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過去を掴んだ男たち  作者: 榊原高次
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卓也は、未だに後悔をしていた。

だから、こうして過去問に取り組んでいるのである。目の前には、ボロボロになったセンター試験対策の赤本。もう十回は同じ問題を解いている。

後悔は、大きく二つ。志望大学への受験に失敗し、浪人をするかどうか悩んだ挙句、今の二流の大学へ進んでしまったこと。そして、片瀬清美に想いを伝えられないまま卒業してしまったことだ。

同じ大学へ行けないことは、高三の夏休みに友人の竹内徹から聞いた。清美は都内の女子大に推薦で行くのだという。徹には菊池祥子という彼女がいて、女子の間では誰がどの大学を受けるかという情報交換が頻繁に行われていたらしかった。

「それにしても…」

思わず独り言を卓也はつぶやく。

持つ者と持たざる者の間にはやはり違いがあるのだろう。徹には彼女がいて、自分にはいなかった。また、同じ予備校の夏期講習を受けていた二人だったが、一流大学に志望通りに合格した徹に対して、卓也は滑り止めの二流大学にしか合格できなかった。同じ高校に通い、成績もそれほど大きくは違わなかったはずなのに、どうしてこうなってしまったのだろうか。

今の大学生活は、退屈だった。就職率が比較的良いという親の後押しもあって入学したのだが、周りの学生はいかに講義をさぼりながら単位を効率的に取得するかということに腐心していたし、勧誘されて入った同人誌のサークルも肝心の同人誌の発行が滞っており、部員は暇つぶしに部室に来てはトランプなどに興じるばかりであった。

もう入学して半年が経つ。卓也は六月頃から再度志望校を受験することを決めていたが、勧められた大学に通っていることもあり、親には話さず独学で受験勉強を進めてきた。

「そうだ、今年度の赤本も買ってきたんだっけ」

駅前の書店で買った志望大学の赤本を袋から取り出し、パラパラとめくる。まだ一年も経っていないので、問題はよく覚えている。これも十回は解くようにしよう。今の情けない自分を変えなくては。


翌日、大学からの帰り道。駅前のいつもの書店。自然と足がいつものコーナーに向かう。アルバイトをろくにしていない卓也にとって、このコーナーにある受験対策本は高価すぎた。自宅に一通りは参考書や問題集はあるのだが、今年度の過去問だけは持っていない。先日何とか志望大学の過去問は買えたが、最新の入試情報を得るなら、ここが一番である。

赤本のコーナーが先週より充実しているのが見て取れた。センター対策の本が出来たようだ。しかし、どれも教科ごとになっていて、卓也の受験する教科分を全て合わせると五千円以上もする。

「困ったな、こりゃ」

財布の中身を覗きながら、思わず独り言とため息が漏れる。アルバイトでやっている添削の仕事を増やさないととても買えそうにないが、そうすると受験対策に費やす時間が減ってしまう。

「浅野君、どうしたの?」

声を掛けられて、卓也は振り向いた。

身長は少し低め。まっすぐな黒い髪。白いセーターがよく似合う。いつも気づけば、この人のことを考えていた。

「あ、あわわ、片瀬さん。どうしたって何?」

あまりの狼狽ぶりに驚いたのだろう。清美が少し後ずさったように見えた。

「今さら大学入試のコーナーで真剣に赤本を見ているなんて。浅野君は大学に通ってるって、友だちに聞いてたんだけど」

一番見られたくない人に見られてしまったと一瞬卓也は思ったが、別に恥ずかしいことをしているわけではないと思い直す。

「うん、大学には行ってるよ。でも、やっぱり志望大学に行きたかったんだよね。それで本屋に来ると、ついついこういう本を見てしまうんだ」

…本当は、こういう本を見るために本屋に来るのだが。

「そうなんだ。わかるような気がする。浪人している人も多いけど、みんな行きたい大学があるから頑張ってるんだもんね」

「僕は、浪人する勇気もなくて。何だか格好悪いよね」

そんなことないと、清美は否定する。

「だって浅野君、もう一度受験するつもりなんでしょ? 志望大学の赤本じゃなくてセンター対策の本を見てたし、財布とにらめっこしてたし」

…鋭い。これは体裁を繕える状況ではないなと卓也は観念した。

「買うつもりなんでしょ、その本」

清美は、卓也が手にしている数学のセンター対策本を指さした。

「それが、財布とよく相談したんだけど、これを買ってしまうとこれから困るぞと諭されたところです。あはは」

「私がプレゼントしてあげようか?」

思わぬ申し出に、再び卓也は狼狽する。

「いやいや、それは遠慮するよ。だって、欲しいのは受験科目全部なんで、五千円以上もしちゃうし」

「それはさすがに厳しいな…」

清美は考え込む。

「浅野君はパソコン持ってないの? センターの過去問なら、ホームページに載ってるかも」

残念ながら、パソコンを卓也はまだ持っていなかった。アルバイトのお金を貯めて買うつもりをしていたが、再受験を決めてからはそのアルバイトをする時間もあまり取っていない。父親が持ってはいるが、受験することを打ち明けていないので、どうにも借りにくい。

「残念ながら。家のもちょっと借りにくいな」

「そうかぁ。あ、じゃあ、私がプリントアウトしてあげるよ」

「本当に?」

「うん。今、時間ある?」

「あるけど…」

「じゃ、行こっ。うち、ここからそんなに遠くないから」

清美に腕を引っ張られて、あわてて卓也は手に持っていた本を書棚に戻す。高校時代から清美は、こういうおせっかいなところがあった。でも、それは本当に相手のことを心配した上での行動であり、その優しさにも卓也は惹かれていたのだ。


清美の家に向かう途中、卓也は気になっていたことを聞いてみた。

「片瀬さんは、どうしてあのコーナーにいたの?」

「入試対策のコーナーの横に、資格のコーナーもあるの。私、旅行代理店に勤めたくて。旅行業務取扱主任者の資格を取っておこうかなって考えてるの」

「そうなんだ。旅行代理店に勤めたいのは、仕事で世界中を回れるからとか?」

「えへへ。実はそれもあります」

「やっぱり」

「でも、それだけじゃないの。私、おせっかいで、友達と旅行に行くときなんかは、いつもみんなの為にプランを立てる人なんです」

おせっかいなのはよく知ってるなと思い、卓也は思わず笑ってしまう。

「それで、それがすごく面白くて。それが本当は一番の理由かな」

「なるほど。片瀬さんらしいね」

清美はしっかりと自分の将来のことを考えている。卓也は、それが眩しく思えた。自分も志望大学に入れたら、将来のことをちゃんと考えよう。


清美の家は、駅から徒歩約十五分のところにあった。卓也の家からは反対方向なので、徒歩約二十分といったところか。この辺りは閑静な住宅街で、駅からは近いがごちゃごちゃとしている卓也の家の近辺とは趣が違う。

「突然お邪魔して大丈夫?」

「大丈夫でしょ。パソコンで問題をプリントアウトするだけだし」

確かにそうなのだが、そう言われると何だか期待を裏切られた気分になる。

「ただいま。友達が来てるから、ちょっと上がってもらうよ」

清美は玄関で靴を脱ぐと綺麗に揃え、上り口から卓也を小さく手招く。卓也も清美の真似をして靴を揃えて脱ぎ、「お邪魔します」と誰に向かってでもなく頭を下げ、上り口に上がった。

「あら、清美が男の子を連れてくるなんて、初めてね」

リビングの入り口らしい扉を開けて、母親が顔を出した。

「高校の時の同級生の浅野君。駅前の本屋で偶然会ったんだ。パソコンを持ってないって言うから、プリントアウトしてあげるの」

「そうなの。ゆっくりして行ってね」

清美の母親は、リビングに卓也を招き入れる。

「あ、お構いなしに」

「遠慮しないで。今、何か飲み物でも用意するから。コーヒーでいい?」

「すみません、コーヒーは苦手なので、できれば違うものを」

「じゃあ、紅茶にしましょう。ミルクティーでいい?」

卓也は頷き、礼を述べる。やはり親子なのだろう。清美とよく似ている。おせっかいが好きそうで人当たりが良いところも含めて。

「ちょっとここで待っててね。パソコン持ってくるから」

清美はソファーを卓也に勧めると、部屋を出て行った。

卓也は何となく居心地の悪さを感じ、つけっぱなしになっているテレビのニュースに目を移す。メジャーリーグでイチローがシーズン最多安打の記録を84年ぶりに更新したという話題でもちきりだ。

「すごいわよね、イチローさんは。日本人の誇りだわ」

清美の母親が紅茶を運んできて、テーブルの上に置いた。

「浅野君は、清美と高校で同級生だったのね。ご自宅はこの近く?」

「いえ、歩くと20分以上はかかると思います。駅の反対側なんで」

「そうなの。でも、同じ駅なのね。これからも清美のこと、宜しくお願いしますね」

「はい。こちらこそ、宜しくお願いします」

やはり多少緊張しているのだろう、あまり深く考えずに頭を下げた。

「まだ清美には彼氏はいないみたいよ」

清美の母親は小声で卓也の耳元でそう話すと、片目をつぶってキッチンに消えた。…やっぱり、おせっかいなんだなと卓也は呟き、ちょっとほっとした気分になる。もう高校を卒業して半年以上も経つのだ。女子大に通っているとはいえ、彼氏ができていてもおかしくないなと不安になっていたところだ。

「お待たせー」

清美がノートパソコンを抱えて入ってきた。リビングにあるLANの口にケーブルを差し込む。工事をして口を作ったのだろう。先進的な家庭らしい。

「じゃあ、探しましょうか」

「お願いします」

卓也は清美と並んで、モニターを覗き込んだ。


どうしてこういう幸せな時間は早く過ぎるのだろう。今年度の過去問はあっけないほどすぐに見つかり、プリントアウトも終わってしまった。結構な枚数だったが、嫌な顔一つせずに清美はどんどん印刷ボタンを押した。その間、母親の一言で更に清美を意識してしまった卓也は、あまり話すこともできずに、次々とプリンターから吐き出されてくる問題用紙を上の空で眺めていた。

「これで最後かな」

清美はプリンターから出力された最後の一枚を手に取り、クリップで用紙の束を挟んで卓也に手渡した。

「ほかに必要なものができたら連絡してね。携帯の番号教えておくから」

清美はそう言うと、携帯電話を取り出す。

「有難う。僕のも教えるね」

卓也も自分の携帯電話を取り出す。

「じゃあ、頑張って。応援してるから」

番号を交換すると、清美は手を差し出した。頷き、清美の手を握る。これは、死ぬ気で頑張らなくては。卓也は、母親に丁寧に礼を述べると、清美の家を後にした。


もう二十回は問題を解いただろう。卓也は、数学の最後の問題を解くと、答え合わせをして全て正解していることを確かめた。目の前には、あの時清美にプリントアウトしてもらった今年度のセンター試験の問題がある。ほぼ問題を暗記するまでになった。

「全く同じ問題が出たとしたら、僕はどこにでも入れるよな」

卓也は自嘲気味に呟くと、電気スタンドのスイッチを切った。もう夜中の二時を回っている。そろそろ寝なくては、明日の一限目の講義に出られなくなる。日曜なのに自分の部屋にずっとこもって勉強しているのも不自然だと思い、朝から隣町の大きな図書館で勉強をしていたが、結局家に帰って夕飯を食べた後もセンター試験の問題を解いてみていたのだ。

そういえば、夕飯を食べているときに少し大きめの揺れを感じたことを卓也は思い出した。テレビで長野が震源地だという速報が画面の上部に出ていたが、東京都西部のこの町でも震度4を観測したらしい。幸いこの辺りでは被害は出ていないが、長野では倒壊した建物もあったそうだ。

あれから清美には一度も電話をしていない。勉強に疲れたときや大学の学食で一人でいるときなどには、何度か電話をしたい誘惑に駆られたが、試験が終わるまではとその都度その思いを抑え込んだ。今日の地震でも清美のことが気になったが、周りに被害がない様子だったので、一度開いた携帯電話の電話帳をすぐに閉じた。次に電話を掛けるのは、合格を知らせるためだと心に決めている。

それにしても、今日はやけに頭が重い。ふと窓の外に目をやると、かなり強い雨が降っている。もう十二月だが、まだ雪が降るには気温が高いのか。

卓也の母親は頭痛持ちで、雨が降るときには決まって頭が痛くなるという。低気圧のせいだと言っているが、今まで卓也が雨の日に頭が痛くなるという経験をしたことはない。それに、この頭の重さは、頭痛とは違うような感じがする。駅から近いので、雨に濡れながら走って帰ってきたが、それが災いして風邪でも引いたのだろうか。

「そろそろ寝るか」

声に出して大きく呟くと、卓也は部屋の明かりを消して、ベッドに潜り込んだ。

…やはり頭が重い。眠れるだろうか。

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