第四話
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。もう何もしないので許してください」
俺たちは木々の中を走っていた。もっと分かりやすく説明するのなら逃げていた。何からかと聞かれれば答えは一つしかない。もちろんゴブリンである。俺たちがボコボコにしてやろうと考えていたゴブリンから逃げているのである。
前話の終わりでこれから始まる俺たちのカッコいい冒険を期待していた数少ない方には申し訳ないのだが、こんなスタートになってしまった。
「ちょっとライトなんとかしてよ。スキル持ちでしょ!」
「無茶言うんじゃねぇ。俺の素晴らしいスキルはあいにく戦闘はできないんだよ! だいたいお前がサポートを受けないなんて言わなきゃこうなってないんだからお前がなんとかしてくれ」
「か弱い女の子にそんなこと言うなんて最低。ライトだって男でしょ?」
「俺は男女平等主義者なんだよ。てかやばい、追いつかれそうだから飛ばすぞ」
こうなったのも全部隣にいるバカのせいだ。こいつが、「あそこにゴブリンの群れがいるよ。殴りかかってボコボコにしてやるわ」なんて言っていきなり攻撃しに行かなければこうはならなかったはずだ。まぁゴブリンくらいならと思って舐めてかかり、止めなかった俺もほんの少しくらいは悪いのだが。
結果といえば、それは最悪だった。一匹目を倒した瞬間、ほかのやつらが一斉に襲いかかってきて対処できずに敗走。近くにある、初心者だけで入ってはいけないと言われた森に逃げ込むことになった。
「どうしてこうなんだよ、くそがよぉ!」
――このまま全力疾走を一〇分ほど続ける羽目になった。
「はぁはぁ、なんとか逃げ切ったみたいだな」
「まさか、こんなことになるなんてね」
「お前のせいだけどな」
こいつ反省してねぇ。こんなことになるなら初心者サポート受けておけばよかった。
「こんなことになるなら初心者サポートを受けておけば良かった」
「お前だけは言うんじゃねぇ」
こいつだけなんとかしてゴブリンの群れに置いていきたい。
と、俺たちは変わらず雑談をしながら、再びゴブリンに会わないよう森の中を大回りしながら歩いていた。
「にしても暑いなぁ」
「しかも剣も重い」
だが俺たちの体力は限界だった。普段運動なんてしない俺たちが、歩き慣れてない森の中を長時間移動している。加えて剣を抱え、皮とはいえ戦闘用の服を着ているのだ。暑いし重いし疲れるしの最悪の三拍子だ。
きつい。
こんなきついものだと知っていれば冒険者なんかならなかったのに。というかゴブリンに敗走し、この程度で死にそうになっている俺たちはそもそも冒険者に向いていないのではないだろうか。
まあこんなネガティブなことを置いておいて、楽しいことを想像しよう。とりあえず今日は早く町に帰って美味しい飯を食べたい。明日からの冒険は明日の俺になんとかして貰えばいいのだ。
こんな感じで五分くらいは乗り切れた。しかし、このような状態が続けば、ことは当然良くない方に移動していくものである。
それは俺たちの口数も減り、同時に体力もほとんど限界に差し掛かった時だった。
――むにゅ。
そんな感触が足に伝わった。
「むにゅってなんだ?」
俺が足に目を向けると、どうやら獣の尻尾のようなものを踏んでいるようだった。
「なんだ獣の尻尾かぁ。びっくりした」
またゴブリンだったらどうしようかと思ったぜ。
一瞬俺は安心したが、尻尾の先に目を向けると結構大きめの獣だということがよくわかった。体長三メートルほどはあるだろうか。
「ねぇ、これやばいんじゃない?」
後ろからアリサが心配そうに声をかけてくる。俺も同意見だった。
ゆっくりゆっくりと俺たちがその場を離れようとすると、機嫌がとても悪そうな獣がこちらを向いてきた。おそらく、誰かさんに尻尾を踏まれ寝ていたところを起こされたからだと思われる。
「に、逃げるぞ!」
そう言って俺はアリサの手首を掴み全力疾走した。ゴブリンの時と比べ物にならない恐怖が俺を突き動かした。――捕まればほんとに死
ぬ。
「なんかめっちゃ吠えてきてるんですけど。やばい、やばい」
「メアリさんが初心者だけで森に入るなって言ってた意味がよくわかったぜ」
「さっき私に文句言ってたけど、これでおあいこどころじゃなくなったからね!」
「逃げ切ったらいくらで謝ってやるから、今は走るぞ!」
――体力が切れかかってるところに追い打ちをかけるように、俺たちはまたまた一〇分間ほど走ることとなったのだった。
「次走ったらホントに死ぬ。マジで体力切れた」
「ゴブリンだけだったらここまでなってなかったんだからね。ほんと余計なことしてくれた」
「なんかムカつくけど一応謝る。ごめんなさい」
俺たちは一生分の体力を使って走り、途中にいい感じにあった洞窟を見つけ難を逃れた。
「森の奥深くにこんな洞窟がなければ死んでたぜ」
「まるで私たちのために用意されてたかのような洞窟ね。ラッキーよ」
確かに人気のない森の奥で隠れられる洞窟があって本当に幸運だった。危うく二人で獣に喰われてバッドエンドになるところだった。
「そうだな。ここは広そうだから、ついでに少し奥に行って獣が遠くへ離れる頃合いまで休まないか?」
「まぁ確かに、誰かさんのせいでたくさん走ることになっちゃったから、少し休みたい」
「全部俺のせいみたいになってるけど半分くらいお前も悪いだけどな」
こんな状況でも、いつも通り軽い言い合いは無くならないのだった。
と気が緩んでいるが、入り口付近には日の光が結構入ってきてはいるが少し奥に行くと危なそうだな。ここは男らしさをみせるところだ。
「ちょっと手出して」
「ん? どうしたの?」
そう言いながら差し出されたアリサの手を、なにも言わず颯爽と握った。
「ふぇ? な、なにするの⁉︎」
「奥は暗くなってそうで危ないから握っただけだ。なんでそんな驚いてんだよ」
アリサは一緒驚きの反応を見せてたが、顔を伏せてしまった。なんだこいつ?
「そっか。ありがと⋯⋯」
「どーいたしまして」
なんか様子がおかしいな。まあ疲れたんだろ。しかし、あんまり男らしさを出さなかったのは残念だな。好感度アップのいい機会だったのに。
だが、ここでの俺の憂いは全く意味がなかったと言えよう。何故なら洞窟の奥に進んでも暗くて視界が悪いなどと言うことはなかったのである。具体的に言うのなら、洞窟を少し進んだ先には――等間隔に、松明が設置されていたの。まるで人が頻繁に使用しているが如く。
「なんだ、これ?」
「明るいね。あっそうだ」
アリサはそう言ってすぐに手を離しやがった。しかもそっぽ向いて。どうやら俺は嫌われているらしいです。
「な、なんだよお前。もう二度と優しくしてやらねえ」
「今はそんなくだらないことを話している状況じゃないでしょ。人が使ってるなら奥で休めるだろうし、使ってる本人がいればその人に助けてもらおうよ」
「その通りだけど、お前に言われるとなんか腑に落ちないな」
そんな流れで俺たちはさらに奥まで進んでいくことにした。よく見ると松明の光だけでなく、地面が軽く塗装されていて人が使っていることがよくわかる。
歩いていると、奥に広いスペースがあるのが見えた。物が乱立しており生活感が漂っていた。この場所を住処にしているのか。
こんな森の奥の洞窟を頻繁に使っているのは一体どんな人なのだろうか。冒険者の休憩所か何かの可能性が高いとは思うが、メアリさんは諸注意の時にそんなことは言っていなかった気がする。なんかが引っかかる気がする。
――今この辺では、厄介なことにとある盗賊団が横行している。
瞬間、そんな言葉が頭をよぎった。武器屋であの冒険者が言っていたことだ。もしここがその盗賊団の隠れ家的場所だったとしたら⋯⋯。辻褄は合わなくはない。初心者だらけのこの町でこんな森の奥深くの洞窟なんてバレることはないだろう。
誰にも気づかれる前にアリサとここを出よう。
「お、おいアリサ⋯⋯」
「あっ、奥のスペースに人がいる!」
勝手に入ってしまってすみません。魔物に襲われてしまいまして、匿ってもらえませんか?」
――遅かった。中にいた五人の男たちがこちらを向く。
まあでも俺の考えが間違っていて中にいるのはただの冒険者の可能性もあるよな。よしポジティブに考えていこう。
「おい四号、てめえが見張りサボったせいでガキ二匹の侵入を許したじゃねえかよ」
「そんな怒んなよ一号。だがあんなガキどもなんて適当に狩ってやればいいだけの話だろ。問題ねぇよ」
はい、終わった。一号、四号呼びしてる辺り、なんか普通じゃない。会話の内容も絶対冒険者じゃない。よし逃げよう。
「アリサ、ここはやばい匂いがする。逃げるぞ」
「う、うん」
と、アリサの腕を掴み振り向いた瞬間、真後ろにいた。
「ん? どうしたんだ?」
ごつい身体の大男が。――否、クズ男ゴルガルが。
「お、おいやばいぞ。どうにかしてこの状況言い訳しないと」
「お前のせいだろお前が考えろ」
後ろでないやら盗賊たちが言い合っている。よくわからないことを言っているが、冒険者が来たことで、切羽詰まっているのだろう。
ところで、どうしてゴルガルはこんなところにいるんだろうか。しかし、正直助かった。一応冒険者のこいつに盗賊連中をボコボコしてもらうか、それができないなら協力して脱出すれば良い。問題があるとすればこんな奴に助けを求めなければいけないということくらいだ。
「あ、あのゴルガルさん。こいつら例の盗賊団みたいなんですよ。助けてもらえませんか?」
俺がそう言った。期待の眼差しを向ける。
それを受け、彼はにやっと笑ってこう言った。それは、不敵な笑みだった。
「そうかそれは大変だったな。だが残念なお知らせがある」
今までで一番いやな予感がした。ゴルガルの反応と盗賊たちのの動き⋯⋯。アリサを離さないようにと手に自然と力がこもる。
「俺がその盗賊団とやらのリーダーなんだよ」
彼の言葉が終わると同時に俺の頬に彼の拳が届いていた。そのまま奥まで吹き飛ばされる。絶対に離さまいとしていた手も当然アリサから離れる。
「ライト!」
吹き飛ばされるその刹那、ゴルガルにアリサが捕らえられたのが見えた。
しかし、衝撃に抵抗さえできない。そのまま奥のスペースまで飛んでいき、石壁に激突した。ガンッと鈍い音が背中に響く。
激痛。
苦しみに悶え、意識が持っていかれそうになるが、なんとか堪える。もし皮鎧を付けていなかったと考えるだけで身が震える。
――とりあえず、なんとか奴に対処しないと。
その思いで腰の剣に手を伸ばす。
「おっと、抵抗しようなんて思うなよ。少しでも余計な真似をしたら、てめえの大事な女が無事で済むと思うなよ」
「ライト、ごめん⋯⋯」
ゴルガルは入口の前で、アリサの腕を掴み、首元にナイフを突きつけていた。気づけばアリサの剣は鞘ごと外され、投げ捨てられている。
「てめえも剣を投げ捨てて手を上げろ。そうすれば、この女だけでも助けてやろう」
アリサは恐怖で震えていた。しかし、そんな時でさえ俺は何もできない。
やつは俺が吹き飛ばされた場所。すなわちこのスペースの入口――洞窟という性質上、出口とも言える場所の前に立っている。逃げ出すのは難しい。他に出口はなく、広いスペースと言えど、隠れられる場所は多少の岩とほら穴しかない。とても打開できるピースがない。
――どうしようもない。俺の力ではこの状況を打開できない。
「ライト! こいつの言うことを聞いちゃだめ。早く、逃げて!」
アリサが叫ぶのが聞こえる。でも、俺は見逃さなかった。――彼女の目は涙で滲んでいた。
逃げるなんて、そんな最低なことできるわけがない。アリサだけは無事に返さなければならない。
俺は諦めてゴルガルの言う通りに剣を投げ捨て、手を上げた。
――俺はどうなっても構わない。
「よし、よくやった。三号と五号、このガキどもの腕と脚を縛れ」
「了解っす。ボス」
「おっけーです」
俺たちの様子を黙って見ていた盗賊たちがゴルガルの指示で動く。ロープを持ってくると、手際よく俺たちの手足を縛ろうとする。
「お前はどうして盗賊なんてしているんだ。お前だって冒険者になった時は夢があったはずだ!」
俺の言葉に、ゴルガルは笑う。嘲笑する。
「お前みたいなガキには現実は分からないかもなあ。俺は冒険者で成り上がることのできなかった。昔は惨めな思いをしていたことだ」
気づけば俺の体はロープで完全に拘束され、全く動ける状態ではなくなっていた。アリサも同じように縛られて、ゴルガルの後ろに転がされていた。
「だか、俺は必死に考えた。そして見つけた。盗賊という道だ。俺が冒険者である限り、ギルドの行動は丸分かり。そして偽の情報をつかませる事もできる。まさに完璧な策だった。俺が成り上がる唯一の方法だ。こんなところでつまづいてたまるか」
そんな、そんなことで⋯⋯。
「そんなくだらない理由で冒険者の信念を捨てたのか!」
「お前になんと言われようがどうでもいい。俺は俺のやりたいようにやるだけだ」
――あぁ、そういえば。
ゴルガルが不敵な笑みを浮かべたのが分かった。彼は、俺の怪訝な様子を見を続けた、
「悪いがこの女を逃すわけにはいかない。正体がばれてるし、見た目も良い。お前を殺した後にどっかに売り飛ばさせてもらう。悪いな。」
アリサは恐怖に絶句する。美しい紫瞳が明確な絶望の色を滲ませる。
もう二度とアリサに危険な目に遭ってほしくなかったのに。
――許せない。この男だけは。
「ゴルガル! お前だけは絶対に許さない。お前をぶっ殺してやる!」
と、俺は叫んだ。怒りに身を震わせ、何もできないと分かっていながら、それでも声を張り上げた。
――ただ、あいつを守りたい一心で。
しかし、ある違和感に俺は冷静さを取り戻す。俺の叫びに対しての反応が何もなかったのだ。すなわちそれは俺の叫びが連中に全く聞こえていないことを表していた。
それどころか、奴らは俺の方を指差して声をあげた。
「おい! あ、あのガキはどこに消えた!」
「分かりません! ずっとそこに居たはずなのに一瞬で見えなくなりました」
「自分もです! まさか一瞬で洞窟から脱出したのか。でも、そんなことができるわけ」
こいつら、こんな状況でふざけてるのか?
「なにくだらないこと抜かしてんだ。俺が何もできないと思って舐めてんじゃねぇぞ」
が、この発言に対しての返答もなく、奴らはまだ慌てている。俺の姿も声も彼らには届いていないようだった。なにが起こっているんだ一体。
思い立ってアリサをみる。彼女も奴らと同じように困惑の色を浮かべていた。
――もしかして、誰にも俺が見えてないのか。
「だが、出口の前に俺が立っている限り、ここから出ることはできない筈だ。大方奴が持ってるっていう固有スキルを使って一瞬でロープ外し、どこかの岩裏か小さい穴に隠れたってとこか。手分けして探せ!」
そして、彼の発言からさらにもう一個、違和感に気がつく。
――俺の手足を縛っていたロープが、今度は俺の足元に転がっていた。