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天使のたまごも楽じゃない  作者: 佐倉小春
5/21

過去の記憶

ヒック・・・ヒック・・・


子供が泣いている・・・5~6歳位の幼稚園くらいの男の子。


まるで映画を見るように、視界に飛び込んでくる映像。

あれは誰だ・・・見たことがあるような・・・

しばらく考えて、あれは自分だと気がついた。


川幅のある一級河川。穏やかに流れる水がキラキラと光る。車も走れそうなほどの広い河川敷に5~6歳くらいの男の子が一人ポツンと立っている。

その河川敷が千聖に案内された場所であると気づくのにはそう時間はかからなかった。


溢れ出そうなほどに目に涙をためて、それでも涙が流れないようにまばたきを我慢して空を見上げている。

いつもは犬を散歩させていたり、子供を遊ばせる親子連れがいたりするが、今日に限って誰もいなかった。泣いていても誰も声をかけてくるものなどいないのは分かっているが、泣いてるのを誰にも見られなくないのか、声を押し殺している。


お母さん・・・


小さいつぶやきが聞こえた・・・

これは・・・戻りかけてる記憶を探る。もしかして、千聖に初めて会ったあの日か・・・?

悲しいことと、心がふんわりするいいことが同時に起こったあの日。



「どうしたの?どうして泣いてるの?」

泣いている男の子の後ろに気づけば女の子が立っている。

ピンクのフリフリのワンピースを着て手には同じくピンクの帽子をもっている女の子。背中までの薄茶の長い髪は絵本に出てくるお姫様みたいにつやつや光って見える。日に透けると金髪にも見えそうだ。


不意に背中から声をかけられて慌てて涙を袖で拭いている。

「泣いてないもん!」

ムキになって言ってるところがまだ子供だなと我ながら思う。

そう・・・あのときは『男の子』は決して泣いてはいけないのだと頑なに思っていた。


「悲しいことがあったの?」

一歩近づきながら問いかけてくる。

「ママが、天国に行ったんだ・・・僕のそばに居てくれなくなったんだ」

女の子が近づいてくるのに戸惑いながらも小さな声で答えている。

「そう・・・それは悲しいことね。でも、大丈夫よ!天国は良いところなのよ!天国に行ったら幸せになるの」

ニッコリと笑う彼女を見て、涙を浮かべていた男の子はキョトンとして涙が引っ込んだようだ。



「僕に会えなくなるのに幸せなの?」

震える声でのつぶやきに、女の子はハッと気づいたように目を見開いた。

「ごめんなさい。お母様に会えなくなるのは寂しいことね。でも、いつかまた会えると思うのよ。あなたが天国に行ったときに」

「いま・・・あいたい・・・」

正直な気持ち。

ずっと病院に入院していたママ。やっとお家に帰ってきたと思ったら、たった2日で天国に行ってしまった。


身体が小さく震えている。必死で涙を堪えているだろう。


おれはあのとき、涙を我慢していた。

男の子は泣いてはいけないと、6歳年上の姉が言ったからだ。泣いてるとママが心配で天国にいけなくなってしまうから泣いてはダメと。

父は何も言わずに抱きしめてくれた。

だから、俺は泣いてはダメだと思っていた。


涙をこらえているのがわかるのか、女の子は僕の前まで来て顔を覗き込んだ。

「泣くのをガマンするのは良くないのよ」

手を差し出して優しく頭をなでてくれている。

「でも、男の子は泣いちゃいけないって、お姉ちゃんが・・・」

「男の子でも悲しいものは悲しいの。泣いていいの。泣かないと心が壊れちゃうのよ」


心にしみるような優しい声に、俺の意地は一瞬で砕けた。

泣いていい・・・その言葉が心に届いた瞬間、男の子・・・いや、俺の目から涙が溢れてきた。

次から次に涙が溢れて止まらない。


そうだ―――思い出した。

泣いてもいいという言葉で、俺の心は救われた。

悲しいときは悲しいと伝えてもいいのだと教えてくれた少女・・・千聖。


うつむいて泣いている僕の眼の前が急に開けた気がした。軽くなった心と共に周囲が明るくなったように感じた。千聖の表情から優しい光を感じる。

驚いて顔をあげると、女の子の背中に白い光が見える。まるで羽が生えているように見える光は、優しく二人を包み込む。


いつの間にか男の子の涙は乾いていた。ニッコリと天使のほほえみを向ける少女のことを本物の天使だと信じて疑っていなかった。

母親が呼びに来て立ち去ろうとした女の子にとっさに名前を聞き「千聖(ちせ)」だと教えてもらった。しかし、名前がわかってもどこに住んでいるのかも分からず、彼女に会うことはできなかった。それでも俺は彼女のことを忘れた日は一日としてなかった。



そして・・・彼女に再開できたのは8年後・・・俺が中2のときだった。


ピンポーンと鳴り響くインターホンに舌打ちをしながら応答したのは夏休み中のとてつもなく暑い日だった。

どうせ宅配便だろうと居留守を使おうかと思ったが、不在票が入っていたらどこに行っていたのかとか詮索されそうで嫌だったのでとりあえず荷物を受け取っておこうと応答すると、予想外な可愛い声が返ってきた。

「隣に引っ越してきた桜井と申します。今日は引っ越しの挨拶に伺いました」

とっさに声が出なかった。8年前のあの日のまま天使のような笑顔をみせて玄関に立っていたのは千聖だった。頭の中で鐘が鳴り響いたのを思い出す。


千聖は俺の家の隣の空き家に引っ越してきたのだ。学校も当然同じ中学で、偶然にも同じクラスになった。

ダメ元で8年前のことを聞くと、なんと千聖も河原での出来事を覚えていてくれた。

「キレイな男の子だから声かけちゃった」

とニコッと笑いながら「もう一度会えてうれしい」とか言われたら、おちない男はいないだろう。


それからの俺は千聖の隣に立つにふさわしい男になるべく見えない努力をしていった。

もともと成績は悪くなかったから、ちょっと真面目に勉強したら学年で常に五本指に入るくらいになった。

千聖に近づく男を牽制するために生徒会にも入った。気づいたら中学校の生徒会長までなっていたのは予想外。ちょい役くらいでよかったのに・・・高校では会長は避けたいと思いつつも執行部に席を置いている。



人として生きていた時の記憶をすべて取り戻したことの混乱が収まりかけたとき、ふと千聖の顔を思い出す。

俺が三枝彬として生きていた時の記憶の中の千聖はいつも笑顔だった。

『笑ってないとダメだよ』いつもそう言って、嬉しいときはもちろん、勉強をしているときも、授業で長距離走らされているときも、いつも笑顔を浮かべていた。困難なことに対処しているときも、対応を考えていることを楽しんでいるかのように、前向きな姿勢を見せていた。


なのに今の千聖はどうだ。うつむきがちで、笑顔をみせていても上辺の笑顔を貼り付けている。儚げで、今にも壊れそう。

すべて千聖のために、千聖を守るために・・・との俺の行動が、今の千聖の表情を曇らせているのか・・・?


俺は事故のことも思い出していた。


あの日、千聖と下校していた俺は学校前の交差点で信号待ちをしていた。そして千聖の背後に二人の女子生徒がいるのに気づいた。

何度も生徒会の手伝いをしたいと押しかけてきていた女子生徒だったから顔は知っていた。どこかの病院の娘とかで、派手なブランド物のカバンを学校にもってきたり、校則違反のピアスやネックレスを付けて来ては他の生徒に自慢をしているので、風紀が乱れると注意したことがある。それがまた気に入らないようで、千聖を睨んでいたことがある。生徒会として注意しているのに、どうして千聖個人に悪意が向くのかわからないが、友人の梨花が「あんたが出てきたらもっとややこしくなるから」というのも理解に苦しむ。


千聖の背後からゆっくり近づいてきた二人はいきなり千聖を道路に突き飛ばした。

向こうから大型トラックが近づいてきているのが見えた。

スローモーションのように近づくトラックの前によろける千聖に手を伸ばした。渾身の力を足に入れて地面を蹴った。千聖を助けないと!!という一身で伸ばしたてはギリギリのところで千聖の左手に届いた。ギュッと握りしめた手を思い切り引き寄せる。反動で俺の身体がトラックの前に転がる。千聖の身体が歩道にいた誰かに抱きとめられるのを確認して「よかった・・・」と思った瞬間、トラックが俺の身体を跳ね飛ばした。

「彬くん!!」

千聖の叫び声が聞こえた気がした。


痛みは感じなかった。

よかった・・・それだけを繰り返し思っていた。千聖が無事でよかった。守れてよかった。

痛いとか、死ぬのは嫌だと思うよりも「よかった」という思考だけが俺を捉えているときに、声が聞こえた。

それは優しくて、心地よい、俺の知っている少女の声・・・

 


逝かないで・・・

私のことを一人にしないで・・・

私のことを忘れないで・・・

 

忘れないで・・・


そして俺の意識は途切れ、気づくと天界の白の世界に召されていた。








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