59.出番です
あらゆるテクノロジーは、進歩と共にコモディティ化します。
例えば自動車も、安価な大衆車でさえ一般人の手に余る性能を手にしたとき、そうなりますね。
スマホなんて言わずもがな。
いつの時代も話題に上るのはつまり、今まさに発展途上のモノ、なのですよ。
レオンとアリスがお互いを見た。
「うーん、これは、俺の出番ってことか?」
「ですね」
アリスが嬉しそうに頷いた。
正確に言うと、ラーグリフの出番なわけだが。
対照的に、二人を目の前にしてメルファリアは思案顔だ。自分の依頼が遠因となって危機を迎えるスピンクスを放ってはおけないが、かといって安全の検証されていない高レベルフライトを、レオンに強要するわけにもいかない。それでもどちらかを選ぶ決断を、本来はしなければならないのだ。メルファリアはそういう立場にいる。
「……」
そんな彼女を、いつまでも困らせたままになど、してはおけないじゃないか。
「メルファさん、俺がスピンクスを助けてきます。必ず無事に戻りますから、許可してください」
「ですが、レオン、本当に大丈夫なのですか? ここでまた貴方に頼ってしまって良いのでしょうか」
メルファリアは畏れを滲ませた眼差しでレオンを見つめた。
「むしろ頼ってください。嬉しいです。メルファさんからお願いされたら、それこそ実力以上のものを発揮しますよ!」
きたきた。メルファさんに、イイところを見せたい気分が盛り上がってきた!
男って、というよりもレオンって単純だな、とリサは思ったが口は噤んだままだ。ただ、メルファリア様だからこそ、この男をこうも簡単に動かせるのかな、とも思ったり。
大抵の人間は、レベル4以上の高倍率フライトを行うと船酔いみたいな症状だったり頭痛だったり、と言った不調を多かれ少なかれ感じるものだ。例えばメルファリア様は、船旅の途上には稀に熱を出して寝込むことがある。一日か二日程度で回復するのであまり問題視していないが、これもiフライト酔いの一つと診断されている。
未知なるものへの恐れのようなものだろうが、自分なら、十万倍速以上を指すレベル5iフライトは正直言って遠慮したいと思う。
何やら思い悩むリサを横目に、レオンはメルファリアの目前に近づき、不意を突いて両手を握った。それは華奢で、柔らかくて、熱意のこもったレオンの両掌の中で、少しひんやりしていた。
「あっ……」
「メルファリアさん、行ってきますね!」
ぎゅっ。
「は、はい」
リサに咎められる前に素早く手を引っ込めて、レオンは踵を返した。もう早速にもプロミオンに移乗しようというのである。
「それでは、行ってきます」
アリスも、こちらは丁寧に会釈をしたのちに、レオンの後を追って小走りに駆け出す。あとに残ったメルファリアは両手を握られたときのまま、レオンの歩いて行った先を見つめたままでいた。
その両手を、すかさずリサが握り直す。
「メルファリア様、たぶらかされてはなりませんよ。騎士は姫様のために身を粉にして働くのが当たり前なのですからね」
むしろ粉々になってしまえ、と思ってからリサはすぐに思い直した。
スピンクスの無事を確認してから、粉々になってしまえ。
§
格納庫デッキの手前で追い付いたアリスが、レオンに後ろから声を掛けた。
「随分やる気ですね?」
「やっぱりどうしようかな、とか考え直す暇を作らないようにな。自分に対して」
「なるほど、レオンらしいです」
二人は揃って格納庫内に入り、意図的に弱められている疑似重力の中を、連絡艇まで跳ぶように移動してとり付いた。連絡艇はプロミオンとの間は自動で航行するので、レオンもアリスも操船をする必要はない。
二人は並んで席に腰を下ろしてシートベルトを装着する。
「なあアリス、レオンらしい、ってのは褒めてないよな?」
「いいえ、私にとっては誉め言葉です」
アリスはきっぱり反論したが、それを聞いてもレオンはいまいち合点がいかなかった。
「まあいいや。ところで、プロミオンに食料はどれくらいあった?」
レオンにとってレベル5iフライトの経験は、空腹感と共にある。あの、倒れ込むほどのひもじい思いはもう、したくない。
「ご心配なく。レオン一人なら一年分くらいのカロリーがありますよ」
……いや、それは心配だ。
「カロリー換算かよ。まさか小麦粉一年分とかじゃないだろうな?」
前回はショートブレッド一食分だった。だからなのか、なぜか大量の小麦粉を連想してしまった。
「ふふふ。御心配なく。むしろ私の料理の腕前に、驚いてもらいますよ」
二人がプロミオンに移乗すると、待っていたかのようにメルファリアからの通信が届いた。スクリーンに大きく映ったメルファリアの表情には、もう迷いは無くなっていた。
「またレオンの厚意に甘える形になってしまいましたが、もうこの際おおいに甘えます」
「どうぞ!」
「わたくしは欲張りなので、甘えた上で言わせてもらいます。レオン、皆揃って無事に帰還して下さい。これは命令です」
「承りました。必ず、みんな揃って無事に帰ります」
メルファリアはにっこり微笑むと、アリスに対しては小さく頭を下げた。
「アリスさん、どうぞ宜しくお願い致します」
「はい。承知しました」
既にプロミオンは移動を開始してラーグリフへと向かっている。合わせてラーグリフもこちらに近づいてきている。同時に、ラーグリフではプロミオンを格納するために後部ハッチを開口しつつハンガー設備の調整が行われていた。
メルファリアとの通信のあと、レオンはキャプテンシートに腰を下ろして近づくラーグリフを眺めていて、アリスは当然のように隣の副官席に収まった。
「レオン、メルファリア様の言い方は、まるで子供を預ける保護者のようでしたね?」
アリスはその端正な顔に、まるで何かをこらえているような、微妙な笑みをたたえていた。
「はあ? 変な妄想すんな。気持ち悪いじゃねえか」
「よろしくお願いされてしまいました。ちゃあんとお世話しますからね」
「……」
アリスの機嫌を損ねるようなことを言うのは得策じゃないが、変な妄想を展開されても困る。レオンが怪我から復帰した時の醜態を思い出しているのでもあるのだろうか。
ホントにもう、やめてほしい。
プロミオンはラーグリフの後部専用格納庫にぴったりと収まり、ハッチが閉じると共に連絡通路とデータ経路が接続された。こうなるとプロミオンのセンサーは休止して、ラーグリフからのデータが流れ込む。ブリッジにはラーグリフからの光学映像が投影されて、アストレイアの流麗な船体が小さく映し出された。
「フライトプランを決めようか」
「はい。暫定案を示しますね」
ラーグリフは、アストレイアなどと比べると遥かに大きく、そして重い。その重量差は優に数百倍以上ある。なので、標準的な設定のままフライトプランを立案させると、加速にはずっと多くの時間がかかる。そして、それを補う形で高倍率のiフライトを行うことになる。
ラーグリフにとっては久しぶりの有人フライトになるが、暫定案を見る限りではレオンに対する配慮はあまりないようだ。
「ここ、九十万倍に達しているけど?」
レオンが、航程の中ほどにある数値を指摘してみせた。示された数値はインフレ倍率で、もうだいぶレベル6に近い。
「なるべく急いだほうが良いと思いましたが、レオンのためにレベル5内にとどめています」
百万倍に達すればレベル6だから、九十万倍はたしかにまだレベル5と言えるが、ぶっちぎりで前人未到の数値じゃないだろうか。
「大丈夫かなあ、俺」
「レオンは前回のフライト時に最大で三十万倍まで達していたのですよ。カプセルベッドの中ではありましたけどね」
一度うまくいったからといって、すぐさま背伸びをするのはどうだろう、とは思う。
「できれば今回のフライトでは、カプセルベッドを使わず通常通りに活動したままで過ごしてもらいたいと思います」
「そんなに俺に料理の味見をさせたいのか?」
……。
……。
「そ、そうではありません。逐次レオンに体調の変化を自己申告してもらうためです」
「その間はなんだよ? 既成食品だけ食べるぞ」
「それはいけません。私がちゃんと栄養バランスを考慮して献立をします」
ううむ、栄養バランスはたしかに重要なんだよな。トレーニングの習慣は続けたいし。それに、食料が十分なら寝てなど過ごさずに、作戦でも検討したほうが建設的なのは間違いない。
「わかった。じゃあそれで、シャンヤン星系へ戻るまでどれくらい掛かるんだ?」
「ざっと三日というところです。スピンクスはもうあちらに着く頃でしょうから、速やかに向かいたいですね」
「だから九十万倍ということか。……ようし、凌いでやろうじゃないか」
ラーグリフの準備は既に整っている。あとは敵戦力への対処法だが、それはこれから三日間で考えることとして、レオンはアリスに行動開始を指示した。
「では、ラーグリフ進発します」
アストレイアを残し、遥かに大きな白い船体はもと来た方向へと舳先を向けて動き出す。巨体の割には軽快に、展開したアフターバーナーの仄赤い残光の尾をひいて急速に加速し、あっという間にそれはアストレイアの視界から消えていった。
アフターバーナーの残光が赤いのは、ドップラー効果でもあります。




