60.リストランテ・アリス
肉なし青椒肉絲は青椒肉絲と言うのか、という未解決の命題があるとかないとか。
ラーグリフは、その質量の大きさのためにアストレイアなどと比べるとかなり長い間の加速を行った後にiフライトインし、しかしその後は複数リアクタの協調制御を駆使してぐんぐんと倍率を上げていった。
プロミオンはラーグリフ後部の専用格納庫内で固定されていて、そのリアクタはアイドリング状態でベクターコイルは完全に停止している。駆動源から伝わるはずの微振動がないままに、大きく加速し続けるこの感覚は久しぶりだ。
思えばアストレイアは良く出来た船で、振動を随分小さく抑え込んでいるが、それでもやはりコイルの出力増減の変化は感じることが出来た。それがラーグリフでは、別船体であることから全くと言って良いほど伝わらない。
「あのときは殆ど寝ていたから気付かなかったな……。起きた後は自分の腹の虫がうるさかったし」
食堂室のテーブルに片肘をつきながら、レオンはさほど遠くない昔のことを思い出そうとして呟いた。隅では観葉植物のホログラムが優しく葉を揺らし、厨房でアリスの作業する雑多な音が、やけにはっきりと伝わってくる。
「もう少しで出来上がりますから、そのまま待っていてください」
いまアリスは、レオン一人分の食事の支度をしている。
メニューは、ポテトのラビオリ黒トリュフがけと、牛すね肉の赤ワイン煮だそうだ。
メニューを聞いた時のレオンは半信半疑だったが、やがて現物を目の前にして驚き、実際に口にしてもう一度驚いた。
「う、うまい……」
アリスが腕によりをかけて、いま目の前に在る料理を見つめながら、レオンは一口嚥下して絶句した。
さすがにレシピが整備されているメニューなら、アリスは味見が出来なくとも正しく調理できるようだ。これなら、なんとか言うグルメの権威から、星が一つか二つ貰えるんじゃないだろうか。ただ、贅沢な食材をふんだんに使える今の状況が大いに影響しているとは思うが。
「アストレイアとは鍋やオーブンの特性も違いますから、そこをどのように補正するかが肝ですね」
得意げに、いっぱしの料理人のようなことを言う。食後にカスタードプリンと良く冷えたアールグレイが出されると、レオンはもうすっかり胃袋を掴まれてご機嫌だった。
「たいした腕前だな。この航海が終わったら、レストランでも開くか?」
「ふふ。良いですね」
どうやらアリスは、レオンの食に関する好みを見抜いたうえでメニューを選んでいるらしい。明言はしないが、レオンの過去の行動履歴をかなり収集した上で分析しているようだ。暇人め。
この男ちょろいな、と思ったかどうかは分からないが、レオンの態度の変化を見てアリスは大いに満足げだった。そして、その間にラーグリフはインフレータの出力を順調に上げてレベル5に達していたが、レオンのバイオデータテレメトリーには、依然として何らの異常値も見当たらない。
「九十万倍に達したら、人類初のお祝いにタルトでも焼きますか?」
「いいねえ」
レオンは美味しいものをたらふく食べて、胸やけも悪心もない。そういえば、iフライト時に皆が時々言うような頭痛や倦怠感なども、レオンは今まで感じたことがない。どこまで行けるのか、そのうちチャレンジしてみるのも良いかもしれない、とレオンは思いはじめていた。
§
レオンにとって、そしてアリスにとっても都合三度目の来訪となるシャンヤン星系には、既にばら撒いてあった観測ポッドが置き去りにされたまま、大部分がまだ落下突入せずに活動中であり、そのおかげで可住惑星近傍の大部分の船舶の動向が捕捉できていた。
各観測ポッドはラーグリフに向けた量子暗号通信を定期的に行う設定のままとなっていて、シャンヤン星系に到達してiフライトアウトしたラーグリフには、各観測ポッドまでの距離に相応した時間差のデータが速やかに集まった。
「シャンヤン宇宙港軌道ステーション付近の観測ポッドからのデータは二時間前のものです」
各観測ポッドからのデータは十分から一時間ほどの間隔で送られてきており、スピンクスを捉えた時点からの履歴を追うことで、その航跡をかなり正確に把握することが出来た。
「七十時間ほど前にシャンヤン星系にiフライトアウトしたスピンクスは、他の商船などと同程度の比較的低速で宇宙港へ向かい、三十時間ほど前に入港しています」
「よし、とりあえず無事に港へは入ったんだな」
「はい。ですがこれは……、入港少し前からは完全に追跡されていますよ」
MAYAはセヴォール宇宙軍艦艇のほとんどを識別可能なプロファイルデータを持ち合わせていて、そこから各艦艇別の動きをトレースすることで浮かび上がってきたのは、スピンクスはセヴォール軍艦艇たちに捕捉され続け、動きを調べられているということだ。
「スピンクスは補給を行った後は速やかに出港して、彼女たちの方法論に従ってこの星系での情報収集を始めるでしょう」
「港の中では軍事力は行使できないはずだが、出港後はいつ襲われるかわからないな」
セヴォール宇宙軍は、駆逐艦やパトロール艦など中小の艦艇を多数繰り出して遠巻きに軌道ステーションを取り囲んでいた。港から直接見えるところでは手を出しては来ないだろうから、プロミオンが港まで出迎えてエスコートしてはどうかとレオンは提案した。
「ある程度離れたら、どのみちプロミオンごと狙われるでしょうね。プロミオンも敵として認識されていますからね」
スピンクスは貨物船を改装してセンサーや電子機器を満載しており、その船足や機動性にさほど期待はできない。セヴォール軍としては、スピンクスの確保ではなくて撃破を狙ってくる可能性が大いにあるので、そうなるとプロミオンだけで守り切れるものでもない。
だからといってラーグリフの火力で敵を殲滅するわけにもいかない。あまりにも目立ちすぎるし、人的被害も甚大になる。ローレンス総司令のような思い切りは、レオンにはまだ難しい。
「個人的にはさ、マイケル・リーだけが相手なら問答無用で撃沈しちゃおうかとも思うんだけどな」
「まあ気持ちは分かりますが、なんでも力で解決するわけにはいきませんからね……」
ラーグリフはプロミオンを搭載したままで、シャンヤン星系内宇宙に到達した後はステルスモードで航行を続けた。船舶の少ない宙域を縫うようにしながら宇宙港を目指しつつ、ポッドからのデータを収集して分析を行う。
「ところでレオン、体調に変化はありませんか?」
「ああ、問題ないね。どうやら、アリスの料理に毒は入っていなかったようだ」
「そっちじゃありませんよ。でもまあ、気付かないように仕込んでいるのですけどね」
ふふふ、とアリスが薄笑いを浮かべる。
「……どこまで冗談だ?」
「そっちこそ」
ラーグリフは、十日かかった道のりを僅か三日で戻ってきた。当初の予定通り最大で九十万倍となるiフライトを敢行したその間、レオンには頭痛の自覚症状すらなく、バイタルサインも普段通りのままほとんど乱れはなかった。MAYAの予測をも遥かに超えて驚異的な適応性を示したレオンに対して、MAYAはある提案を提示してきた。
「どうでしょう、一緒に全銀河系探索の旅に出ませんか? ラーグリフの当初の目的にご協力ください」
「……どこまで冗談だ?」
「MAYAは真面目に提案しているのですけど。あのう、……私と二人きりじゃ嫌ですか?」
アリスはそっとレオンの手を握り、うるんだ瞳で切なく囁いた。
「まずはスピンクスを助けなきゃだろ?」
「そうですね。……というか、そのあとなら検討してくれるのですか?」
わずか数秒で、切ない表情はもう微塵も残っていなかった。
ラーグリフを動かす基本命令として、銀河系探索任務は消えずに残っているのだろう。レオンは行きがかり上、管理者になったけれども、そういえばそこらへんは有耶無耶なままだ。
観測ポッドからは順次データが届いており、それらを睨みながらラーグリフは宇宙港を目指していたが、約三時間前にスピンクスが軌道ステーションを出港したことが分かった。スピンクスに釣られるように、セヴォール宇宙軍艦艇の幾つかが動き出しており、3D表示で各艦艇の動きを追うと、遠巻きに二十隻以上が緩やかに包囲の輪を形成しているのがわかる。
「これは、スピンクスを囲もうとしているな」
「宇宙港から光学観測できる範囲を超えてから、拿捕するか、攻撃するのでしょうね」
ラーグリフからはセヴォール宇宙軍艦艇であることが認識できているが、それらはいずれもトランスポンダを意図的に発せず、自らの所属を明らかにしていない。各国の軍隊であれば、その武装した存在を正当化するために、自らが何者であるかは明示する必要がある。明示しないという事は、違法な武装集団であると認識されても仕方ないのだが、アストレイアを襲ったマイケル達と同様、国家の軍隊が動いたことにはしたくないという意思が働いているのだろう。
ラーグリフは静かに、港から離れていくスピンクスを追いかける。
「スピンクスの船足の遅さが幸いしているな。でも、あまり猶予はないからこのまま突っ込むぞ」
「ラーグリフを晒してしまうのですか?」
「いいや。すっとぼけて、無かったことにするさ」
どこかの誰かが良くやる事だそうだ。この際だから、見習わせて貰おう。
摂氏マイナス二百度以下のディープフリーザーなら、レオン一人分の食糧くらい
レオンの寿命が尽きるまででも保管できそうではありますよね。




