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過去を掴んだ男たち  作者: 榊原高次
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十八

十八

美由紀はいた。同じ学年の文学部国文学科。瑞穂とクラスメイトということになる。徹の通う経済学部の学舎と文学部の学舎はかなり離れているのでよく目にするという程ではないが、これまでにも数回その姿を見かけていた。しかし、原田彩夏という美由紀に出会う為の媒体を失った徹は、声を掛けるのをためらっていた。突然声を掛けたのでは、ナンパを行う軽い男という悪印象を与えかねない。瑞穂とは当然知り合いにはなっているだろう。しかし、祥子がいるのに紹介してくれと言うのもためらわれた。

「で、徹は何にするの?」

祥子に話しかけられて、徹はふと我に返った。学食で食券を買う自動販売機の列に二人は並んでいるのだ。

「そうだな。俺はビッグハンバーグ定食にしようかな」

「またそれ? あまり高カロリーなものばかり食べてると、そのうち太っちゃうよ」

「好きなんだからいいだろ。ちゃんと運動もしてるし」

「テニスのこと? サークルでやってるのなんて、お遊び程度じゃない」

徹と祥子は、この大学にいくつもあるテニスサークルの一つに入っていた。違う学部に通っているので、一般教養以外の授業で一緒になることは少なく、祥子の誘いで徹も所属することにしたのだ。そうすれば毎日会えるからと祥子が言うので、断る理由もなかった。そのサークルには瑞穂も入っているが、こちらも祥子の誘いに乗ったらしい。

そうだ、サークルだ。美由紀は同人誌やミニコミ誌を作るサークルに入っていた。美由紀と知り合う為には、同じサークルに入ればいい。サークルの掛け持ちなんて、大学生にとってはよくあることだ。今入っているテニスサークルの活動は、月に二度ほどコートを借りるだけで、日ごろは沢山のサークルが集まる大きなスペースの一部分に与えられているわずかなテーブルに、講義の合間に集まって交流するだけ。時間潰しの為のサークルと言ってもいい。別のサークルに入っても問題はないだろう。

漸く食券を買う為の列の順番が回ってきた。徹は500円玉を投入してビッグハンバーグ定食の食券のボタンを押す。名前の通り大きなハンバーグがおかずのメインになっている定食だが、420円という学生にとっては有難い価格だ。

「高橋さんは、今日は三限目からだっけ?」

「うん。そうなんだけど、お昼は一緒に食べようって言ってたから、もう来るんじゃないかな」

そう言って、祥子はカレーの食券の購入ボタンを押す。

「またそれか。本当に祥子はカレーが好きだな」

「いいじゃない。好きなんだもの」

思わず二人は吹き出す。祥子から見ればもう付き合って三年以上ということになるが、徹にとっては飛ばされてきた時点から一年も経っていない。それでもやっぱり、波長は合っているようだ。一緒にいて居心地が良い。

「さっきは、誰を探していたの?」

祥子が食券をカウンターに置きながら尋ねる。

「え? いつの話?」

「食券を買うのに列に並んでいたとき。ずっとテーブル席のほうを見て、キョロキョロしてたよ」

無意識に美由紀を探していたようだ。何とか接点を持たなければという思いがあるので、大学に来ると自然と美由紀の姿を追い求めてしまう。

「高橋さんだよ。さっきも三限目からかって聞いただろ」

「そうね。でも、最近徹はよく誰かを探しているようにしてることがあるから」

まずい。気取られていたようだ。これからは気を付けなければ。

「実は、中学時代の友達が同じ大学に入ったって話を聞いたんだ。でも、いざ入学してみたら、何学部なのかもわからない。それで、偶然でもいいから見つけられないかと思ってな。高橋さんも探していたんだが、そいつも見つからないかなと思って探してた」

何とかごまかした。こっちに飛ばされてからは、ごまかすのが上手くなったと自分でも思う。

「へえ、なんて人? 文学部の人ならわかるかも」

その時、タイミング良くハンバーグ定食とカレーがカウンターに出された。トレイに乗せて、空いている席を探しながら歩く。もちろん、頭はフル回転だ。

「ここが空いてるな。ちょっと待ってて。お茶を淹れてくる。祥子はカレーだから、水のほうがいいよね」

祥子を席につかせ、徹はお茶のサーバーに向かう。同じ大学に入った中学時代の友人に該当者はいる。しかし、徹にとっては相当古い記憶なので、名前が思い出せない。何とか苗字だけ思い出した徹は、お茶と水を持って祥子の待つテーブルに向かった。

「お待たせ。加瀬って奴だったな。名前がうろ覚えなんだけど」

「そうなんだ。文学部にはいないと思うよ」

「そうか、じゃあ、クラスメイトにでも聞いてみることにするか」

祥子は、その言葉を聞いて、少し安心したように話す。

「良かった。本当はね、誰か可愛い女の子を探してるんじゃないかって疑ってたの。私がいるんだから、浮気しちゃダメだよ」

「当たり前じゃないか。俺と一緒にいたいからって、同じ大学に入ろうとあれだけ頑張ったお前と離れるわけがないさ」

「有難う。安心した。私にとっては、徹が全てなんだから、そのことは忘れないでね」

徹は頷いたが、その心中は複雑だった。こんなに一途な想いを持ってくれている祥子と、いずれは別れなければならない。本当にそれでいいのだろうか。

「あ、瑞穂はっけ~ん!」

食堂の入り口に向かって、祥子が手を振る。振り向いた徹の目は、瑞穂の隣にいる女性に釘付けになった。祥子に気づいた瑞穂は、徹と祥子が座ったテーブルに近づいてきた。

「竹内君、祥子、おはよう。もうお昼だけどね。あ、この子は中野美由紀さん。同じ学科なんだ」

「初めまして。中野です」

美由紀はちょこんとお辞儀をする。まさかこんな形で会うことになるとは。徹と祥子は、瑞穂と同じ高校に通っていた友達だと挨拶をする。

「じゃあ、私はこれで」

美由紀は、あっさりとその場を離れようとする。

「お昼、一緒に食べないか?」

徹は、思わず口に出していた。漸く挨拶ができたのだ。少しぐらい話をして、距離を縮めておきたい。しかし、美由紀はその申し出を固辞した。

「私、お昼は食べてきたんです。サークルにも顔を出したいし、それに彼女に悪いから」

「そんなことを言ったら、私もお邪魔なんですけど」

瑞穂が、複雑な笑顔で美由紀に言う。ずっと一緒だったのであまり感じなかったのだが、瑞穂も気を遣っているのかも知れない。

「中野さんって、何のサークルに入ってるの?」

徹は確認をしたくて、美由紀の所属サークルを尋ねてみた。

「同人誌やミニコミ誌を出しているサークルなんです。毎月、同人誌とミニコミ誌を順番に刊行しているので、読んでみて下さいね」

そう言って、美由紀は鞄の中からミニコミ誌を取り出し、祥子と徹に手渡す。やはり徹の記憶と一致している。ならば、チャンスはあるだろう。

「私も美由紀と同じサークルに入ることにしたの。掛け持ちになるけど、大丈夫だよね?」

瑞穂が祥子に向かって尋ねる。

「え? 本当?」

美由紀も今、その話を初めて聞いたらしく、瑞穂に確認している。瑞穂は頷いて微笑んでいる。国文学科で同人誌なら、やりたいことなのかも知れない。機先を制せられた形になって、徹は何も言えなくなった。

「いいんじゃないかな。ちゃんと、うちのサークルにも顔を出してね」

「うん、それはもちろん。あ、食券買ってくるね。美由紀、行こう」

瑞穂は美由紀を促す。美由紀がまたちょこんとお辞儀をして、二人は食堂の入り口に向かっていった。

「私、あの子のこと何だか嫌い」

徹と二人になると、祥子は美由紀の後ろ姿を目で追いながら、徹に聞こえるように呟く。

「え? どうして?」

「何となく…かな。うまく説明できないけど」

徹は、背筋が寒くなった。祥子は本能的に美由紀が敵だということを察知したのかも知れない。こんな時に、瑞穂とともに美由紀と同じサークルに入るなんてことを言い出したら、祥子が何を言い出すかわからない。徹は、美由紀の同人誌サークルに入ることを諦めざるを得なかった。

「ううん、やっぱり今のは忘れて。瑞穂の友達だもの、仲良くしなくちゃね。ところで、浅野君とはよく会ってるの?」

祥子が話題を変えた。徹もあまり美由紀のことを話題にすると何か口を滑らせそうなので、卓也と清美とのその後のことを話題にすることにした。

「月に二~三度は会っているよ。片瀬さんとはうまくやっているようだ」

「へえ、良かったね。私たちが応援した甲斐があったね」

祥子は心底嬉しそうに頷く。「私たちの応援」とは、スケジュール帳に清美の誕生日を書いたことを指しているのだろう。

「ねえ、みんなでまた会おうよ。今度は清美を入れて五人でね」

「それはいいな。あまり時間は経ってないけど、ちょっとした同窓会になるな」

その時、瑞穂がカレーを載せたトレイを持って、テーブルにやってきた。

「瑞穂もカレー?」

自分のことを棚に上げて、祥子が瑞穂に尋ねる。

「好きなんだもの。それより、何だか私だけひとり者だけど、お邪魔してもいいのかな?」

「もちろんよ。でも、瑞穂って美人なのに、何で彼氏作らないわけ?」

「何となく…かな。好きでもない人と付き合うのに抵抗があって」

「それって、もしかして好きな人がいるっていうことじゃないのかな」

徹は思ったことを口にしてみた。確かに瑞穂が彼氏を作らないことは、高校時代には謎になっていた。

「違う違う。そういう人に巡り合っていないだけだよ」

瑞穂は顔を赤くして全力で否定する。

「徹はダメだからね。私のものなんだから」

祥子が徹の腕を取り、小さく舌を出す。

「当たり前じゃない。いつも見せつけられているのに、竹内君のことを私が好きなんだったら、よっぽど我慢強いと思うよ」

「それはそうね。うん、信じてあげる。合コンの話があったら、瑞穂も誘うね」

「有難う。でも、何となく合コンは苦手かな。それより、美由紀と話してたんだけど、三人で女子会やろうよ」

祥子は少し躊躇したようだが、明るく応えた。

「うん、いいよ。いつやろうか」

「このあと、美由紀と相談しとくね」

徹は笑顔で二人の会話を聞いていたが、複雑な心境だった。元カノ、いや現彼女と将来の妻との仲は、これからどうなっていくのだろうか。

「今度は俺がのけ者だな。まあ、俺が入ると女子会じゃないか」

ハンバーグを頬張りながら、徹は二人に愚痴をこぼした。

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