38.レオン復活(2)
生身の身体と儀体はやっぱり別物なので、仕方ないです。
アバターリンクが途切れたのを確認してレオンの儀体を停止させると、アリスは隣のメディカルルームにそそくさと移動して医療用タンクベッドの小さな確認窓を覗き、まだ眠った状態の生身のレオンの顔色を窺った。
「さあ、復活しますよ、ちょっと大変かもですけど」
聞こえもしないレオンに対して意味深に呟くアリスは、ちょっと楽しそうだった。
ひと通りの手順の後、長らく封されたままだったタンクベッドの扉がゆっくりと持ち上がる。そこに横たわるのは本物のレオンの身体で、いま、長い眠りから目覚めようとするところだ。手順は小惑星上で遭難していたレオンを蘇生した時と同じようなものだし、レオンの感じ方も同じようなものだ。ただし、自身の身体で意識を回復したはずのレオンは、にわかに自分の身体をうまく動かすことができなかった。
……。
「レオン、聞こえていますか?」
聞こえてはいるが、まるで水の中で聞いているようなもどかしい感覚だ。
「やはり、自分の身体をうまく動かせていませんね」
もちろん身体の傷は跡形もなく、医学的には問題ないのだが、これがいわゆるアバター酔いというやつだ。没入感の深いダイブ型VRゲームの直後などに、自分の身体に違和感を感じる症状のことをVR酔いと言ったりするが、それの一層ひどい奴だ。
「レオンの場合は、脳が儀体の方に随分と慣れ過ぎてしまったのです」
「……」
儀体は、儀体の側でシンクロの微調整ができる。自動微調整機能もあり、儀体を動かそうとするときはすぐに動かせるようになるのだが、逆に慣れきった儀体から自分の身体に戻るときは、生身の身体は素早く微調整ができるものではないようだ。
アリスの解説を聞いたところで、レオンはまだうまく喋れない。モゴモゴと口を動かす程度で、まるで緩く全身麻酔をかけられているかのようだ。
「長い間連続稼働していましたから、本物の自分の身体と勘違いして脳が儀体に合わせてしまった、とでも言いましょうか。今のレオンは、自分の身体とのシンクロ率が低い状態ということですね。自分の身体なのに」
思考は問題ない。だがうまく喋れないし、視界もぼんやりしたままだ。なんとなく息苦しくもある。
「どれほどの症状になるのかは個人差もあり、やってみないと分からなかったのですけれど、これは比較的重症ですね」
冷静なアリスの言葉に対してレオンはかなり焦ったが、身体は不自由でうまく動かせず、今は何も伝えることができない。まるで、理不尽な夢の中で悶えているような気分だ。
「大丈夫ですよ。長くても一時間程度で完全に元に戻ると思います。なんたって自分の身体ですから」
一時間も素っ裸のままかよ、という心の声が聞こえたのかどうかわからないが、アリスはもぞもぞと動くばかりのレオンに寄り添って優しく耳打ちした。
「ま、私に任せてください。下の御世話だってちゃんとしますよ。ふふ、赤ちゃんみたいですね」
ちゅっ、とアリスがレオンのほっぺたにキスをした。らしい。その感覚すら、あまりにも曖昧だった。アリスはかなりの美人さんだが、このシチュエーションでほっぺたにキスされても、どうにも嬉しくない。いやむしろ恥ずかしすぎる。忘れたい。
結局、徐々に回復して違和感が解消し、レオンが自分の足でスキップできるまでには、ほぼ一時間が必要だった。この時のことをレオンはアリスに固く口止めした。本当は記憶を抹消したかったが、それは無理ということだった。
ともあれレオンは自分の身体を取り戻し、その不自由さ不便さを満喫して、そして久しぶりの珈琲を自分の舌で堪能した。
「ああ、いい香りだ。そして酸っぱくて苦い。……ああ、涙が出てきた」
「美味しそうには聞こえませんね」
レオンは念願の衣服を身に着け、落ち着きを取り戻してブリーフィングルームへと移動していた。なんとなくまだ身体全体が重たいような気がするが、これは疲れを知らない儀体から復帰したばかりなので仕方ない。むしろこの重だるさが、治ったことを実感させてくれているようなものだ。
「久しぶりにレオンのバイオデータテレメトリーを確認していますが、やはり問題ありませんね」
「アリスのおかげでもあるけど、至って正常だよ」
そう言いつつ立ち上がって、体をほぐすストレッチを始める。
正常だけど、この身体はちょっと運動不足かな、ともレオンは感じていた。
「レオンはレベル5iフライトのあと、もうずいぶん経ちますが、特に問題はみられませんね」
「そうだな」
「どうでしょう、もう一度レベル5iフライトを行いませんか?」
そう言うアリスの瞳は、期待を込めてきらきらと輝いているようだ。
魅惑の微笑とか、はじけるような笑顔、そういう形容のできる見てくれなのだが、レオンはストレッチを止めて、そのお願いを仏頂面で受け止めた。
「おまえ、俺でレベル5フライトのサンプルデータ数を稼ごうとか思ってるだろ?」
「私にとっても意外でしたが、レオンは本当に何ともないのですよ、全く。素晴らしい適性の高さだと思います。このままでは……」
アリスの視線が少しの間天井をさまよって、またレオンに戻ってきた。
「このままでは、なんだ?」
「ええと、言葉を間違えました。人類の進歩発展に貢献するため、是非ともレオンに協力してもらいたいのです」
レオンは面白くなさそうな顔でアリスをじいっと見つめる。
AIのユーザーインターフェースが言葉選びを間違うってどうなのよ。
学習が足りないね。
「まあいいや。レベル5フライトの件はさ、率先して実験台になりたいとは思わないんだけど、俺なりに必要性を感じることができたらトライしてみる、ってことでいいか?」
「はい。できれば、体調が万全な時にお願いします」
そりゃあね、俺だってそう願いたい。
前回初めてレベル5フライトを敢行した時は空腹だったなあ、と懐かしい事を思い出しながら、レオンは幾つかの私物をまとめて、アストレイアへと移乗すべくアリスと共に連絡艇に乗り込んだ。
「今度プロミオンに戻ってくるときは、食料の在庫を分けてもらわないとな」
はい、と短く気のない返事を返しながら、アリスは別のことが頭にあった。
——レオンのバイオデータに異常は全く見られない。
それ自体はとても喜ばしい事なのですが。
もうそろそろ、様子を見る必要もないんじゃないか? ——そう言われたらどうしましょう。
レオンを逐一観察する大義名分がなくなってしまいます。
このままではいけない、と秘かにアリスは思案していた。
レオンは、もう省略してレベル5フライトと言っちゃってます。




