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過去を掴んだ男たち  作者: 榊原高次
10/25

…本当にやばい。徹は焦っていた。

昨日の授業、そして今日の祥子の英語の問題。自宅に帰って夕食を済ませると、徹は机に向かって教科書を開いてみた。ざっと、覚えているかどうかを確かめる。国語はどうにかなりそうだが、数学や理科の二教科、社会などは忘れていることだらけだ。

昨日も学校が終わってから教科書を開いてみたが、それよりもなぜこうなったか、どうしたら戻れるのかを考えてあまり集中できなかった。やはり答えは見つからず、寝て起きたら元に戻っているのではないかと思い、早い時間に床に就いたのだ。しかし、目覚めても状況は変わらなかった。仕方なく、今の差し迫った問題を何とかしなければならないという結論を出し、待ち合わせの場所に向かったのだ。

頭の中で計算をしてみる。センター試験までは、あと三か月半。一通り受験科目のおさらいをするのに一か月、いや二か月か。それからセンター対策に使える時間は、一か月ほどしかない。本当に間に合うのか。

その時、机に置いてあった携帯が震えた。画面に名前が映し出される。卓也からだ。通話ボタンを押す。

「徹、今日はありがとう。ところで、今日貰ったスケジュール帳なんだけど、十月十九日にハートのマークがついてるのは何かな」

早速気づいたらしいと、徹は思う。卓也がトイレに行っている間に祥子が書き込んだのだが、それから祥子があまりにもニヤニヤするので、気づかれるのではないかとヒヤヒヤしたのだ。いずれ気づかれるのは分っていたが、本人が気づくまで内緒にしておこうということになっていた。卓也の後期の予定を徹が書き込んだのは、そのためだ。

「片瀬さんの誕生日だよ。祥子に聞いたんだ」

「えっ! なんで? 何故片瀬さんの誕生日にマークをつけてるんだ?」

「お前、片瀬さんのことが好きなんだろう?」

徹は知っている。雨の降ったあの日、バスの中で本人が認めたのだ。

「そ、そんなこと…」

「ないことないよな? 昨日の食堂で、ピンときたよ。それに、よくお前は片瀬さんを目で追いかけてるしな。友達だろ? 隠さなくてもいいじゃないか」

ここに来てから学校での記憶は昨日一日分しかないので、よく目で追いかけているのを知っているというのはハッタリだが、卓也が清美を好きだという事実は変わらないはずだ。

「片瀬さんは女子大に行くんだろ? このままでいいのか?」

さらに徹は畳みかける。

「それは…良くない」

卓也が小声で呟く。もう白状したのと同じだ。

「こういうことに関して、お前が奥手なのはよく知っている。でも、このまま自分の気持ちを伝えられずに離れ離れになるのを、俺は見ていられない」

「そうか、それで片瀬さんの誕生日にマークを。菊池さんも知っているんだね。それでニヤニヤしていたのか」

「ああ。お前がトイレに行っている間に思いついたんだ。俺は片瀬さんの誕生日を知らないし、祥子に協力してもらうことにしたんだ」

「ありがとう。自分で何とかしようと思っていたんだけど、徹の気持ちは嬉しいよ。まだどうしたらいいのかは、わからないけど」

「じゃあ、明日お前の家に行ってもいいかな。このことについて相談しよう。あと、俺の相談にも乗ってくれないかな。勉強のことなんだけど」

「わかった。じゃあ、明日は一緒に帰ろう。親には徹が来ることを言っておく。菊池さんは呼ばなくていいよね?」

「ああ、行きたがるだろうけど、まずは二人で相談してからだな。祥子には俺がうまく言っておくよ」

「ありがとう。じゃあ、明日」

「おう。また明日」

携帯電話を机に置くと、徹はほっと一息ついた。これで、気にかかっていた卓也と清美のことについては進展するかも知れない。勉強の相談もできるし、一石二鳥だ。勉強の相談は、効率よい一通りの復習の仕方かセンター対策を聞いてみよう。

…こういうときは、一服やりたい。改めて、卓也に見つかって捨ててしまった煙草をもったいなく思う。やはり、卓也には悪いが、煙草を買ってこよう。ジャケットを羽織り、徹は小銭を確かめて外に出た。夜は、漸く秋らしさが感じられる涼しさになっていた。


「ただいま。徹も一緒だよ。上がってもらうね」

卓也は玄関で母親に声を掛けると、きちんと靴を揃えた。徹も真似をして靴を揃える。

「おかえりなさい。竹内君、いらっしゃい」

母親がキッチンから顔を出し、徹に声を掛けた。徹は二年の時から同じクラスで、三年になってからはよく卓也の家に押しかけてきていた。勉強を一緒にするためだが、今日に限って言えば主目的はそうではない。

「あとでお茶を持っていくからね。竹内君、ゆっくりしていってちょうだい」

母親も慣れたものである。二人は、階段を上がって卓也の部屋に入る。

「さて、母さんがお茶を持ってくるから、まずは勉強の相談を先に済ませてしまおうか」

さすがに、清美のことは親には聞かれたくない。いつもの通り勉強をしにきたと思わせておくべきだと卓也は考えた。

「そうだな」と徹は応えながらも、部屋をきょろきょろと見回している。

「どうしたんだ? そんなに僕の部屋が珍しいかな。このところよく来てるけど。あまり変わってないよ」

「いや、改めて見ると、整理されているなって思っただけだ。俺の部屋とは大違いだ」

「徹の部屋だって、散らかっているってほどじゃないじゃないか」

卓也はそう言いながら、徹が最近この時代に飛ばされてきたのではないかと考えていたことを思い出す。久しぶりにこの部屋に入ったのかも知れない。先日までの徹とは別の徹。見た目は何も変わらないので、ややこしい。

「いや、一見整理されているようには見えるだろうけど、卓也のようにきちんと文庫本を一巻から順番通りに並べるなんてことはしてないな。巻数が順番通りでなくても、一つにまとまっていればいい」

これは、性格の違いによるものだろう。何でもきちんとしなければ気の済まない自分とは違うタイプの人間なのだ。

「えっと、じゃあ、何を聞きたいのかな。具体的にわからない問題があれば、一緒に考えてみるけど」

「いや、そうじゃないんだ。センター試験が近づいてきたので、ちょっと焦りが出てきて。受験科目を短期間で一通り復習する方法を一緒に考えてくれると有難いんだが」

ここで卓也は、徹は自分とは境遇が違うのかも知れないと思い始める。自分と同じ大学一年から飛ばされたのであれば、一通りの受験勉強が終わってから間もないので、それほど焦りはないはずだ。むしろ受験勉強の基礎ができていて上積みできるわけだから、得点が伸びる可能性が高い。もしかしたら、もっと年齢を重ねた時点から飛ばされてきたのか。場合によっては、逆に年齢が若い頃から飛ばされてきたのかも知れない。いや、今年のアニソンが歌えて、先のストーリーまで知っていることから考えると、やはり過去ではなく未来から飛ばされてきたとしか思えない。

「おい、卓也。何とか言ってくれよ。本当に焦っているんだ」

黙りこくる卓也を見て、徹は顔を覗き込む。そうだ、今は何とか徹を助けてやらねばならない。

「そうだな。一番いいのは、予備校でやった夏期講習のテキストを見直して、一通り問題を解いてみることだと思うよ」

「夏期講習かぁ」

徹は記憶を辿っているようだ。この夏も、そして以前の三年生の夏も、卓也と徹は同じ予備校の夏期講習に通っていた。6週間ほどの期間で、自分の受験科目に合わせた授業を受け、一通りの復習とレベルアップのための問題演習をやらされたのだ。

「夏期講習では一通りの範囲をやったし、基礎問題も数をこなしただろ。それを復習するのが一番じゃないかな」

「なるほど、そうかもな。家に帰ったら、テキストを探してみるよ。どんなやつだっけ?」

どうやら、どんなテキストだったのか忘れているらしい。卓也はストッカーとして使っている衣装ケースから夏期講習のテキストを探し出し、テーブルに積み上げる。

「これだよ。思い出した?」

「おお、そうだった。こんなにあったっけ?」

「僕も同じだけど、徹の受験する大学は、センターで8科目の受験が必要だろ? それにそれぞれの科目に少なくても4つは講座があったから、30冊以上はあるね」

「うはぁ。何だか滅入ってきた。これをやるのに何日かかるかな」

「夏期講習は6週間で土日は休みだったから、毎日同じペースでできれば6週間ということになるね。でも、学校があるから同じペースでは平日はできない。土日どれだけできるかが勝負かな」

テキストの内容を確認したあと、徹はテーブルに突っ伏した。講義を聞く時間はないので、うまく復習できればそれなりに時間は短縮できるはずなのだが、この様子だと内容をあまり覚えていないらしい。

「徹は現国が得意だっただろ? そういう科目は、斜め読みしてもいいんじゃないかな」

「そうだよな。家に帰ったらゆっくりテキストとにらめっこして、スケジュールを立ててみる。的確なアドバイス、ありがとうな」

徹はやるしかないと吹っ切れたようだ。もともと志望校に現役で合格できた優秀な奴だ。しっかりと復習すれば、何とかなるだろう。

その時、母親が紅茶とシュークリームを持ってきた。テーブルの上に置かれた夏期講習のテキストを見て、いつもの光景と思ってくれただろう。

「勉強の相談はそれだけかな?」

シュークリームを頬張りながら、卓也は徹に聞く。

「いや、本当はセンター対策をどうやっているか聞いてみたかったんだが、またでいいや」

徹もシュークリームにかぶりつきながら応える。

「センターか。前にも言ったけど、過去問をどんどんやって慣れるといいと思うよ」

「そうだっけ。ついでだから、やっぱりその方法も聞いておこうかな」

「大学の前期試験、後期試験もそうだけど、センター試験にだって傾向があるんだ。だから、何年か分の過去問を何度も解いて慣れるといいよ。そのうち、次はこういう問題が出るんじゃないかと思えてくる」

「なるほど。それって当たるんだろうか?」

「そう簡単には当たらないよ。よく予備校のホームページに的中って言葉が躍っているけど、それは専門の講師がずっと研究をした上での成果だしね。それに、試験問題を作る立場の人も、簡単に予想できるような問題は出してこない」

「だよな。卓也はどうなんだ? 過去問を古いものからやってみて、次の年度の問題が予想したような問題だったという経験はあるのか?」

「そうだね。一年分だけじゃわからないけど、十年分もやるとそれまで出ていない範囲が見えてくる。で、その翌年度の問題を見ると、やっぱり出てるって思ったことはあったね」

「すごいな。お前、予備校の講師でもできるんじゃないか?」

実際には卓也は予備校の講師をやったことはない。添削ならばやっていたが。志望大学に入れたら、塾講師でもやろうかと今は思う。

「これが過去問を解くためのノートだよ。ただ答えだけをノートに書いただけじゃ、見直したときに何が何だかわからない。過去問をコピーしておいて、ノートの左側に貼り付ける。で、右側を使って解いた答えを書くんだ。間違っていたら、答えに×をつけるだけじゃなくて、問題にマーカーを塗る。一通り答え合わせが終わったら、マーカーが塗られた問題をもう一度解くんだ」

「なるほど。これなら俺も真似できそうだ」

「でも、過去問は基礎力があった上での学習法だから、苦手分野があれば、ちゃんと理解できるまで基礎問題を沢山こなしたほうがいいと思うよ」

徹は頷き、先日貰ったスケジュール帳にメモを書き入れた。


シュークリームを食べ終わり、紅茶を飲む。そろそろ、本題に入らなければならない。

「片瀬さんには、想いを告げていないんだよな」

徹は単刀直入に切り込む。

「ああ。この頃はよく話はできるようになったんだけど、やっぱりそんな勇気は僕にはないよ。お互い、受験を控えてるし。そんな時期でもないかなと」

「それはそうだな。この時期に振られでもしたら、影響は確実に出るよな」

徹は考え込む。このままだと二人は別々の道を進むことになる。その結果は、あの悲しい別れだ。それでいいわけがない。しかし、十三年後のあの事故のことを知っている自分がいれば、もしかしたら清美を救うことができるかも知れない。

「じゃあ、このままにしておくのか? 少しでも片瀬さんとの距離を縮めておいたほうがいいんじゃないか。入試が終わったら想いをぶつけられるように」

「距離を縮めるっていっても、どうすればいいのかわからないよ。急にどこかへ出掛けようって誘うなんてことは不自然だろ。時期的にも遊んでいる場合じゃないし」

そうだ、自分たちは受験生なのだ。清美は十一月には出願だと言っていた。何と間の悪い時期に飛ばされてきてしまったのか。

「さっき、よく話はできるようになったって言ったよな。でも、この前食堂で片瀬さんが前に座ったとき、俺がいなけりゃあんなに話ははずんでいなかったと思うんだが」

あの時は、初め卓也は下を向きがちだった。友人の想いを知っている徹は、話題を清美の推薦入試にして援護射撃を行ったのだ。

「そうか。あの時は意図して話題を作ってくれたのか。片瀬さんが女子大を受けるらしいことは夏期講習のときに徹から聞いて知っていたんだけど、なかなかそのことを聞く勇気がなかったんだ。気になっていたので、本人の口から聞けて良かったよ」

「その程度でよく話ができるって言ってるのか?」

「いや、実は昨日駅前の本屋で、片瀬さんとばったり会ったんだ。レジに並んでたら、その真後ろに並んだみたいでさ。それで、結構話が弾んだんだよ」

「ほう、それは初耳だ。どんな話をしたんだ?」

「僕は自分の好きな作家の話を。片瀬さんはヨーロッパのガイドブックを持っていて、入試が終わったら旅行に行くんだって話をしてた」

徹は少し暗い気持になる。清美は旅行会社の仕事でヨーロッパに行っている際に事故に遭ったという話だった。もしかしたら、入試が終わったあとの卒業旅行でヨーロッパの魅力に惹かれ、仕事にしようと思ったのかも知れない。

「ヨーロッパかぁ。でも、今イチ治安が不安だよな。国内にしろって勧めたらどうだ? それか、治安のいいオーストラリアとか」

「はぁ? なんでそんなこと言うんだ? 折角の旅行なんだ。好きなところに行けばいいじゃないか」

…徹は言い返せない。この話はあとだ。清美の欧州旅行は阻止する必要があるのかも知れないが、もっと作戦を練ってからだ。

「ま、それは置いておいて、話ができるようになったのはわかった。何かほかに進展はないのか?」

「いや、それは昨日の話だよ。進展があるわけ…」と言ったところで、卓也は何か思い当たったようだ。

「ん? 何かあるのか?」

「僕の好きな作家の本を貸す約束をした。お前の煙草の件とか、スケジュール帳の件とかで、危うく忘れるところだった」

「ほほう。そんな大事なことを忘れるとは、お前らしくないな。思い出して良かった。でも、煙草の件は忘れてくれ」

ベッドの裏に隠した煙草のことを考え、徹は罪悪感を感じながらつくり笑いを浮かべる。

「そうか、そういうことで少しずつ距離を縮めればいいのか。できるだけ巻数の多い本を貸せば、何度もその話題で話ができる」

「そうだな。でも、本当にお前は奥手なんだって、今改めて実感したよ。初々しくていいけどな」

「高校生なんだから、いいじゃないか。そりゃ、徹は彼女がいるからそういうふうに言えるのかも知れないけど、まるでおじさんに言われたようだよ」

…おじさんか。もともと三十一歳なので、そう言われても仕方ないようにも思うが。

「とりあえず、その巻数の多い本を貸すところから片瀬さんとの距離を縮めるか。それと、来月の誕生日がいい機会だ。その時に何かプレゼントしたらどうだ?」

「えっ、それはいきなりすぎるんじゃないかな。きっとびっくりするよ」

「びっくりさせるのが目的だって。別に、その時に告白をしろって言ってるわけじゃない。そこでググッと距離を縮めれればいいんだ」

「でも、やっぱり突然すぎるような気がするよ。何をあげたらいいかもわからないし」

「あー、もう! そんなんじゃ、距離は縮まらないぞ。まだ暫く時間はあるだろう? その間に何冊か本は貸せるだろうし、何か欲しいものがないかぐらいの話はできるだろ」

「ごめん、そうだよな。折角応援してもらっているのに、僕がこんなに勇気がないんじゃ、話にならないよな。じゃあ、まずは、昨日買ったこの本を明日片瀬さんに貸すことにするよ。これ、全部で十三巻あるし」

「昨日買ったものだろ? まだ読んでないんじゃないのか?」

「大丈夫。何度も読んだし。いやいや、今日中に読むし」

…何度も読んだ? 卓也は今日読むと言い直したが、徹は不審に思った。そんな言い間違いをするだろうか?

その時、階下から卓也の母親の大声が聞こえて来た。

「卓也、悪いんだけど、駅まで優香を迎えに行ってあげてくれない? 傘持ってないんだって電話がかかってきたの。お母さん今、手が離せなくて」

優香というのは、二歳年下の卓也の妹だ。二人とは別の高校に通っている。二歳年下ということは、高校一年のはずだ。

「仕方ないな、わかったよ」

部屋のドアを開けて、階下に向かって大声で卓也が叫ぶ。ほんのりといい匂いが漂ってきた。母親は今、料理中らしい。

「じゃあ、そろそろ俺は帰るかな」

徹が立ち上がろうとするのを、卓也は手で制する。

「いや、もう少しいてくれ。初めての経験なので、もう少し距離の縮め方の話を聞きたい。駅まではすぐだし、十分ほどで戻るからさ」

「しょうがないな。すぐ帰ってきてくれよ」

そう言って徹は、再び腰を下ろした。


卓也が帰るのを待っている間、徹は卓也のセンター対策のノートを開いてみた。左側に過去問のコピー、右側に丸付けをした解答。ほぼ正解だが、ところどころに×がついていて、それに対しては問題番号にマーカーがつけられている。そして、右側の解答は線で区切られていて、間違った問題を何度か解いた跡がある。

「これだけきちんと整理していれば、復習もしやすいよな」

思わず感嘆の独り言が出る。やはり、自分とは違ってきちんとしなければ気が済まない性格らしい。

コピーを貼ってあるので、ノートはかなり膨らんでいる。一冊に数年分の過去問。これは数学のノートだが、教科ごとに何冊もあるようだ。

「ん?」

徹はページをめくる手を止めた。最後の一年分に相当するページだけ、手書き文字の問題文のコピーが貼ってある。その前年分には、二〇〇三年度のセンター試験問題。つまり、この一月に行われたものだ。とすると、この問題は何だろう。形式から見ると、センター問題に酷似しているが。別の教科のノートも見てみる。最後の一年分は、やはり手書き文字のコピー。卓也が考えた予想問題だろうか。

しかし、何か見覚えがあるような気がする。というよりも、解いた覚えがある。ちょっと待てよ…。徹は、国語のノートを探し出して開く。最後の一年分。最初の問題は説明文で、引用文は本のコピーが貼られている。それに手書きで傍線が付され、ところどころ漢字の部分が手書きでカタカナにされ、小問になっている。次の大問は小説。これも同じように引用文は本のコピーだ。これも確かに覚えている。

……!

そうだ。これは、自分が解いたセンターの問題だ。よく覚えている。自己採点をしたときに、この語句の意味の問題を間違えていて悔しい思いをした。この大問で間違えたのは、この問題だけだったのだ。

つまり、この手書きの問題は、これから自分たちが受けるセンター入試の問題。二〇〇四年度の問題だ。ということは、卓也は自分と同じで未来から来た人間なのだ。自分の記憶の卓也とは違うという違和感を感じていたが、これで納得できる。自分よりも成績が良いのは、このためなのか。

その時、階下で「ただいま」という声がした。卓也の妹の声だ。そして、階段を上がる足音が聞こえてくる。慌てて徹は、元あった場所にノートを戻す。

「ごめん、徹。待たせてしまって」

「いや、全然構わないよ。それより雨はひどいのか? 傘持ってきてないんだけど」

「ひどいという程ではないけど、結構降ってるね。傘は貸すから安心して」

「すまないな。でも、もうすぐ晩ごはんなんだろ? あまり長居はできないな」

「少し晩ごはんは遅くなってもいいさ。それより、話の続きをしよう。色々考えてみたんだけど、やっぱり誕生日にプレゼントってのは不自然じゃないかな? 誕生日を知ってること自体、何故僕が知ってるのかということになりかねないし」

「それは祥子から教えてもらったって言えばいいんじゃないか? 自分から聞き出せればそれが一番いいんだが」

「それは難しいな。今より距離が縮まったとしても、それを聞き出す自信がない。変に意識させるのは、この時期のなので避けたいし」

「じゃあ、祥子から聞いたということでいいじゃないか。実際、祥子から教えてもらったんだし」

徹は、少しイライラしてきた。こいつの中身は、本当はもっと年上なんじゃないのか。何歳の時点から飛ばされてきたのかはわからないが、少なくとも大学生以上のはずだ。それが、誕生日一つも聞き出せないとは。自分でも言っていたが、奥手というより根性なしだ。

「そうだな。実際、菊池さんとはよく遊びに行くし、誕生日を教えてもらうのは不自然じゃないかもな」

「だろ? 何だったら、お前が貸す本を気に入ってくれたら、それをプレゼントしてもいいんじゃないか? 十三巻あるんだったら、残りの本を買って一式プレゼントしてもいいし」

「そうか、それならあまり不自然じゃないし、特別感があまり出なくていいかも。自分が読めないのが残念だけど」

「早めに買って、読んでからプレゼントすればいいじゃないか」

「そうか、そうだな。それがいいかも。古本にはなってしまうけど。あ、でも、全部渡してしまったら、一冊ずつ貸して距離を縮めるという作戦ができなくなるんじゃ」

「それはそうだが、考えてもみろよ。片瀬さんの推薦入試は十一月だろ? その頃にそんなに本を読んでいられると思うか? 本を貸せるのもそんなに頻繁にはできないかも知れないぞ」

「なるほど。早く読んで返さなくちゃと思わせるよりは、プレゼントするのでゆっくり読んでと言ったほうがいいかも知れないね」

「よーし、じゃあ、作戦は決まったな。まずは明日、約束通り本を貸すんだ。気に入ってくれることを願おう」

「多分、大丈夫だと思う。三国志は色々な作家が書いているとも言ってたし、興味がないわけじゃないと思うよ」

そう言いながらしきりに頷く卓也を見て、徹は何度もこの本を読んだと言っていたことを思い出す。なるほど、卓也は何度もこの本を読んだに違いない。内容もお勧めできるものなのだろう。未来から飛ばされてきたということがわかった今では、卓也のことがよく理解できる。頼れるのは卓也だけだし、自分も清美のことで卓也を助けることができるかも知れない。徹も卓也のように何度も頷くと、腰を上げた。早く家に帰って、夏期講習のテキストを探さなければ。


駅まで徹を見送った卓也は、食事のあといつもの通りセンター試験の過去問を解こうと机に向かう。背を上に向けてストッカーに並べてしまってあるノート。これが頼りだ。一番左のノートは国語。次のセンター試験の復習だけは一通りやっておこう。

……?

手にしたのは、英語のノートだった。おかしい。いつもと並び順が違う。国語のノートを探すと、地理と日本史の間に入っていた。こんなことを自分がするわけがない。もしかして、徹が見たのか?

恐る恐るノートを開き、ページをめくっていく。特に変わったところはない。勘違いかと思いながら最後のページ、つまりこれから挑む予定の本番のセンター問題の部分を開く。わずかな粘着感。一見何も変わったところはないが、ページの右下と右上に付着物があるのに卓也は気づいた。

…これは? コピーを貼りつけたときの糊がはみ出しているのかと思って指で触ってみたが、それほど粘着質なものではない。思い切ってそのゲル状のものを指に取って舐めてみる。この部屋に毒物があるはずはないのだ。

ほのかに甘い。何だろうと思って、視線を室内に巡らせる。そして、テーブルの上に置きっぱなしになっていたティーカップと、袋に目が留まる。…これだ、シュークリームだ。

つまり、徹がこのページを見たということになる。大雑把ではあるが、洞察力の鋭い徹のことだ。その前の年度とこの年度の問題文が明らかに違うことには気づいただろう。引用文は図書館でコピーした原文。記憶を頼りにそれに傍線や空白を作り、手書きで小問を書いたもの。それを何度も使えるようにとコピーを取って、このノートに貼り付けてある。入試年度を書き込んではいないが、その前の年度は今年度のものだから、これから解く問題だということは推測できる。それに、徹も未来から飛ばされてきた身なのだ。一度はこの問題を解いている。前の年度が今年度ということから推測しなくても、これがこれから自分たちの挑む問題であることは、すぐにわかったに違いない。

卓也はふうっと息を吐き出す。どうやら徹も自分の正体に気づいたらしい。自分の正体に気づかれているかどうかは、わからないかも知れないが。卓也は机の上の携帯電話を手にとり、ベッドに寝そべった。ここからは、自分一人で運命に挑む必要はない。徹と共に、自分たちが望む未来を創っていけばいいのだ。まずは、同盟の申し込みをしよう。卓也は、携帯電話のアドレス帳を開いた。

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