第五話
この状況をうまく咀嚼することができない。 どうして俺の姿が視認されなくなったのか。なぜ縛り付けられていたロープは気づけば解けて、俺の足元に転がっているのか。
全く理解の及ばない事象に対して俺は思考を巡らせる。なんの力もないはずの俺にこんなおかしなことができるはずがない。
「こそこそ隠れてないでさっさと出てこいよ。さもないとてめえの大事な女を傷つけることになるぞ」
ゴルガルが焦りをにじませる。奴も奴で俺に逃げられれば一巻の終わりだ。お互い時間がない。さっさとこんな状況を作った原因を見つけないと。でも、俺に何かができるわけじゃない。
いや、一つ浮上する可能性がある。
――固有スキル。
こんな俺でもたった一つだけ他の人にはない特別なものを持っている。俺の固有スキル『隠キャ』だ。この能力の詳細は至ってシンプルだ。どうやら隠キャになれるらしい。
そのことを考えれば、思い浮かぶことは一つしかないといえる。今俺に起きているこの不可解な事象はこの能力の効果だということだ。おそらく感情の高ぶりが能力を一時的に活性化させたんだろう。
隠キャだから周りから視認されない! とてつもなく単純かつ恐ろしい能力だ。学生時代の俺を思い出して悲しくなる。
――学生時代の俺。この台詞がさらに思考を加速させる。
なるほど、この能力について少しは理解できたかも知れない。なぜロープが解けたのか。答えは単純だ。教室の隅にいるような隠キャなんてロープでさえ存在を忘れてしまうということだろう。なんて強大な力なんだ。
悲しくなる。
だが、こんな能力だとしても縋って踠いてこのピンチを打開するしかない。
ゴルガルと下っ端五人、合わせて六人を今から相手にしなければならない。しかし、より隠キャパワーが深まっただけの俺には奴らを相手にするだけの力はない。それでも俺は逃げない! こんなところで俺らの冒険者人生が終わってたまるか。
「おい、ガキどこだー。ゴルガルさんが本気でキレる前に出てきてくれよぉ」
下っ端一号が俺の方へ近づいてくる。ひ弱な俺だが、相手が自分のことを視認できないならどこから攻撃しても不意を打つことができる。本気で殴ればやれる。
「ったく、あいつがちゃんと門番していればこんなことには⋯⋯。ぐはぁ!」
右手に身体中の力を凝縮して目の前の男の頬を殴る。喧嘩なんてほとんどしたことはないけれど、それでも、男の俺がいきなり全力で殴ったのだ。反応の出来なかった下っ端一号はバランスを崩して、真後ろに三メートルほど吹っ飛ぶ。
俺は――このチャンスを逃さない。左手で相手の頭を押さえつけて、馬乗りになる。そのまま追い討ちで何発も頭を殴った。相手が反撃出来ないように、間を空けず何発も殴った。
「や、やめろ⋯⋯」
彼がなにかを言っていた。だけれど必死に殴っている俺にはその声は届かない。
「ゴルガルさんあいつ何もないところで気絶しましたよ。やばいっすよ!」
「なんだあいつ。あんなに弱そうな見た目だったのに!」
「だ、黙れ二号! これが奴の能力だ。どこから来てもいいように集中を切らすな。」
奴らの焦る声で、下っ端一号が気絶していることに気がついた。俺の殴りの威力が高かったというより、相手が見えない状況で殴られ続けた恐怖で気絶したらしかった。
全身をとてつもない疲労感が支配する。一人相手にしただけでこんなに辛いとは、日頃から筋トレぐらいはしておけば良かった。
しかし、この頑張りで一つ有益なことが分かった。俺の能力は人に恐怖を与えることができる。いるはずの人間が見えないということはそれだけで人にストレスを生じさせる。俺の能力は『俺が存在している』というその事実だけで人を攻撃している。
「くそっ、どっからでもかかってきやがれ。お、俺がお前を倒してやる⋯⋯」
下っ端の一人がそう言った。その表情と声色に――ちゃんと恐怖を滲ませて。
安心した。この考えが正しいなら俺でも勝機がある。
すぐさま弱音を吐いた下っ端二号の後ろに回り込み、首を絞める。きっと俺の姿が見えていたり、俺が一号を気絶させたりした後でなければ彼はこの攻撃にちゃんと対応できたのだろう。でも、その二つに彼は完全に怯えていた。完全に心を蝕まれていた。だから、彼を鎮圧できた。
二人も処理すれば、残りの下っ端三人を相手にするのはかなり楽になる。適当に動けばきっと勝手に自滅してくれる。
「無理だ、二人もやられた。こんなの勝てない。逃げましょう!」
――ほら。
「落ち着け三号! 弱気を見せるな。そこをつけ込まれるぞ」
「ゴルガルさん! 簡単に二人を倒した奴に勝てるわけないです!」
「四号の言う通りだ。固有スキル持ちと戦うなんて無理だったんだ。こんなことなら盗賊になんてならなければ」
ちゃんと上手くいく。
三人はゴルガルの言うことを全く聞いていない。チャンスだ。
「嫌だ、ここでやられれば俺の人生が。うわぁ!」
そう言って蹲った三号から相手にする。軽く殴っただけで簡単に気絶した。完全に流れ作業だ。
「に、逃げろおおお! あっ!」
逃げ出そうとした四号に近づき、足をかける。そのまま目の前にあった木箱に頭をぶつけ気絶した。
五号の方に振り向くと、一人でに失禁していた。
結果、恐怖の溜まった三人はほとんど何もせずに制圧できた。
「どんな能力も使いようだな」
一人ずつ相手にするだけでこうも楽に戦えるとは。体力が切れかけている俺にはありがたいことだ。
「こんな一瞬で五人を完封するとは、固有スキルはここまでなのか⋯⋯。だが、俺は話が別だ」
そして、残った一人は今もなお入り口にたたずむゴルゴルのみ。左手でアリサを抱えている。時間をかければアリサに危害が及ぶ。一瞬で蹴りをつけないといけない。
奴は自分自身を冒険者としては高く評価していなかったが、初心者の町マリアスの中ではそれなりに強い方らしい。つまり下っ端たちとは違い簡単にはいかないだろう。
武器を使いたいが、ロープも解ける身体では洞窟内に転がっている木の棒や石剣たちもまともに使えないだろう。
能力のおかげである程度戦えているけれど、その能力が足を引っ張ってゴルガルに届かない。何かないのか⋯⋯。
「どうした来ないのか? 全く、服まで透明になるってのは厄介だな。どこにいるか全くわからない」
待て、そうか。俺は最初から全く気にしていなかったが、俺が来ている服はロープとは違い勝手に脱げるということはない。それは今日買った皮鎧も同じだ。だとすれば、もしかすれば、ゴルガルの目の前に転がっている俺の剣も、普通に使えるのではないだろうか。やるしかない。
一度思いつけば、行動は早い。
全力で走った。体力は切れてたけれど、なにも気にしない。足はもつれそうになるのを抑えて転びそうになりながら剣のそばまでたどり着てく。
そして、伸ばした俺の腕はちゃんと剣に触れられる。
「剣が消えた。まさかそこにいるのか!」
「きゃっ!」
ゴルガルが抱えていたアリサを突き飛ばし、防御の体制を取ろうとする。
だが、今気づいたってもう遅い! 俺はすでに剣を構えている。
「ラ、ライト!」
ちらりと声の方を横目で見ると、アリサが不安げな顔をしていた。――安心しろ、俺が守る。
いつかのあの日のように。俺が冒険者になることを決意したあの日のように。
剣を振りかざし、全力で腹一杯叫ぶ。
「俺の――俺の大切なアリサに手を出した罰だ。歯を食いしばりやがれ!」
剣を鞘から抜かずそのままゴルガルの頭に叩きつけた。
ゴルガルは泡を吹いて倒れた。――やり過ぎたかも。
「はぁはぁ、流石に死んでないよな。まあそこそこ中堅冒険者らしいし、俺が思い切りやったくらいでは死なない、はずだよね?」
そして、体力切れの向こう側に行った俺はそのまま倒れる。今日は流石に動き回り過ぎた。
「ライト大丈夫? 怪我とかない?」
アリサが俺のそばに寄ってきて、倒れてる俺の横に座る。
俺の顔を上から覗き込んできたので、少し恥ずかしくて俺は天井の方を見る。
「なんとか無事だぜ。というか俺のこと見えるようになったのか! 良かった、元通りにならないかと思ってたよ」
このまま元に戻らなかったら、こいつらを倒したのに人生詰みだった。
「なんか大丈夫そうでほっとした。ただ一つ聞きたいんだけどさ⋯⋯、さっきのはどういうこと?」
と、何故だか少し恥ずかしそうに聞いてくる。
「どういうことって勿論俺の能力だよ。隠キャだから視認されないみたいなことなんだと思う。」
「いや、そっちのことじゃなくて。まあいっか⋯⋯」
――なんか腑に落ちて無さそう。そっちじゃないとはどっちのことなんだろう。ピンチが過ぎ去ったすぐ後だからなのか歯切りが悪いな。
「なんか初めての冒険が凄いことになっちゃったね。ライト大活躍だよ」
「たまたまだけどな。でも、二人とも無事で町に蔓延る盗賊を退治出来たなんて俺たちの華麗なるスタートにはちょうどいいかもな」
いや、ちょっと派手すぎるかな。流石に危険だった。
少し微笑んでアリサは呟く。
「もうバカなんだから。ほんとにバカなんだから⋯⋯。私なんて助けようとせずに逃げれば良かったのに」
「おい! なんでそんなこと、」
と続けようとしたが、言葉が止まる。倒れている俺を覗き込むように座っていたアリサから数粒の水滴が落ちてきたからだ。
アリサの顔を見ると、泣いていた。
「あの時、ライトが死んじゃうかと思った。私が変なことしたせいでライトが死んじゃったらどうしようってすごい不安で。でも、どんどんあいつらを倒しちゃうライトがかっこよくてつい期待して叫んじゃって。私ってライトの足手まといでしかないんじゃないかって思って⋯⋯」
アリサは本気で言っているようだった。いつもは変に強気で、俺への当たりもきついくせに。こういう時はすぐに弱音を吐くんだから。
「まったく、バカはお前だよ。俺たち二人で冒険者やっていくんじゃなかったのかよ。それに、またどんなピンチが訪れたって俺が守ってやるよ。だから二人で一緒に戦っていこうぜ」
身体はきついがカッコつけて立ち上がる。アリサの手を握り、こちらに引き寄せ抱きしめる。
「あ。ちょっと⋯⋯」
アリサが赤面する。確認はできないが、おそらく俺も。
「なにがあってもこうやって離してやらねえからな。だからこれからは、もうこんなこと言わないでくれ。いつも通りのお前でいてくれよ」
「うん、ごめん。あと、ありがとう⋯⋯。でもちょっと恥ずかしいかも!」
「あ、ごめんなさい」
アリサはそう言って、離れて下を向いてしまう。なんかやり過ぎたかも。俺も恥ずかしくなってきた。もしかしたら嫌だったのかな。やらかしたぁ。
「ねぇ、ライト」
そんな俺の苦悩をよそに、アリサは俺の名前を呼んで真っ赤になっている顔をこちらに向け、目を閉じた。
目を閉じた。
――目を閉じた。
ちょっと待って、こんな展開は聞いてない。いや確かにこういう雰囲気にしたのは俺かもしれない。でもつい最近までは、こんな展開になるなんて全く予想できなった。多分読者さんもそうだろうし、なんなら作者もそうなんじゃないだろうか。
でも、この状況で目を閉じるってそういうことだよな。なんか、アリサも期待と不安を混じらせた表情をしている気がするし。でも違ったらどうしよう。俺の顔を見るのがあまりに辛くてとかだったら、どうしよう。
確か田舎のおばあちゃんが女の子に恥はかかせるなって言っていた気がする。よし、覚悟を決めるんだライト。
自分に喝を入れて、アリサに⋯⋯。
「やっぱさ、先にこの気絶してる男たちをどうにか処理しない?」
と言った。言ってしまった! ごめんなさい。
今までの雰囲気はどこへやら。途端にアリサの顔が怒りに染まるのがわかる。
「バカ、最悪、チキン! どうしていつもそんなんなのよ!」
殴られました。痛い。でも俺が悪い。
「申し訳ありませんでした!」
土下座した。
どうして俺の冒険はこう上手くいかないのだろうか。この『隠キャ』とかいうスキルのせいだよな! 多分⋯⋯。