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過去を掴んだ男たち  作者: 榊原高次
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十九

十九

フロントガラスを雨が叩く。山梨では雪がちらついていたが、東京に入ったあたりから雪は雨に変わり、次第にその勢いを増していた。車の助手席では、清美が静かな寝息を立てている。

今日は日曜で、清美の誘いで山梨県にある遊園地へ行き、アトラクションとスケートを楽しんだ。夏休みに免許を取れたので親の車を借りてやってきたが、さすがに初心者ドライバーにとっては夜の雨の高速走行は緊張するものだった。隣で寝ていられる清美は、全く心配していないのだろうか。

それにしても、よく雪の心配がある山梨県まで十二月にやってきたものだ。スケートをしたい、遊園地にも行きたいという清美のリクエストに応えてやってきたが、早めに帰路について正解だった。この雨の量なら、今頃遊園地付近はかなりの雪になっているに違いない。

さらに雨が強くなった。ワイパーの速度を上げる。せわしなく動くワイパーの音が気になったのか、清美が目を覚ました。

「結構降ってるね。早めに出てきて正解だったかも」

「そうだね。まだ清美ちゃんは寝ててもいいよ。まだ少しかかると思うから」

カーナビの到着予測時刻を確かめて、卓也は清美に声を掛ける。この先渋滞が予想されるらしく、まだ二人の町までは1時間以上はかかる見込みだ。

「ううん。もう大丈夫。ちょっとはしゃぎ過ぎて疲れちゃっただけだから」

そう言うと清美は、シートを倒して半身の状態になるよう横を向き、卓也の顔を見つめる。

「どうしたのかな。あまり見つめられると緊張するんだけど」

ただでさえ夜・雨・高速と、初心者ドライバーにとっては緊張する場面だ。この上清美の視線に晒されては、冷静に運転できる自信がない。

「ううん。ちょっと顔が見たくなっただけ。前ばかり見てても、面白くないもの」

「ちょっとそれはずるいな。僕は清美ちゃんの顔を見られないし」

清見はクスッと笑い、話し出す。

「今度の彩夏と詩織との旅行なんだけど、ヨーロッパじゃなくどこか暖かいところにしたいなって思った」

「え? どうして?」

「だって、今日凄く寒かったでしょ? 寒い時に寒いところに行かなくてもいいかなって」

確かに今日は寒かった。スケートをしている間は体も動かしていて良かったのだが、その後のアトラクションでは風の冷たさに耳を持っていかれるのではないかと思ったほどだ。

慌てて二人はイヤーマフラーを購入した。同じ黒のものだが、お揃いの何かを持つのは地主神社の色違いのお守り以来で、全く同じものを初めて持つことが、卓也には嬉しかった。清美はまだそのイヤーマフラーを耳につけている。

「そうだね。今日は本当に寒かった。やっぱり遊園地は暖かくなってからのほうがいいかな」

「うん。旅行も同じで、暖かいところのほうがいいかなって。ヨーロッパって暖かいところもあるけど、やっぱり季節は冬じゃない。行くのは三月だけど、まだまだ寒いらしいし」

ヨーロッパ旅行を回避できるかも知れない。思ってもみなかった展開に、卓也は感謝した。これも、十二月のこの時期に山梨まで来たお陰だった。やはり、因果関係は少しのことで変わるのかも知れない。

「それなら、季節が逆転する南半球がいいかな。一年中暖かいハワイやグアムでもいいかも」

「そうだね。せっかくだから、オーストラリアかニュージーランドにしようかな。三月の時期を逃すと、だんだん寒くなっていくみたいだし」

「オーストラリアかぁ。いいね。僕はエアーズロックを見てみたい」

「じゃあ、今回はそこには行かないことにするね。いつか二人で見に行こうよ」

「そうだね。お金貯めなきゃ」

卓也は大学入学後、塾講師のアルバイトを始めた。添削よりはるかに高収入だが、車の免許取得などに使ったので、海外旅行に行けるほどの蓄えはなかった。

漸く降りる予定の高速のインターまであと20キロという表示が見えてきた。雨も少し小降りになったようだ。

「あのね、卓也君。私、卒業したら旅行代理店に勤めようと思ってるんだ」

以前聞いた話なので、卓也は驚きはしなかった。それでも、事故に遭うことは回避させなければならない。

「うん。いいと思うよ。清美ちゃんらしいや。でも、まだ大学生活は長いから、ゆっくり考えてもいいかもね」

「そうだね。まだ一年なんだもんね。相談に乗ってね。卓也君は、何になりたいの?」

そう聞かれて、卓也は改めて考えた。以前の今頃は2度目のセンター試験の直前で、必死で追い込みの勉強をしていた。大学に入ることが目的であり、その後の人生まで考える余裕はなかったのだ。今は、清美を守ることが一番の望みだと言っていい。大学では希望の心理学を専攻することができたが、就職を意識しての選択ではない。

「そうだな、正直言ってまだ考えられてないかな。人の役に立つような仕事をしたいなと漠然とは思っているけど」

「人の役に立ちたいかぁ。卓也君らしいね」

清美はなぜか満足そうに納得している。

「これから一緒に考えて行こうよ」

卓也がそう言ったとき、胸の携帯電話が震えた。ポケットから電話を取り出したが、高速道路を運転中で、電話に出ることはできない。表示では相手の電話は、徹のようだ。

「ちょっと今は無理だな。次のパーキングエリアで掛け直そう」そう言いながら胸ポケットに電話を戻したが、一度途切れたバイブは、すぐにまた震えだす。

「誰から? 私が出ようか?」清美が手を差し出したので、卓也は徹からなのでいいだろうと思い、電話を清美に渡した。

「徹からなんだ。次のパーキングエリアで掛け直すって伝えてくれないかな」


…思い出した。祥子と瑞穂、そして美由紀が三人で長野にスキーに行くと聞いたとき、何故か徹の胸には不安が持ち上がった。その不安が何なのかがわからずにいたが、街灯を覆うようにして降る雨を窓から眺めていたとき、漸くその記憶が蘇った。

二〇〇四年の一二月の日曜日。大きな地震が長野で起こった。震源が浅く、スキー場のホテルが倒壊するなど、五〇余人の死者を出した被害の大きい地震だった。三人が行ったスキー場は、長野県と山梨県の県境に近い高原のスキー場。そして、泊まるホテルの名前に聞き覚えがあると思っていたが、まさしくその倒壊するホテルだったのだ。

三人でスキーへ行くことになったのは、もちろん三人が仲良くなったからにほかならない。最近ではよく三人で一緒にいることが多くなった。徹は自然と男友達といることが多くなったが、祥子との関係が悪化したわけではない。美由紀とも自然と会話する機会が増えたが、あくまでも今のところは友達という間柄だった。

このスキー旅行も、三人にとってはいつもの延長のちょっとした小旅行といった位置づけのようで、徹は笑顔で三人を送り出したのだ。

慌てて徹は部屋の置き時計で今の時刻を確かめた。午後5時を少し回ったところ。冬至が間近に迫った時期で、外はもう随分暗くなっていた。記憶では、地震が発生したのは夕飯を家族と食べていたときだった。テレビのニュースを見ながら父親と地震について話をしたのを覚えているから、午後8時ぐらいだったはずだ。

机の上の携帯電話を取り上げ、急いで祥子に電話を掛ける。しかし、何度掛けても留守電サービスにつながる。まだスキーを楽しんでいるのか、それとも風呂に入りにでも行っているのか。

「時間はまだある」

徹は大きな声で自分に言い聞かせるように独り言を言うと、どうすべきかを考えた。三人に連絡を取って退避させるのが先決だが、まさか地震が来るから逃げろとは言えない。いや、嘘をつくことにはなるが、地震予報があったと言ったほうが、別の理由をこじつけるより迅速に行動してくれるだろうか。しかし、テレビのニュースを見たりネットで調べたりすれば、地震予報など発令されていないことがわかってしまう。

少しの間考え、徹は自分も合流するので最寄り駅まで迎えに来て欲しいと連絡することにした。実際今日は、父親がゴルフに出かけていて車が家にはなく、鉄道を利用するしか長野に行く手だてはない。そして、三人は瑞穂の車でスキー場へ行っている。迎えにくるなら瑞穂の運転になる。もちろん祥子も来るだろうから、美由紀が一人でホテルに残ることはないだろう。

急いで携帯電話でスキー場の最寄り駅までの路線情報を見る。5時30分発の電車に乗れば、八王子経由で特急と在来線を乗り継いで8時45分着。地震発生の時間には間に合わないが、ホテルから駅までは40分ぐらいはかかるようなので、ホテルを出る時間は地震発生のぎりぎり前になるのではないか。

そう思いつくと、徹は急いで身支度を整え始めた。呼び出せさえすれば実際に現地まで行く必要はないのだが、実際に無事な顔を見るまでは安心できない。身支度を行いながら携帯電話をスピーカーホンにして、もう一度祥子に電話を掛ける。…やはり留守電サービスだ。

「祥子、俺だ。都合がついたので、今からそっちに行くよ。すまないけど、最寄り駅まで迎えに来てくれないかな。到着は8時過ぎぐらいになると思う。明日は俺にスキーを教えてくれ」

わざと少し時間にサバを読んだ。8時過ぎに駅に来るには、7時半ぐらいにはホテルを出る必要がある。それなら、地震を避けられる可能性が高い。

ダウンジャケットを着込み、ニット帽をかぶった。何とかスキーをしにいく恰好には見えるだろう。しかし、スキーの道具を出す暇はない。実際にスキーをするつもりはないので、持つ必要もないのだが。もしも徹の記憶違いで地震が起きなかった場合は、何一つ道具を持ってこなかったとバカにされながら、レンタルウェアや板を借りてスキーをすればいい。

「母さん、ちょっと卓也と出かけてくるよ。明日の夜には帰るから」

玄関先までついてきたミーナを軽く撫でると、徹は母親に声を掛けて勢いよくドアを開けた。


5時45分。町田駅で八王子行きの電車を待ちながら、徹は携帯電話の着信記録を確かめた。まだ祥子からは連絡がない。もう一度掛けてみたが、やはり留守電だ。

ふと、卓也が今日は遊園地へ行ってスケートをすると言っていたことを思い出した。車で清美と行くと言っていたから、郊外のスケート施設だろう。スケート施設がある遊園地ということは、山梨県の遊園地か。

居ても立ってもいられず、徹は卓也の携帯電話に電話を掛けた。数回のコール音のあと、留守電。

「おいおい、お前もか。こんなときに限って」

苛立ちを覚えながら、もう一度卓也に電話を掛ける。少し間があって、今度はつながる音が聞こえた。

「卓也、今どこだ! 今日長野で地震があるってこと、お前は知ってるか?」

少し間があって、女性の声が聞こえて来た。

「えっ、竹内君? 地震って?」

清美だ。思わず徹は天を仰ぐ。しまった…しかし、もう遅い。

「あ、片瀬さん。ごめん、竹内だけど卓也はいるかな?」

「ごめんなさい、今運転中なの。次のパーキングエリアで掛け直すって言ってるんだけど」

「わかった。できるだけ早く電話をくれるように伝えてくれないか」

「うん。さっき、パーキングエリアまであと2キロって表示があったから、すぐだと思う。ちょっとだけ待っててね」

「頼むね」そう言って徹は通話を切った。地震のことを口走ってしまったが、非常時だ。祥子と連絡がつかない今、少しでも早く着けるのなら、卓也にスキー場に向かってもらったほうがいい。心の中で卓也に詫びながら、徹は卓也からの連絡を待ちきれず、携帯電話を握りしめた。


パーキングスペースに車を停めると、傘を差して外に出て、卓也は徹に折り返しの電話を掛けた。清美が「地震」という言葉を口走っていたので、卓也もあの日のことを思い出した。そう、卓也がこちらの時間軸に飛ばされる前の日のことだ。長野で大きな地震があり、相当な被害が出たというニュースが流れていた。

「徹、僕だけど」

電話はすぐに繋がった。

「すまない、今日地震があるって、片瀬さんに口走ってしまった」

「そうか、わかった。それは何とかするよ。それより、それがどうかした? 確か、長野であった大きいやつだよね」

助手席で清美が、こちらを気にしながら座っているのが見えた。雨の音で会話は聞こえないはずだ。

「俺の記憶では、それが起こるのが今日なんだ。確か、夜の8時ぐらいだったと思う」

「僕もそれは良く覚えてる。何せ、こちらに飛ばされる前日のことだったから」

「そうなのか。時間も合ってるか?」

「間違いないと思う。いつも見ているテレビ番組を見ながら夕飯を食べていたんだけど、急に臨時ニュースになったから。8時は少し回っていたんじゃないかな」

「そうか、じゃあ間違いないな。ホテルが倒壊したというニュースか?」

「そう。犠牲者が随分出ているらしいって報道だった」

「俺の記憶と一致するな。実は、そのホテルに祥子が今、泊まっているんだ」

「何だって! すぐに逃げるよう連絡しなきゃ」

「それが、何度も電話をしているんだけど、繋がらないんだ。留守電サービスには俺が行くから駅まで来いって入れたんだが」

「留守電にメッセージは入れたんだね。じゃあ、そのうち気づくかな。ほかに誰かと行ってるんでしょ? その人にも連絡してみた?」

「美由紀と高橋さんの三人で行ってる。今の美由紀の電話番号は、覚えてないな。結婚してからの番号はもちろん覚えてるんだが」

「三人一緒なのか。美由紀さんって、将来の奥さんだろ? そんなに仲良くなっているなんて」

「高橋さんが同じ学科なので、自然と仲良くなったみたいだな。いや、そんな話をしている場合じゃ…」

そう言いながら、徹は瑞穂と電話番号を交換したことを思い出した。

「そうだ、俺、高橋さんの電話番号なら知っているぞ。ちょっと掛けてみる」

「電話を切るのはちょっと待って。実は僕たち、山梨からの帰りなんだけど、徹は今どこにいるんだ?」

「町田で、八王子行きの電車を待ってる。もうすぐ来るその電車に乗って、八王子から特急と在来線を乗り継いでホテルの最寄り駅まで行く」

「地震発生の時間には間に合うんだね?」

「いや、駅に着く頃には地震はもう発生してしまっている。でも、駅に迎えに来てくれたら、ホテルにはその時間にはいないはずなんだ」

「なるほど。でも、連絡がついてないんだよね? 僕たちは今、八王子の近くのパーキングエリアにいる。万が一の時の為に、引き返して長野に向かうよ。恐らく僕たちのほうが早く着くだろうし、地震発生前にホテルに着けるかも知れない。ホテル名を教えてくれる?」

「すまない、恩に着る。ホテルはグランドヒュッテだ。急いでくれ。高橋さんと連絡が取れたら、また電話する」

卓也は車の運転席に戻ると、清美にこれから長野に行くことになったと告げる。

「申し訳ないんだけど、インターを降りたところで降ろすから、清美ちゃんは一人で帰ってもらえないかな。八王子まではすぐだと思う。必ず連絡はするので」

しかし、清美は首を横に振る。

「何か大変なことが起こってるんでしょ? 役に立てないかも知れないけど、私にも手伝わせて」

「いや、でも清美ちゃんを巻き込むことなんて…」

「絶対に嫌だからね。私、帰らない。卓也君や竹内君の大変なときに、一人で心配しているなんて耐えられないよ」

言い争っている時間はない。卓也は全てを話すことを心に決め、サイドブレーキを下ろした。

「わかった。じゃあ、グランドヒュッテという長野のホテルをカーナビにセットしてくれないかな。次のインターを降りたら、すぐにUターンして引き戻すね。飛ばすよ!」

初心者で雨の高速。そんなことは言ってられない。卓也はアクセルを踏み込んだ。

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