表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
過去を掴んだ男たち  作者: 榊原高次
17/25

十七

十七

卓也がやって来た。徹が玄関まで迎えに出ようと階段を降りると、そこには徹の母親につかまっている卓也の姿があった。

「徹、浅野君も合格したのね。しかも、あの超難関校に。凄いわね。私、びっくりしちゃった。お母さんたちもさぞ喜んでるんでしょう?」

「ええ。うちの母親も喜んでしまって、昨晩は赤飯やら鯛やらケーキやらで、今までうちではあまり見たこともないようなご飯でした」

卓也はちょっとはにかみながら、丁寧に応えている。これは早く引き離してやらないと、いつまでも質問責めにあいそうだ。

「そうでしょう。うちも昨日はお祝いしたのよ。お父さんもいつになく早く帰ってきてくれて」

「母さん、恥ずかしいからやめてくれよ」

「いいじゃない、浅野君のお宅も、大喜びだったみたいなんだし」

「そうなんだけど、やっぱり照れくさいから」

徹はそう言うと、手招きをして卓也を階上へ(いざな)った。

「お母さん、相変わらずだね」

卓也はニコニコしながら、徹の後に続いて階段を上がってくる。後方から「お茶を持っていくわね」という母親の声がしたので、徹は片手を上げてそれに応えた。


「ほう、片瀬さんと京都に旅行に行くのか」

母親が持ってきてくれたコーヒーを飲みながら、徹はケーキを頬張る。卓也はいつものようにミルクティーだ。

「うん。日帰りだけど、朝早くの新幹線に乗って、夜の新幹線で帰ってくれば、半日ぐらいは観光できる。色んなところを見て回るのは無理だけど、清水寺や八坂神社のあたりに絞れば、割と充実した旅行になるようだよ」

卓也は京都のガイドブックを広げながら、徹に説明する。ガイドブックには、マーカーペンで印がつけてある。二人で相談して、訪れる観光スポットを決めてあるらしい。

「お、ここには絶対行くべきだな」

地主神社。清水寺に隣接している神社だ。縁結びのご利益があるということで、大勢の人が訪れるらしい。しっかりとマーカーで囲まれている。

「うん。ここには絶対行こうって、清美ちゃんが言ってたよ。二人で同じお守りをいただくんだ」

「清美ちゃんか。早速呼び方が変わったんだな」

「あ、うん。ちゃんと付き合うことが決まったので、さすがに苗字で呼び合うのは他人行儀だろうってことになって」

卓也は顔を赤くしながら説明をしている。きっと、清美は卓也のことを「卓也君」と呼ぶに違いない。この二人ならその呼び方以外ないだろうと徹は思った。

「徹も菊池さんとどこか旅行へ行くんだろ?」

「ああ。来週、函館へ行ってくる。函館山から見る夜景をどうしても見たいらしいんだ」

「函館の夜景は有名だしね。って、夜景を見るってことは、一泊するのか」

「ああ。親にはお前と旅行に行くってことにしようと思うので、うまくやってくれないか」

「わかったよ。何とかする。それにしても、函館かあ。修学旅行が沖縄だったから、僕も北海道には行ってみたいな」

「そうだったな。修学旅行は沖縄だった。もう俺にとっては遠い記憶だけど」

「そうか。徹にとっては、十年以上前の記憶なんだね。僕は幸運なことに二度修学旅行を体験できた。昨年の修学旅行では美ら海水族館を四人で回ったんだけど、楽しかったな」

「いや、すまん。俺にはその記憶がない。水族館は、お前らと男四人ぐらいで回ったような気がする」

「そうか。それは僕にとっては一度目の修学旅行の記憶だ。じゃあ、あの時の徹は今は存在していないってことになるのか」

「周りの人たちにとっては、そういうことになるな。俺は、周りの人たちが知っている、お前にとっての二度目の修学旅行のときの俺を知らない」

「そうか。何だか怖いね」

「これは、俺だけじゃなくお前にも起こっていることなんだがな」

周りの人にとっては、受験に失敗した卓也は存在しない。清美に想いを告げられない、奥手な卓也もいない。深く考えれば考えるほど、何か恐ろしさを感じざるを得ない。


「ところで、相談って何だろ?」

紅茶を飲み干した卓也は、ここに来た用件を漸く思い出したらしく、徹に尋ねた。

「そうだったな。実は、お互いに今感じている、何だか気持ちの悪い感覚にも通じることなんだが、俺が大学に入ってからのことなんだ」

「そう言えば、徹が大学に入ってからの話は、聞いてなかったね。社会人になってからの話もまだ聞いてない」

「何だか、話してはいけないことのように思えてな。卓也は大学を一年経験しただけだったかな」

「うん。滑り止めの大学に入って、何とかもう一度志望大学に入ろうと、仮面浪人をやってたよ」

「じゃあ、彼女も作らず、友達もあまり作らずって感じか」

「そうだね。ずっと清美ちゃんのことが好きだったんだけど、今のように想いを告げることができなくて、別の大学に入ってしまったから会えることもなかった。でもある日、偶然駅前の本屋でばったり会って、仮面浪人をしていることを知った彼女が、僕の為にセンター試験の問題をプリントアウトしてくれたんだ。こうやって志望大学に合格できたのは、未来の清美ちゃんのお陰だよ」

「ちょっと待てよ。それは、未来の片瀬さんじゃないだろ」

「え? どういうことだい?」

「今のお前は、志望大学に現役で合格することができた。片瀬さんとの繋がりは今のほうがはるかに強いだろうが、お前に将来センター試験の問題をプリントアウトしてやる必要なんてない」

「そうだね。じゃあ、この後半年ぐらい先に清美ちゃんがセンター試験の問題をプリントアウトしてくれなかったら、今の僕はどうなるんだろう」

「よくわからないが、お前がここに飛んできた日が問題になるかもな。同じように飛ばされるとしたら、また別のお前が生まれるかも知れない。そうすると、今のお前は存在しなくなる」

「ちょっと待てよ。それじゃあ、無限に僕は同じ時間を繰り返すことになるかも知れないのか」

「可能性はあるかもな。でも、俺はその先の時間を確かに生きてきた。お前が飛ばされた日の後の時間は、確かに存在するんだ。俺たちが飛ばされた原因が何かあるのなら、それを突き止めて回避することが必要じゃないのか」

「そうだね。その日は確か今年の十二月だった。それまでには時間があるから、原因を突き止めよう」

ここで徹は、あることに気が付く。

「なあ、卓也。こうは考えられないか。俺たちの今は、将来の俺たちに基づいている」

「そうだね。センター試験の問題を将来に僕が何度も解いていなかったら、今の僕は志望大学に合格できていなかったも知れない」

「片瀬さんのことだってそうだ。将来俺が片瀬さんの事故のことを知り、お前の気持ちに気づいたから、お前たちのことを応援することができた」

「うん。徹の後押しがなければ、僕たちが付き合うということはなかったかも知れない」

「ということは、現在はその将来の続きであるわけだ。言い換えるなら、将来と俺たちが呼んでいる時間は、俺たちにとっては過去なんじゃないか?」

「科学的にどうなのかはわからないけど、時間の連続性を考えるなら、その通りだね」

「例えば、この一本の紐。これが時間の流れだとするぞ」

徹は、ケーキの箱を縛ってあったプラスチック製の紐を手に取る。

「普通はこの紐はただ真っすぐ伸びているだけだ。それが、俺たちの場合、ここでこうぐるんと回っている」

徹は、紐を手元で一周回して輪を作る。

「周りの人にはこの回ってまた同じところにきたところと、元の一直線の紐がつながっているように見えている。でも、俺たちにはこの輪になっている部分の紐も、時間の流れなんだ」

「なるほど。そう考えれば、将来が過去という説明も納得できるね」

「そう。だから、お前にセンター試験の問題を渡した片瀬さんは、将来の片瀬さんではなく、やはり過去の存在なんだ。でも、片瀬さん本人や周りの人たちにとっては、この輪になっている時間軸は存在しない」

「だから、この輪の接点で大きくその人の考え方や能力が変わっていて、驚くことがあるんだね。徹が急に変わって、僕が驚いたように」

「つまり、恐らく時間は連続しているから、この後片瀬さんがセンター試験の問題を渡さなくても、お前の存在は無くならない」

「なるほど。ちょっと安心したよ。でも、僕と徹が飛ばされたのには、時間のずれもあるし、その期間の長さも違うだろ? ということは、どういうことだろう」

「それはだな」

徹は輪の先の紐をつまみ、輪を取り囲むように大きな輪を作って、紐の手前の部分にくっつける。

「このように、もう一つの大きな輪ができているんじゃないかな。そうすれば、説明がつく」

「いや、それはおかしいよ。それだと、徹の記憶の中には、志望大学に現役で合格した僕がいるはずだ。徹は、僕が飛ばされる前の僕しか知らなかったんだろう? むしろ、この紐が枝分かれして、輪っかを作ったり、くっついたりしていると考えたほうがいいんじゃないか?」

「なるほど、さすが卓也だな。しかし、そうなるといくつもの時間の流れがあるっていうことになるな」

「多分、そうなんだよ。これから僕が作ろうとしているのは、清美ちゃんが事故で死なない、違う時間の流れだ。そうでないと、事故があったことを知っている徹がいる限り、清美ちゃんを救うのは無理だってことになる」

「そうだな。そしてそれは、既に実証されている。俺が知っているお前は、受験に失敗して仮面浪人をしたお前だ。今のお前がいるということは、確かに違う時間の流れになっているってことだ」

「そうか、そうだよね。良かった。清美ちゃんを救うことは可能なんだ」

卓也は安心したのか、手を頭の後ろに回し、上体を倒して仰向けになる。

「随分話が逸れたな。それで、俺の相談なんだが」

卓也は起き上がり、バツの悪そうに頭を掻く。

「そうだった。何だろう、相談って」

「昨日の合格発表で、祥子が合格したことがわかった」

「そうだね。勉強の成果が出て良かった」

「それだけならまだいいんだが、高橋さんも合格しただろ」

「うん。こっちも一緒に頑張って来た甲斐があったね」

「で、合格するはずだった人が不合格になった」

「え、もしかして、原田さん?」

「卓也も知っていたのか」

「うん。清美ちゃんから聞いたよ。一緒にヨーロッパ旅行に行くはずだったんだけど、原田さんが浪人することになったから、取りやめにしたんだって」

「そうだったのか。普通なら、もう一年頑張ってと応援すれば済むことのように見えるが、俺にとってはもっと重要な意味を持つんだ」

「え? 重要な意味って?」

「まだ卓也には話していなかったが、俺は大学時代の彼女と結婚をした。美由紀というんだが、実は同い年の彼女で、国文学科だったんだ。そして、美由紀は原田さんの紹介で知り合った」

「ええっ、じゃあ、その奥さんと知り合うきっかけが失われたってこと?」

「そういうことだ。さらに言うなら、合格発表では受験番号しかわからなくて、美由紀が合格したかどうかもわからない。彼女の姿を探したんだが、見つけられなかったよ」

「でも、もし仮に原田さんが合格できなかったのが高橋さんが合格したせいで、いや、僕らが高橋さんを合格させたせいだったとしても、それはひとり分だけの話だろ? 奥さんは大丈夫じゃないのかな」

「俺たちだけが飛ばされてきたならって話だがな」

「でも、周りにそんな人の存在を感じたことはないよ」

「いや、確かに何かが変わっていると感じたことは俺にはあった。例えば、センターの生物の問題」

「そう言えばそうだね。僕の記憶とは違う問題が、数学でもあった」

「同じ人が作問をしているとは思うんだが、何かがどこか違うという気持ち悪さが俺にはある。もしかして、俺たちのほかにも飛ばされた人がいるんじゃないだろうかって思うようになったよ」

「それはそうだね。もし、そういう人がいたとしても、自分からは他人に言うことはないだろうし、その人が本当に未来から来たかどうかわかるのは、僕たちのような人だけだしね」

「入学してみれば、以前と違う入学者がいればわかるだろうし、そいつは要チェックだと思っている」

「でも、原田さんの例もあるから、以前と違う人がいたって、その人が飛ばされてきたとは限らないんじゃないかな。飛ばされてきて、徹のように学力が落ちる人間だっているかも知れないし」

「そうだな。飛ばされてきたって、より良く生きられるとは限らないか。うちの大学よりいい大学に行くやつだっているだろうし、思ったような研究ができないと思って別の大学に行くやつもいるかも知れないか」

「そうだよ。確かに要チェックだけど、決めつけるのは危険だよ」

徹は、冷めたコーヒーを飲み干す。煙草を吸えればいいのだが、まだ暫くは自宅で吸うのは難しい。

「それはわかった。話を戻そう。美由紀と結婚できないということになれば、さらに問題が起こる」

「もしかして、お子さんがいたのか?」

「幸平といってな。俺が飛ばされる前は5歳だった」

「それは深刻な問題だね」

「ああ。美由紀と結婚できないのは諦められるかも知れないんだが、幸平が生を受けることができないことになるのは、やりきれない」

「そうだね。じゃあ徹は、幸平君のために美由紀さんと結婚したいということなんだね」

「親の気持ちなんて、親にしかわかならないものだって聞いたことがあるんだが、幸平を想う気持ちってのは、特別なものだ。子どものために親は生きる。確かにそういう生き方もあるんだろうな」

卓也は黙り込んでしまった。色々と考えているのだろう。話してはみたが、卓也に何とかできることではないのかも知れない。それでも、話さずにはいられなかった。自分の気持ちを話せるのは卓也だけなのだ。

徹は、ベッドの裏に隠してある煙草に手を伸ばした。卓也を駅まで送って行って、帰りにどこかで一本吸おう。そうせずにはいられない気分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ