寧音の微笑
うちの弟の頭の中がお花畑になっている。
我が家に一緒に住み始めた彼女が可愛すぎて身もだえている弟はまるで人が変わったかのようだ。
もっとクールで落ち着いた人物だと思っていたのに、今のデレ具合は頭の螺子が二~三本飛んで行ったかのようだった。
天涯孤独になった彼女をうちに連れてきて一緒に住み始めてから早半年。クリスマスだ、お正月だと色々賑やかな行事があっという間に過ぎ去って、もうすぐ桜が咲こうかという季節になってきている。
同棲というよりは同居や下宿というのが正しくて、無駄に余っていた部屋を一部屋彼女用にしている。未成年の彼女の後見人にはうちの父になってもらい、彼女の両親の残した財産管理は病院でもお世話になっている弁護士に頼んだらしい。
最近なんとか生活が落ち着いてきて、千聖スマイルが炸裂し始めた。使いすぎていた気を必要以上に使わなくなり、ようやくここが自分の家だと思ってくれているようだった。
「寧音さん」
と掛けられた声の可愛らしいこと。自分が小さな可愛いタイプの女の子になりたかった私としては、羨ましいのと憧れるのとが相まってギューッとハグしたくなる。不思議と嫉妬は感じない。
私でさえそうなのだから、同じ遺伝子を持ち、不本意ながら同じような嗜好である弟は蕩けそうな笑顔と声で彼女を見つめている。
気持ちは分かる、分かるけど外に行くときには漏れ出た煩悩を何とかしてほしい。
多分今、彼の頭の中は色とりどりの花が咲き乱れていることだろう。
にゃ~
足元にすり寄ってきたのはうちで飼っている黒猫。名前は『リカ』という。
彼女が同居するようになってすぐに二人が連れて帰ってきた。野良猫の割には毛並みもきれいで、人慣れてしている。贅沢なのかキャットフードは全く食べず、人と同じご飯を食べている。塩分や栄養的に良いのかと疑問に思うこともあるけど、猫用に薄味にしているとの説明を受けてまぁいいかと納得した。世話をしているのは主に千聖ちゃん。べったりとすり寄っている姿を見ると愛されているなと感じる。というか、うちの弟には全く懐いてない。姿を見ると途端に目を吊り上げて威嚇している。ときどき尻尾を膨らませているのを見ると笑ってしまう。この猫、人を見る目があるわ。
私には付かず離れずっていうところ。不必要な愛想はふりまかないけど、威嚇することはない。機嫌が悪くない限りは体も触らせてくれる。名前を呼ぶと尻尾を振って返事を返してくれる。これって懐いてるっていえるんじゃない。
高校三年になり進路を考え始めた弟は予想通り親戚一同から医学部への進学を打診されていた。父のスタンスは自分の行きたい進路へ進めという私の時と同じ意見だった。父方の祖父は元銀行勤めでややお金持ちだけど普通の会社員。一方、母方は医者一族で曾祖父、祖父母、叔父が医者で、母は医者は嫌だと事務系の仕事をしていたらしいが一家で地域の中核を担うような病院を経営している。父はその病院の外科部長。ただ、今のところ後継ぎがいない。私の大学進学時も医者になれと脅迫めいたことを言われたが父が突っぱねた。弟にも話を持っていったようだが聞こえないふりをしている。娘婿の割に父は強気で、祖父にも言い返している。
彼女のことしか目に入っていない弟の進路は、千聖ちゃんとの将来を考えて自分なりに結論を出すだろうが、医学部に進学しないことだけは断言できる。父の多忙さを見ていた弟はやりがいのある仕事よりも彼女との時間を優先するだろうことが予想される。
私もそれでいいと思う。
弟は6歳で母を亡くし、私たちの世話は父方の祖母がしてくれた。その祖母も亡くなり、多忙を極めた父も大事にはしてくれたがきっと寂しかっただろうと思う。私も自分のことで精いっぱいで、弟の面倒を見るいい姉だったとは言い難い。
彼はようやく彼だけを大切にしてくれる家族を見つけたのかもしれない。多分、親の同意無しで結婚できる年齢になったらすぐに籍を入れるだろう。彼女以上の人には出会えないと思う。
それほどまでに一途に思える人を見つけられたことは少し羨ましい。
だから、ばかにするわけではなく、本当に真剣に
彼の頭の中のお花畑がずっと枯れなければいいなと思っている。