50.嘘はつかない
黎明期はいざ知らず、現代のベクターコイルはあまり音を出さないよう進歩しています。
大きな宇宙船が大気中を動くとも、ジェットエンジンのような騒々しさは無いのです。
アリスに攪乱役を頼んで、レオンはメルファリア達を連れて中庭中央部への経路を探った。幾つかの植え込みを跨ぎ、段差を乗り越えてようやく中央部までが見通せると、上空に見覚えのある大きなシルエットが浮かんでいた。
「あれは、アストレイアです、姫様」
「ええ、もう少しですね」
三人ともが息を切らしたままアストレイアを仰ぎ見た。
「二人とも、あそこの茂みまで走って、アストレイアに乗せてもらってください! 俺は、アリスを連れてきます」
腕を伸ばして指をさし、リサに目で合図を送るとすぐに、レオンは踵を返した。左右に目を走らせながら左耳のレシーバーを操作するが、アリスからの返事がない。コンタクトディスプレイにも、アリスの位置は表示されていなかった。
「あいつ、通信を切ってやがる!」
危惧した通りだ。レオンは既に息が上がっていたが、気合を入れ直して走り出した。向かうべきはアリスがクラッキング操作を行っている端末だが、池の近くの案内端末と言っていたはずだ。それをナビゲーションマップ上で探す。
夜になれば庭園の一角を照らすガーデンライトのたもとに、アリスが寄り添うように立っているのが見えた。アリスはこちらに背を向けて、一心に案内端末を操っている。レオンはすぐそばまで走っていき、肩を掴んで無理やりに振り向かせた。
「アリス、帰るぞ!」
振り向いたアリスは、とても驚いた顔をした。いつもならすぐに気づくのに、俺のテレメトリーもオフにしていたのか?
「レオン、駄目じゃないですか、早く行ってください!」
「アリス、さてはおまえ、ここに残ってずっと時間稼ぎを続けるつもりだったな?」
さっき時間稼ぎを頼んだのは確かにレオンだが、アリスに自己犠牲を求めたわけではない。いつもは的確にレオンの心を見通すくせに、こんな時に先走りやがって。
レオンはちょっと怒っていた。
「それは、それが合理的です。目的を確実に達成する為です」
「それじゃあ、アリスを犠牲にするってことじゃないか!」
「皆さんが無事に逃げるには、それが一番確実です」
「駄目だね、俺が戻ってきたからには、俺を守って一緒に逃げるしかないぜ?」
今度はアリスが怒った顔をしたが、レオンは意に介さない。
「おまえさぁ、戻ります、とか、後から追いつきます、的なことを言わなかったよな」
「……」
「アリスは嘘を言わないだろ? だから、ごまかし方が分かりやすいのさ。なにが私は大丈夫です、だよ。すっとぼけやがって」
「わ、私はたとえ破壊されても、バックアップ時点からのリストアは可能なんですよ?」
安心させようとしたのか、決断を促そうとしたのか、アリスは笑顔でそう言った。
そう言いながら、アリスの右手はまだ忙しなく端末を操作している。
「なんていうか、そういう問題じゃないんだよ、俺にとってはさ!」
端末に伸びていたアリスの右手首を強引に掴んだ。
「それにさ、前に”好きも嫌いもある”って言ってたろ? だったら、痛いとか辛いとかもあるんじゃないの?」
「……ええ、まあ、精密なヒトシミュレータですから、それは」
「じゃあ駄目だろ。そんなの、だめだ」
追っ手の一人と思しき、サングラスを掛けた大柄な男が近づいてきたのを、レオンが視界の端に捉えた。ほとんど無意識に胸のホルスターから護身用の拳銃を取り出し、レオンは躊躇なく撃った。
儀体の時の経験が生きたのだろう、三発発射して、そのうちの一発がかろうじて男の足に当たったのだ。レオンの護身用拳銃から撃ち出されたのは軟樹脂弾で殺傷能力はかなり小さいが、それでも太腿に当たり、追っ手はもんどりうって倒れ込む。石畳で盛大に転倒すると、ただ撃たれたよりもダメージが大きそうだ。倒れた男は、膝をひどく痛めたようで、にわかには起き上がれない。
「一緒に逃げるぞ!」
手首を掴んだまま強引に走り出すと、アリスは抵抗はしなかった。レオンのペースに合わせて一緒に走り出す。目指す方向は、上空に浮かぶアストレイアが分かりやすい目印になる。もう既に走り疲れているレオンにとっては中庭中央部の庭園までが遠いかと思えたが、彼らを見つけてアストレイアの方から近づいてきてくれた。
「助かったよ!」
と、レオンはミッカに対して叫んだつもりだったが、返ってきたのはメルファリアの大声だった。しかも音声が割れている。メルファさん、マイクに向かって絶叫するのは考え物ですよ。
「二人揃って、直ちに戻らないと承知しません!!」
だが、地上にある構造物が邪魔をして、アストレイアほどの大きさでは着陸は出来ない。尾部底面に近いところのメンテナンス用ハッチが開いて、ロープが降ろされる。そこからリサが顔を出した。
「掴まって!」
ロープの長さがまだ足りないと分かると、アストレイアは周囲の立ち木に船体を擦りながら更に高度を下げた。ばきべき、ぎぎぎ、と嫌な音を盛大に発するが、おかげでロープが目の前まで下りてきた。
情けなくも息切れして片膝をついてしまったレオンを片手でひょいと抱えて、アリスがもう片手でロープロ握る。
「うわっ!」
レオン達をぶら下げたまま、アストレイアはすぐさま上昇に転ずる。
「レオン、私にしっかり掴まっていてください」
「お、おう」
レオンはアリスの腰に両腕を回してしがみついた。この際、見た目は気にしていられなかった。
レオンが自分に掴まっていることを確認すると、アリスは両手でロープをぐいぐいと登り、遂にはハッチの中へと転がり込んだ。
ハッチに飛び込んだレオンとアリスを迎え入れ、リサはロープを手繰り寄せる。
「しばらくここで、息を整えてください」
リサはハッチを閉じると、レオンとアリスの無事を伝える為もあり、ブリッジへと戻った。
「た、たすかったな……」
はあはあと息を切らしながらアリスに声を掛けたが、呼吸の落ち着かないレオンはその後のありがとう、が出てこない。対照的にアリスはいつもの通り、当たり前だが息を切らすこともない。
「この、溢れる感謝の気持ちをどうすれば良いのでしょう」
アリスは、がばっとレオンの顔を抱きしめた。むにゅ。
「お、おお? どどうした、アリス」
「わかりません」
さらにむぎゅっとレオンに密着した。
「あ~、それは、い、息が……ひゅ……」
「はっ」
あわてて手を放すも、元々息も切れぎれだったレオンは、既に朦朧としていた。
アリスはレオンの後頭部に手を添え、鼻をつまみ、躊躇いなく人工呼吸を行った。ぴたりと口を塞ぎ、アリスは人工呼吸器の役目を正確にこなす。
「ふあ、ぁあ、アリス。……し、絞めすぎだろ」
「誠に申し訳ありません、力が入り過ぎてしまいました」
おかげでレオンはまだ息が落ち着かない。
「力が入りすぎ、だなんて、……すうー、はあー、まだ学習が、足りないね」
「はい。すみません」
レオンは後頭部に手を添えられたままで呼吸を整えてから、ようやくアリスにありがとうを伝えることが出来た。
迎賓館内では、もう既にクラッキングは遮断されてセキュリティシステムの復旧が始まっていたが、至近空域に存在する巡航艦級宇宙船の為に、警報が鳴り響いたままとなっていた。地上ステーションからは警備艇が幾つも離陸し、アストレイアを取り締まらんと接近しつつある。
「うるさい連中が集まってきましたな。蹴散らしましょうか?」
「それは止めておきましょう。速やかに大気圏を離脱して、プロミオンと合流しましょう」
レオン達を無事収容できたと分かるやメルファリアはすぐに平静を取り戻し、デニス船長に対しては穏便な策をとるように指示を下した。
もうお帰りです。
せっかく検疫も済ませたというのに、勿体無い。
……とは誰も思っていないようです。




