十二
十二
まずまずといったところか。中間テストの校内順位発表の掲示板を見て、徹は胸をなで下ろした。学年十一位。十位以内をキープすることはできなかったが、こちらに飛ばされてからの準備期間の短さを考えれば、上出来と言えるだろう。卓也のアドバイス通りに夏期講習の復習をしたことで、それぞれの教科の内容をだいたい思い出せたのが大きい。その上で定期テストの試験範囲の問題を解くことに専念し、何とか順位を大きく落とすことを回避できたのだ。
卓也はついに学年一位に躍り出た。先日の模試でも全国一〇〇位以内に入ったというし、志望大学の合格は間違いないだろう。
「十一番かぁ。ちょっとだけだけど、順位を落としちゃったね」
並んで掲示を見ていた祥子が自分のことのように残念がっている。
「祥子は二十三位か。頑張ったな」
徹は内心驚きながら、彼女の頑張りをねぎらう。自分の記憶では、祥子がこれ程成績が良かったことはない。高校時代は学年で一〇〇位を少し切る位の成績だったはずだ。
「やっぱり、徹や浅野君、瑞穂とやってる勉強会のお陰かな」
祥子は嬉しそうに頭を差し出す。徹は軽く祥子の頭を撫でてやりながら、瑞穂の順位も確認する。二十七位。これも大躍進と言っていいだろう。
四人での勉強会は、瑞穂の発案で行われるようになった。日曜日の夜、二時間限定で行う勉強会だ。それぞれ得意とする教科の問題をピックアップしておき、苦手としているメンバーに解かせる。答え合わせをして、間違っているところを出題した者が解説するというやり方だ。解説を聞いているほかのメンバーにも勉強になるし、問題を解くメンバーはもちろん、問題をピックアップして解説を用意する出題者にとってもいい勉強になっている。
教室に戻ると、卓也が清美と話をしているのが目に入った。卓也は顔を少し紅潮させながら、何かを一生懸命説明している。どうやら、貸している三国志についての話のようだ。
「よう、とうとうやったな。一位おめでとう」
卓也に声を掛ける。
「ありがとう。あまり経験がなくて実感もないんだけど、一度だけでもなれて嬉しいよ」
「そう謙遜しなさんなって。日ごろ頑張っているのは俺がよく知っているから、当然の結果だと思うよ」
「そうよ。浅野君、すごく頑張ってるもの」
清美が同調して卓也を持ち上げる。
「で、お二人さんは何の話をしていたんだ?」
「私が借りている本の話。三国志を借りてるんだ。中間テストが終わってまた読み始めたんだけど、誰が何をした人かよく分からなくなっちゃって」
「三国志は登場人物が多いからね。少し解説をしてたんだ」
「なるほど。片瀬さんは何巻まで読んだの?」
「まだ三巻目よ。ねぇ浅野君、これって何巻まであるの?」
「全部で十三巻だよ。片瀬さんは推薦入試が近いから、急いで読まなくていいよ。息抜きのときにでもゆっくり読んで」
シナリオ通りの展開になってきたと徹は思いながら、卓也をアシストする。
「卓也は全部読んだんだろ? プレゼントしたらどうだ? 片瀬さんの誕生日っていつ?」
「えっ、そんなのいいよ。誕生日はすぐなんだけど…」
「すぐって、今月?」
「十九日だけど…」
「十九日って明後日の日曜じゃないか。タイミングいいな。卓也、どうだ?」
「そうだね。中古で申し訳ないけど、大事に読んでるから綺麗だし、片瀬さんが良ければ」
「本当に? 嬉しい」
「じゃあ、決まりだな。日曜日に少しでも時間があるなら、卓也とデートしてやってよ」
「おいおい、徹、そんな強引に…」
「私は誘ってくれるなら嬉しいけど」
清美も卓也と同様、顔を少し赤らめている。
「じゃあ、決まりだな。まぁ、俺が口出しすることじゃないし、あとは二人で決めなよ」
徹は卓也に軽くウインクをすると、自分の席に座った。
これで卓也と清美の距離はだいぶ縮まるはずだ。清美も脈がありそうだし、問題はないだろう。思った以上にうまくいっている状況を見て、徹は安心をする。しかし、十三年後のあの事故のことを話すべきかどうか、徹は迷っていた。あの日、互いの状況を確認して協力を約束した公園でも、そのことは言えなかった。そのことを卓也が聞いたら、どれほどショックを受けるだろう。
しかし、確実に状況は変わってきている。卓也は志望大学に入るだろうし、祥子も瑞穂も成績は段違いにアップしている。もしかしたら、清美が事故に遭うことも回避できるのではないか。
やっぱり話そうと徹は決めた。勉強も、そして恋もこんなに頑張っているのに、あんな悲しい別れをしなければならないなんて、あまりにも卓也が可哀そうだ。折角やり直す機会を得た自分たちなのだ。一人の命を救うことが許されないわけがない。
「卓也、今日は天気もいいし、昼メシは屋上で食おう」
清美と話し込んでいる卓也に徹は声を掛ける。
「何だよ、まだ一時間目も始まっていないのに、もうお腹すいたのかい? まぁいいけど」
卓也は上機嫌で返事を返す。やっぱり顔は赤い。
昼休み。徹は卓也と連れ立って、屋上にやってきた。あまり人がいないだろうと考えていたのだが、いくつかの女子グループが弁当を広げている。できるだけそれを避けて、徹はフェンスを背にして座り込んだ。
「さあ、食べようか」
徹は弁当を広げる。今日は好物のハンバーグが入っている。
「で、何の話なんだ?」
卓也も弁当を広げながら、徹の顔を覗き込む。
「やっぱりお前は勘がいいな。重要なことなんだ。この前話そうとしたんだが、言えなくて」
「片瀬さんのこと? 将来、誰かの奥さんになっているとか。まさか、徹じゃないだろうね」
徹は首を振りながら答える。
「まさか。そんなんじゃないさ。片瀬さんのことには違いないんだが」
「じゃあ…何? 聞かないほうがいいのかな」
何か重要なことであることを察知したのか、卓也は自分の弁当の蓋を開けながら伏し目がちに話す。
「そうだな。俺も話そうか迷ったんだが、お前とこの時間を過ごしてきて、未来は変えられると感じたので話すことにしたんだ」
卓也は黙って、弁当の卵焼きを口に入れている。
「俺が三十一歳の時から飛ばされたってことは、この前話したよな」
「うん。僕は大学一年のときからなので、随分境遇が違うなと思っていたよ」
「俺が飛ばされたのは、二〇一六年の九月二十九日の夜のことだ。いや、寝ている間だったので、もしかしたら翌日の朝かも知れないが」
「寝ている間に飛ばされたのは、僕と同じだね」
「そうか。でも、今話そうとしているのは、俺たちが飛ばされた話じゃない。飛ばされた日の別のことなんだ。実は、俺はその日お前とある場所で会った」
「三十一歳でも時々会ってたのかい?」
「いや、その時あったのは久しぶりだ。お前から電話があって、その場所に駆け付けたんだ。片瀬さんの告別式に」
「えっ。片瀬さんの?」
卓也は動揺してウインナーを箸から落とす。
「そうだ。その二週間前に、飛行機の事故に遭ったということだった。スペイン上空での事故だそうだ」
卓也は黙って下を向いている。
「その時、お前が片瀬さんに想いを告げられなかったのだということを知ったんだ」
「…それで今、協力してくれているわけか」
「そうだ。その時の辛そうなお前の横顔を見ても、俺は何も声が掛けられなかった。そして、何もできるはずもなかった。でも、今は違う。その未来を知ったお前なら、片瀬さんの運命を変えられる」
「それは、徹も同じじゃないのか?」
「どうやって? 俺が未来から来たことを片瀬さんに話すのか? 頭がおかしいと思われるのがオチだろ。それに、お前が片瀬さんを想う気持ちとはレベルが違う」
「…そうだな。僕が何とかしなきゃ」
卓也が徹を見つめている。その瞳には決意の色が滲み出ていた。
「詳しく教えてくれ。片瀬さんが事故に遭ったのは、何年の何月何日だ?」
「二〇一六年の九月十五日だ。それは日本時間なので、えっとヨーロッパでは何日になるのかな」
「7~8時間ほど前になると思うけど、それはいいよ。二〇一六年の九月十五日だね」
「ああ。何という航空会社だったかは、申し訳ないが覚えてない」
「いや、十分だよ。その日にヨーロッパに行かせなければいいんだ」
「そうなんだが、気になっていることがひとつある。お前、片瀬さんが卒業旅行でヨーロッパに行くと言っていたよな」
「そうだけど。あっ、なるほど。それで国内にしろとかオーストラリアにしろとか言ってたわけか」
「実はそうなんだ。その卒業旅行がきっかけで、ヨーロッパの魅力に取り憑かれるんじゃないかと思ってな」
「そうかも知れない。でも、一年後に本屋で会ったときにも、旅行代理店に勤めるために資格を取るんだって言ってたんだ。僕には、片瀬さんの夢を諦めさせるようなことはできない」
「そうか。確かに夢を諦めろと言うのは難しいな。明確な理由を話せないとなると、なおさらだ」
夢を叶え、さらにその日時に事故を起こした便に乗せない方法などあるのか。…いや、ある。卓也ならそれができる。
「卓也。お前、片瀬さんと結婚しろ」
「な、何だって? そんなことできるかどうか。それに、片瀬さんが別の人と結婚する可能性だって…」
「いや、その可能性はない。事故に遭った日には、片瀬さんは独身だった。告別式はお父さんが喪主で挨拶をしていたし、名前も片瀬のままだった」
「そうか、それなら僕にもチャンスはあるわけか」
「チャンスといえばチャンスだが、これはお前の使命でもあるんだぞ。片瀬さんを救うという使命だ。いいか、事故の日までには結婚して、寿退社させるんだ。退職させるのが難しければ、子供を作れ。そうすれば、海外赴任とか海外旅行とかに行く可能性はかなり低くなる」
「なるほど、そうか。これは、僕の幸せの為だけじゃないんだね。片瀬さんを救う為でもあるんだ。勇気がないなんて言ってられないな」
卓也は意を決したようだ。あとは、うまくゴールインできるのを祈るのみ。まずは、今度の日曜日にプレゼントを渡すところからだが。徹は自分なりの役割を果たせたことで漸く一息ついて、好物のハンバーグに箸を伸ばす。
「なあ、今度プレゼントするのは三国志だろ? もしかしたら、ヨーロッパよりも中国に興味を持つなんてことはないかな?」
「どうだろう。この前会ったときはヨーロッパのガイドブックを買ってたしね。やっぱり、旅行に行くのはヨーロッパじゃないかな」
「そうか。やっぱりヨーロッパ以外の国に興味を持たせるのは難しいか」
「でも、できるだけのことはやってみるよ。大学生になって付き合えたら、国内の観光地に一緒に色々行ってみる。そうすれば、国内も捨てたものじゃないって思うかも知れないしね」
「そうだな。いいかも知れないな。でも、二人で旅行に行くなんて、相当ハードル高いぞ?」
「うっ、そうだね…。そうだ、徹も一緒に行かない? 菊池さんも誘ってさ」
…祥子。本来なら大学受験に失敗し、浪人をするはずだ。しかし、今の学力ならば、もしかしたら同じ大学に入学できるかも知れない。そうなると、大学で知り合った妻の美由紀とはどうなるのか。美由紀と結婚しないということになると、幸平は生まれてこないことになる。それでいいのか。
「どうしたの? 頭が痛いの?」
気が付くと、卓也が徹の顔を覗き込んでいた。知らない間に頭を抱えていたらしい。
「いや、大丈夫だ。グループでの旅行のことは考えておくよ。お前たちが二人で行ったほうが、仲は深まるだろうけどな」
「うん。頼むよ。…いけない、もう昼休みが終わるよ。早く食べてしまわなくちゃ」
時計は、昼休みの終了5分前を指している。まだ半分も食べていない弁当を、二人は急いでかきこんだ。