので、言い出すタイミングを見計らっていたんだ」

うまくごまかした。いや、どうせ聞かなければならないことだったので、丁度いい。

「またかぁ。まあ、いいよ。勉強以外特に予定はないし、少しぐらいなら。息抜きも必要だしね」

どうやら、この四人は割と頻繁にこういうことをしているようだ。以前とは違って、仲の良い友達グループだということなのだろう。瑞穂もその中に加わっているのは、祥子の友達だからだろう。

「ところで卓也、どんな勉強をしているんだ?」

どうしても聞きたい疑問をぶつけてみた。

「前にも教えただろ、間違った問題を何回も解いてるんだって。使っている参考書や問題集まで見せてくれって、家にまで押しかけて来たじゃないか」

…いや、そんな記憶は全くない。どちらかと言うと、自分の知っている過去では、卓也が徹に教えを乞う立場だったのだ。

「そうだったな。でも、最近は受験対策もしてるんだろ? その方法はどうかなって思ったんだ」

これもうまくごまかす。受験勉強の方法を聞いておいても損はない。

「とにかく、過去問を何回もやってるよ。何年か分を何度もやっていると自然と傾向もわかってくるし。出版社や予備校の分析なんかもしっかりと見てるよ」

自分の勉強法を他人に教えるのを嫌う人間もいるが、卓也はそうではないらしい。以前も卓也とは友人だったが、改めて友人にして良かったと思う。

「それよりも、菊池さんと話をまとめておいてくれよ。何時にどこに集合なのか。明日のことなんだからさ」

そう言われて、徹は自分が調整役だったことを思い出した。

「ああ。ちょっと行ってくる」

そう言うと徹は席を立った。


…すっかり忘れている。徹は冷や汗が背中に流れるのを感じていた。教壇では数学の先生が熱弁をふるい、センター入試の過去問を解いてみせていた。文系の学部を卒業してメーカーの営業部に勤めた徹にとって、三角関数に触れるのはまるっきり十三年ぶりのこと。忘れていても無理はないのだが、これからセンター試験で解かなければならないとあっては、笑えない状況だった。文系でも徹の母校の大学は数学Ⅰだけでなく数学Ⅱも受験科目となっている。センター試験まではあと三か月余り。本当に大丈夫なのだろうか。

二時間目以降の授業も、同じようなものだった。世界史、化学、英文法。どれも、あまり覚えていない。高校時代はあれほど真面目に勉強していたのに、こんなにも頭から抜けるものなのか。

午前の授業が終わって、昼休みになった。漸く一息つける。

「徹、弁当にしようか」

卓也が声を掛けてきた。

「そうだな」

徹は鞄の中を覗き込み、弁当を持ってきていないことに気が付いた。そう言えば家を出るとき、母親が何か言っていたような気がしたが、これだったのか。携帯電話を確認すると、母親からメールが来ていた。

「お弁当が間に合わなくてごめんね。今日は食堂で食べて下さい」

いつもより早く家を出たので、弁当を作るのが間に合わなかったのだ。

「悪い。今日は弁当持ってきてないんだ」

「そうなんだ。じゃあ、どうする? 食堂で一緒に食べようか。僕は弁当を食べればいいし」

徹は、卓也の申し出に内心感謝した。ずっと弁当だったので食堂をあまり利用しなかった徹は、食堂のシステムがよく理解できていない。卓也が一緒に来てくれれば心強い。

「すまないな。あまり食堂で食べたことがないから、助かるよ」

「いいって、いいって。じゃあ、行こうか」

二人は席から立ちあがる。

「あら、徹君たち、今日はどこか別のところで食べるの?」

祥子が徹に声を掛ける。

「食堂だよ。今日は弁当を持ってきてないんだ」

「そうなの。言ってくれれば作ってあげるのに」

「今日はちょっとアクシデントがあって。事前にわかっているときは頼もうかな」

「任せといて。腕によりをかけちゃう」

「それは楽しみだ。ところで、一緒に来ない?」

「ごめん、今日は二組の子と瑞穂とで中庭でお弁当を食べる約束をしてるんだ。それに、人が多いのはちょっと苦手だし」

「わかった。じゃあ、行ってくるな」

顔の横で小さく手を振る祥子に見送られ、二人は廊下に出た。


人気の定食のコーナーは、ずらりと人が並んでいた。祥子の言う通り、人が多い。卓也は、空席をみつけてキープしてくれている。十分近く並んで、徹はトンカツ定食を漸くゲットした。しかし、これが350円だとは。その安さに徹は驚いた。都内の定食屋だと、900円ぐらいはするだろう。学食という施設は、とにかく安い。

卓也をみつけて、隣に座る。これで一つミッションクリアだ。その時、二人の前にお茶が差し出された。

「珍しいわね。あなたたちが食堂に来るなんて」

片瀬清美だ。

「私たちもここに座ってもいいかな?」

丁度、徹たちの対面の席が空いたのを見つけたのだろう。清美とクラスメイトの女子の二人は、コロッケの定食を載せたトレイをテーブルに置いて座る。

「このお茶は、自分たちのためにもってきたんじゃないの?」

「いいのよ、浅野君。また淹れてくるから」

清美はそう言うと、一緒に行こうとする友人を手で制し、サーバーのところへ小走りに行く。

…卓也は清美のことが好きなんだったな。徹はそのことを思い出し、卓也の顔を見る。心なしか、少し緊張しているように見える。それなら、俺たちや瑞穂と一緒に遊んでいる場合じゃないのに。

「お待たせ」

清美がお茶を手で運んできて、席についた。

「あら、浅野君はお弁当なのね。お付き合いかな?」

「うん、まあ」

「へえ、やっぱり仲がいいのね。いつもそう思ってたけど」

「俺が弁当を忘れちゃって」

下を向きがちな卓也を援護しようと、徹は話題を作る。

「ところで片瀬さんは、推薦で女子大を受けるんだろ?」

「よく知ってるね。菊池さんから聞いたのかな。十一月に出願なんだ」

「へぇ、やっぱり早いね。合格発表はいつ?」

「一次選考の合格発表は十一月の後半で、それが通れば二次選考。最終の合格発表は十二月の初めなの」

「じゃあ、センター試験は受けなくていいの?」

卓也が食いついてきた。

「合格すればね。でも狭き門だから、ちゃんと勉強はしてセンター試験の出願もするよ。もし一次選考が通ったら二次選考に面接もあるから、その対策もしなきゃだし」

「片瀬さんなら、面接はきっと大丈夫だよ」

卓也が根拠のない太鼓判を押す。

「有難う。頑張るね」

清美は本当に嬉しそうだ。この素直なところに卓也は惹かれたのかもしれないと、徹は思った。


昼休みはあっという間に過ぎていった。食堂の外に出た徹は、胸ポケットを手で探る。…やっぱりないか。食後の一服を楽しみたいところだが、高校生なのだ。煙草を持っているはずはない。体は高校生なのだから依存症ではないはずなのだが、習慣だから吸いたくなるのだろうか。午後の授業のことを考え、徹は少し憂鬱になった。

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