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過去を掴んだ男たち  作者: 榊原高次
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降り出した雨が止まない。

徹はタクシーの運転手に運賃を渡すと、その建物の庇に逃げ込み、濡れた裾を手で払った。肩や袖もかなり濡れてしまった。もう中からは、僧侶の経を読む声が聞こえてくる。式が始まってから十五分といったところか。

受付の女性に香典を渡し、記帳する。参列席に目をやるが、小さ目の町の会館は人で黒く塗り尽くされており、焼香まで後方で立つしかなさそうだった。

その知らせを受けたのは二週間前。高校の同級生であった浅野卓也からだった。同じく同級生であった片瀬清美が、飛行機事故で亡くなったという。その日の出勤前にテレビのニュースで欧州での飛行機事故のことを報道していたことを徹は思い出した。邦人が数名含まれていると報じるキャスターの声は、遠くの出来事ということもあって、徹の関心をそのときは引かなかったのだ。

参列席の後方から祭壇に目をやると、そこには控えめに微笑む清美の遺影が大きく飾ってあった。白い菊が多く飾られており、照明を必要以上に明るく感じさせる。高校卒業以来、清美とは同窓会で一度会ったきりだが、その時も挨拶程度であまり話はしなかった。もともと友達と言える間柄でもなかったのだ。

焼香が始まった。ニュースで報じられたせいもあるのだろうか、参列者が非常に多い。一列ずつ席を立って親族に挨拶をし、焼香台に向かっている。ふと参列者に目をやると、列の後方に卓也が頭を垂れて並んでいるのが見えた。


焼香を終えて参列席後方に戻ると、卓也が待っていた。向こうも徹の姿を認めていたらしい。

「ご遺体は全て見つかっているわけではないらしい」

卓也が小声で話しかける。飛行機事故なのだ。無理もないだろう。

「お前は片瀬さんが事故に遭ったことを誰から聞いたんだ?」

「ニュースで彼女の名前が読み上げられたときに、まさかと思ってすぐに携帯に電話を入れたんだよ。そしたら、全くつながらなくて。それで居ても立っても居られなくなって、近くだったから彼女の実家に行ってみたんだ」

「そうか。お前はまだこの町に住んでいるのか」

「ああ。結婚もしてないし、家賃ももったいないのでここから二時間かけて通勤しているよ」

徹がこの町を離れたのは、大学を卒業してすぐだ。首尾よく一流企業に就職できたので、それを機に自由を求めて一人暮らしを始めた。今は都内にマンションを買って、妻と三歳になる息子とで暮らしている。

「徹は都内に住んでいるんだってね。結婚もしてるって聞いたよ」

「俺たちももう三十一だぞ。結婚してたって、不思議じゃないだろう?」

「まあ、そうなんだけど。僕みたいな根性なしは、好きな人になかなか告白もできないもんだよ。そして、永遠に会うこともできなくなる」

片瀬さんのことを言っているのかと聞こうとしたその時、二人に声を掛けてきた女性がいた。

「竹内君、浅野君、久しぶり」

大人になって少し印象が変わったが、徹にはすぐにそれが誰かがわかった。

「高橋さんか。久しぶりだね」

高橋瑞穂。高校三年生のときのクラスメイトだ。男子生徒に圧倒的な人気があった。やはり、三十を過ぎても美しい。

「同窓会以来ね。でも、クラスメイトとの再会がこんな形になるなんて」

「そうだね。もっと別な形で会いたかったな」

卓也は独り言を言うように話す。現状を受け入れられないのだろう。

「高橋さん、随分濡れているけど大丈夫?」

徹は、瑞穂の肩が濡れているのを気にして声を掛けた。

「ちょっと来るのが遅くなっちゃって、今着いたばかりなの。あわててたので、傘を持ってくるのを忘れちゃった」

「そうなんだ。じゃあ、早くお焼香を済ませておいでよ」

「わかった。後でね」

瑞穂はそう応えると、焼香の列の最後尾に並んだ。


喪主である父親の挨拶が始まった。

「清美は二週間前、スペイン上空の飛行機の事故でこの世を去りました。知らせを聞いたときは全く信じられず、とにかく現地で確認するまでは誤報であると自分に言い聞かせようとしました。しかし、清美の鞄やその中に残されていたスケジュール帳などが、確かに清美は亡くなったのだと私たちに語りかけました」

「現地で葬儀は済ませてきたのですが、今までお世話になってきた皆さま方にお別れをさせてやりたく、無理を言ってこの式を開かせていただきました。遅くなりましたことを、深くお詫び申し上げます」

若すぎる娘の突然の死。冷静に話そうとするが、言葉が詰まり声が出ない。周りからはすすり泣く声が聞こえてくる。母親はずっとハンカチを目に押し当てたままで、顔を上げることもできない。人生って、こんなに簡単に終わってしまうものなのだろうか。徹はあまり実感として清美の死を感じられず、ただ下を向いていた。


葬儀場からの帰りは、送迎バスに卓也と一緒に乗り込んだ。いつの間にか雨は止んでいる。瑞穂はクラスメイトだった女子と二人で、別のバスに乗ったようだ。あれからずっと二人は黙ったままだ。最寄り駅までは約十分だが、その距離は倍ほどにも感じられた。

「さっきの話だけど、好きな人って片瀬さんのことか?」

沈黙に耐えかねて、徹は問いかけながら隣の座席の卓也を見た。卓也は何も言わず、ただ一度だけ小さく頷く。目に一杯溜めた涙が、彼の想いを物語っていた。


玄関の鍵を開け、靴を脱ぐ。すぐに妻の美由紀が奥から出てくる。妻とは大学の頃からの付き合いで、六年前に結婚した。周りの同級生の誰よりも早い結婚だったが、可愛い子供にも恵まれたし、後悔はしていない。

「お帰りなさい。大変だったわね」

「まあ、同級生だからな。早すぎだよ」

「そうね、若すぎるわね。ご飯は?」

「ああ、食べる。何かできるか?」

「今日はお葬式が終わったらそのまま帰るって聞いたので、もしかしたら久しぶりに一緒にご飯が食べられるかなって、あなたの分も作って待ってたの」

略礼服を脱ぎながら、徹はダイニングの隣の部屋を覗く。幸平は、もう寝息を立てている。ここ暫くは遅くまで仕事をする日が続き、帰宅後に一人息子の起きている姿を目にしていない。今度の日曜日には、行きたがっていた動物園に連れて行ってやろう。

「保育園には嫌がらずに行っているか?」

スウェットに着替えてテーブルの席につきながら、妻に話しかける。美由紀はまだ普段着のままで、料理中だ。

「ええ。今度の運動会では、一等賞を取るんだって言ってるわ。足は速いほうみたいよ」

まあ、三歳児なのだからそれほど大差はないのだろうが、言われてみれば自分も走るのは速いほうだったと思う。これも遺伝なのだろうか。

「何日だったかな、運動会」

「十月の十日。体育の日ね。祝日だから、あなたも休みよね?」

「そうだな。大丈夫。親も呼ぶか?」

「ええ、お母さんはすごく楽しみにしていて、お弁当作ろうかって」

「作らせておけばいいじゃないか」

嫁姑と世間は言うが、ここ竹内家ではあまりその関係はあてはまらない。徹の母親は美由紀のことを非常に可愛がっており、自分ではなくて妻のほうがまるで本当の娘のようである。

「そうもいかないわ。運動会のお弁当って、ほかのお母さん方の目にも触れるものでしょ? やっぱり、力を入れなきゃ」

そういうものかと、徹は半ば呆れて妻の顔を見る。

……何かが違うような気がする。いや、今の会話に違和感があるわけではない。何となく、今日片瀬の死に直面したときに感じた現実感のなさのようなものを感じる。

「ハンバーグでいいわよね? あなた好きだったでしょ。幸平も大好物だけど」

「ああ」

……頭が重い。雨に濡れて風邪でも引いたのだろうか。

目の前に料理が出される。ハンバーグとポテトサラダ、ミネストローネ。手作りのようだ。

「さ、食べましょう。頑張っちゃいました」

由紀子が対面する席に座る。

「課長さんになってからは、一緒にご飯を食べる機会も少なくなっちゃったし。でも、幸平のために頑張ってね」

「わかってるよ。幸平のためなら頑張れる」

妻が「私のためには?」と聞くであろうことを察して、徹はテレビのリモコンのスイッチを入れた。

……頭が重い。

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