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過去を掴んだ男たち  作者: 榊原高次
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十三

十三

お気に入りのジャケットを着て、卓也は噴水の前に立っていた。清美の家は同じ駅の反対側にあるのだが、小さな駅なのでデートをできるようなスポットは少ない。やはり、この大きな駅で待ち合わせするのが一番だった。右手には十二冊の文庫本が入った紙袋。清美に現在貸している三巻目の本を除いたシリーズ全冊だ。

「お待たせしました!」

清美が突然、視界に飛び込んできた。斜め後方からそっと近づいてきたらしい。水色のパーカーにジーンズとスニーカー。今日は髪をポニーテールにしている。いつもより活動的な印象だ。

「今日はいつもより動きやすそうだね」

「へへーん、そうでしょ?」

清美は、その場でくるっと一周回って見せる。やはり可愛い。

「あ、そうだ。これ、プレゼントの本」

卓也はあまりの眩しさに直視できず、視線を下に向けながら紙袋を差し出す。

「ありがとう。大切に読むね」

清美は両手で紙袋の持ち手を握る。その手が自分の右手に少し触れただけで、卓也は心臓の音が高鳴るのを感じた。

「でも、やっぱりちょっと重いな。ねぇ、これはコインロッカーに預けてもいいかな?」

「そうだね、そのほうがいいかな。ちょっとした荷物になって、どこに行くにも邪魔になるかもね」

「じゃあ、預けてくる。ちょっと待っててね」

清美は小走りに駅の構内に走っていく。卓也はプレゼントを最後に渡せば良かったと少し後悔をしたが、笑顔で戻ってきた清美を見て、そんなことはすぐに忘れてしまった。

「あのね、浅野君。私、連れて行って欲しいところがあるんだ」

「どこかな?」

「遊園地。久しぶりに、思いっきり遊びたいの」

「なるほど、それでその格好なんだね」

「えへへ。実はそうなんだ」

若者にも人気がある遊園地へは、別の鉄道路線を利用すれば最寄り駅から歩くことができるのだが、この駅からもバスに乗って行くことができる。ふと見ると、その遊園地行きのバスがロータリーに停車しているのが見えた。

「じゃあ、あのバスだね」

「うん。あっ、エンジンがかかったんじゃない?」

この駅はバスのターミナルになっていて、大抵のバスはここが始発になっている。乗り場についたバスは、昇降口のドアを開放し、エンジンを止めて発車の時間を待つ。エンジンがかかったということは、間もなく発車するということだ。

二人は走ってバス乗り場に向かう。危うくドアが閉まるところだったが、清美が運転手に手を振って乗ることを知らせ、間一髪でバスに乗り込むことができた。

車内は、日曜日ではあるが意外と空いていた。もう11時になろうとしているので、開園時間に合わせるつもりの乗客は、もっと早く遊園地に向かったのかも知れない。また、別の鉄道路線から歩く人のほうが多く、このバスを使う人は少ないのかも知れない。

二人は一番後方の座席に腰掛けた。窓際に清美。一番後方の座席でスペースに余裕があるので、卓也は少しだけ距離を置いて清美の隣に座った。

「この遊園地に行くの、久しぶりだな。中学以来かも」

清美は楽しみで仕方ないといった素振りで、窓の外を眺めている。

「そう言えば、片瀬さんと僕の家はそんなに遠くないよね。小学校や中学校でも一緒だった?」

「中学校は少しだけ一緒だったよ。私、中学3年生のときにお父さんの転勤で札幌から引っ越してきたの。浅野君は2組だったでしょ? 私は5組だったんだ」

「えっ、僕のこと、その頃から知ってたの?」

「うん。だって、受験前に引っ越してきて、成績のいい人はすごく気になってたから。ちょっと勉強には自信があったんだけど、やっぱり東京の人たちはレベルが違うなって思ったよ」

卓也の通っていた中学校から今の高校に入学したのは20人ぐらいだった。この辺りの公立校としてはトップ校で、それ以上のレベルの学校を目指す生徒たちは都内の私立に進学したのだ。それ程裕福ともいえない家庭で育ってきた卓也にとっては、選択肢はこの高校しかなかった。何が何でも合格しなくてはと勉強に打ち込んでいて女子に興味を持たなかったからなのか、清美のことはあまり覚えていない。

「私のことは覚えてないの?」

清美がいたずらっぽく笑いながら、卓也の顔を覗き込む。

「あ、えっと、うーん…」

返答に困った。「覚えてるよ」なんて嘘を言えば、いずれバレるだろう。かといって、「全く記憶にございません」などと言えば、それこそイメージダウンは避けられない。

「あはは、覚えてないのは無理もないと思う。だって私、二学期の終わりに引っ越してきたんだもの」

「そうだったんだ。さすがに修学旅行とかで一緒になっていたら、覚えていないはずないもんね。でも、本当に受験直前に引っ越してきたんだね。大変だったんじゃ?」

受験前の環境の変化。その大変さは、徹を見ていればよくわかる。

「そりゃあ、もう。教科書は違うし、友達はいないし、どのスーパーが安いのかもわからないし」

「僕だってどのスーパーが安いかは、今もわからないな」

「私はひとりっ子だから、よくお母さんとお買い物に行くの。やっぱり、安いスーパーを知っておくことは大事なんだ」

そう、あのお母さんと清美ならば、一緒に買い物に行く光景は容易に想像できる。思わず何度も頷いてしまった。

「浅野君は妹さんがいるんでしょ? お母さんと買い物に行くのは、やっぱり妹さんの役目?」

「いや、妹はあんまり母さんと買い物には出掛けないな。うちは父さんと母さんの仲がいいんで、休みの日なんかはよく二人で買い物に出かけてるみたいだよ」

「いいな、そういうの」

卓也と清美は、そこでお互いの目を見つめたまま、暫く止まってしまった。無言が逆に何かを語りかけるような時間。清美が何を考えているかはわからないが、卓也はもちろん、清美とスーパーに買い物に行く姿を夢想していた。

バスのエンジン音が、大きな音を立て始めた。遊園地は小高い山の中腹にある。終着のターミナルに着く前の最後のひと踏ん張りの音だ。

「そろそろ着きそうだね」

視線を外に向けて、卓也は声だけを清美に向けた。

「うん!」

清美も声を弾ませて、窓の外を見る。住宅街が見下ろせるような山道になっていた。夜になれば、さぞ夜景が綺麗だろう。


卓也は高いところが苦手だ。高所恐怖症と言ってもいい。それに対して、清美は高いところがどちらかと言えば好きなほうらしく、乗ろうと言い出すのは高低差を利用した絶叫系のアトラクションばかりだった。

「次はやっぱりあのジェットコースターね」

清美は卓也の手を引っ張って、どんどん前へ進んでいく。

「飲み物でも買って、ちょっと休まない?」

先ほど高いところから急に落とされる自由落下の恐怖を味わったばかりの卓也は、懇願を含めて清美に少しの休息を提案する。

「じゃあ、飲み物を買って、列に並びましょう。きっと20分ぐらいは並ばなきゃならないしね。私、買ってくるから。浅野君は列に並んでおいてくれないかな」

卓也のコーラが欲しいというオーダーを聞いたあと、清美はドリンクコーナーを見つけて走っていく。仕方なく卓也はジェットコースター乗り場に並ぶ列の一番後方に並び、前方にそびえ立つジェットコースターのコースを見上げた。前方2回転3回ひねり、その後3回ひねり後方2回転。体操競技だとかなり高難度の技になるのではないか。これからこの恐怖に打ち克たなければならないと思うと、思わずため息が出る。

「お待たせ。思ったほど並んでないね」

清美が5分ほどで列に合流した。手には蓋つきの大きさの異なる紙コップが2つ。ひとつはホットコーヒーらしい。列がそれ程長くないのは、ファミリー向けの遊園地で家族での来園者が多く、小さな子どもが乗れないこともあるのだろう。

「こんな絶叫マシンに乗る前に、よくコーヒーなんて飲めるね」

こんな状況でなくてもコーヒーが苦手な卓也にとっては、考えられない選択だ。

「ちょっと寒いので。もうすっかり秋だね」

紅葉にはまだ早いが、肌寒さを少し感じるようになった。日曜日だということもあって多くの人がこの遊園地を訪れてはいるが、数週間もすればもっと込み具合は緩和されるだろう。センター試験本番まであと三か月を切った。来月には一次選考が行われる清美にとっては、これが最後の息抜きなのかも知れない。


予想通り、卓也にとってこのジェットコースターは、かなりハードなものだった。スピードがあまりに早く、最高到達点の高さをあまり実感できなかったことがせめての救いだった。

「大丈夫かな?」

うつむき加減の卓也を心配して、清美が顔を覗き込む。

「何とか」

強がって顔を上げるが、あまり大丈夫とは言えない。

「少し休みましょう」

清美はドリンクコーナーの前にあるパラソルつきのテーブルに空席を見つけ、「そこに座っていて」と卓也に命じ、何かを買いにカウンターへ向かっていった。

この数日間、徹が味方になってくれたお陰で、卓也の時間は大きく変化した。清美とこんな時間が持てるなど、以前の卓也では考えられなかった。しかし、喜んでばかりもいられない。13年後の悲劇を回避させることが、卓也の使命であるのだ。

「どっちがいいかな?」

清美がソフトクリームを両手に持って帰ってきた。

「じゃあ、バニラで」

清美は白いソフトクリームを渡すと、自分は徹の横の席に腰掛けると、ストロベリーのソフトクリームを食べ始めた。

「浅野君って、竹内君、菊池さん、高橋さんの四人でよく遊びに行ってるんでしょ?」

「うん。徹とは友達なんで、自然と皆で集まることが多いかな。遊びに行くだけじゃなくて、勉強会もしてるよ」

「そうなんだ。菊池さんは竹内君の彼女なんでしょ? 高橋さんが浅野君の彼女なのかと思ってた」

「いやいや、高橋さんは菊池さんの友達なので、その四人で集まることが多くて。僕の彼女なんかじゃないよ」

「そっか。じゃあ、安心した。彼女がいるのに悪いなって少し思ってたんだ」

やはりあの四人グループは、周りから見れば二組のカップルだと映るだろう。薄々気にはなっていたのだが、清美にもそう思われていたとは。

「でも、高橋さんがどう思っているかはわからないよね」

…考えてもいなかった。でも、自分に気があるような素振りを瑞穂が見せたことはない。自分が鈍感なだけなのか?

「考えすぎじゃないかな。そんな意識をしたことはないよ」

「ならいいけど。私だって負けるつもりはないし」

「…え?」

ソフトクリームを食べ終えた清美が、不意に立ち上げる。

「今度はあれに乗ろう!」

卓也は食べかけのソフトクリームを持ったままで、急いで立ち上がった。清美の指さす方向には、大観覧車が見える。高いところが苦手な卓也は、それを見てやはり少し気後れを感じた。

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