葛藤
見えるものだけに騙されてもいけません。
純朴すぎる天使は人の心を信じすぎる。
でも、信じすぎては大海を見渡せません。
真実を追求するためには目を閉じて感じることも必要です――
悟りを開いた仙人のような言葉を残してミカエル様は去っていった。すーっと音もさせずに薄れゆく姿を見て、幽霊を思い出させる。怖っと身震いして空を仰ぐ。
これから自分がどう行動するべきか迷いがあるのが正直なところ。
人であったときの記憶のカケラが「このまま千聖のそばにいたい」と思う。反して天使見習いである俺は「早く天界に戻って天使として奉仕したい」とも思っている。どちらの思いが強いかは自分でも良く分かっているが、どちらを選ぶべきかも分かっている。
ミカエル様はこちらにいられるのはあと2週間だと言った。生きていたときの記憶が残っている原因が分かっても分からなくても良いとも言った。ならばなぜ俺はここに来たのか?
千聖のことを思い出さなければ迷うことなく天使として天界で暮らせたのに・・・人間界に居たいと思わずにいられたのに。
俺は死ぬ間際、千聖を助けられてよかったと思った。でもこれから先、千聖の隣に立つことができない。俺ではない誰かが千聖の隣にいるのが嫌だ。正直見たくないと思う。千聖に笑っていて欲しい。でもその笑顔は俺だけに向けて欲しい。
もし俺が普通に人としての記憶を失った天使であったならば、他の人間と同じだけ千聖の幸せを願うだろう。万人に対して同じように多幸を願い、神の御使いとしてわずかながらの奇跡を与えることもできたかもしれない。でも、今の俺は特別に思う少女に対して、皆と同じような気持ちを抱けない。はっきりと彬の気持ちと融合していなくても、彼女と一緒に幸せになりたかったとの気持ちを持っている。一緒に生きていきたかったと強く思う。
それは天使としては持ってはいけない感情。
前世の記憶を持っていることが天使としての弊害であるとよく分かる。
誰かに特別な愛情を捧げる天使は皆を等しく愛せない。
天使失格だ・・・
このまま人間界にもいられない。天使にもなれない。いっその事輪廻の輪に入って転生するか・・・でも、それだと千聖との接点もなくなるだろう。
千聖を忘れたくないのか、思い出したくなかったのか、気持ちがぐちゃぐちゃで収集がつかない。自分がどうしたいのか分からない。
どうすることもできず天井を見たまま思考を巡らせていたが、しばらくして開き直ることにして諸悪の根源はミカエル様であると結論づけた。
生前の記憶を持ったイレギュラーであっても、天界でそのまま暮らしていれば千聖のことは思い出さなかっただろう。人間界に来るときも大した説明もせず滞在できる期間も教えられず、偶に来ては人の気持ちをかき回していく。本当に偉い人(天使)なのかと疑いたくなる。
全部あの人が悪い!!責任転嫁すると気持ちが少し楽になった。とりあえずやれるところまでやってみよう!
多少気持ちが前向きになったところで明日自分がすべきことを考えながら眠りについた。
翌日、登校してから休み時間のたびにお目当てのお姉さんたちを探しているんだけどなかなか見つけられず、ようやく昼休みに見つけたのはいじめの現場としては定番の校舎横の人目の少ない温室の裏。
お姉さんたち3人は千聖を取り囲んで睨みつけている。これまた定番の悪人顔して、今どきの女子高生は怖いなと実感する。
人目を気にしてこんな人気のないところに連れて来ておいて、声のトーンは高く温室の反対側のまだ姿が見えないところにまで叫び声が響いている。
「どこまで色目つかってんのよ!!」
「三枝くんが居なくなったからって転校生にすりよって!!」
「最低な売女ね!」
耳を塞ぎたくなるようなセリフが飛び交う。人として最低なのはどっちだろう。
唾を飛ばしながらヒステリックに叫んでいる三人組の前で千聖は反論もせずに項垂れている。
聞いているだけでムカムカしてきて、黙って見ていることはできなかった。
とりあえず探してた人たちを見つけたってことで、話に横槍を入れておくことにする。
「その転校生って俺のことですか?」
突然聞こえた俺の声に明らかに狼狽している三人。それまでの勢いはどこに言ったのかというようにアワアワ言いながら目を白黒させている。何かを言おうとしているようだが言葉になっていない。
「俺、色目なんて使われていませんよ」
睨んだつもりはないが、冷ややかな視線になったのは仕方のないことだと思っている。
「アラタくん」
俺に気づいて顔を上げた千聖を見て、悲しそうな顔をしていても泣いていないことが意外だった。
「三年生が三人で二年生一人を取り囲んでいじめなんてかっこ悪いと思いません?」
わざと声のトーンを落としてニヤッと笑ってみせた。うーん、我ながら良い悪人顔ができているのではないだろうか。
「なっ、私達は別に・・・」
「いじめてなんて・・・」
顔をひきつらせながら言いよどむ。微妙に顔色が悪くなっている。
三人は少しづつ後付さりながら「調子に乗ってるんじゃないわよ」そう言い放つと校舎の方に走って逃げていった。
ちょっと聞きたいことがあって朝から探していたのに、逃げられてしまった。仕方がない。後でまた探すことにしよう。
「ありがとう、アラタくん」
また助けられちゃったとハニカミながらホッとしたように小声で言った。千聖は一人だった。いつも助けに入る梨花はどうしたのかと聞くと
「いつも一緒なわけではないのよ」
と笑った。
「助けてもらうことは多いけど、今はクラスも違うし・・・」
そういえば、そうだった。一年生では同じクラスだった梨花は二年生では違うクラスになっていた。俺と千聖は同じクラスだったから覚えている。クラス単位で動くときは千聖はクラスの友達と一緒にいた。そのことを思い出して、ふと違和感を感じる。
今の千聖はクラスで友達と話をしていない・・・?
転校してきてから数日。千聖がクラスメイトと話をしているのを見たことがない。そういえば、クラスメイトが千聖へ声をかけているのを見たことがない。気の所為にするにはおかしすぎる。
そしてふと転校初日、千聖が俺に近づいたときのことを思い出す。俺の周囲を囲んでいたクラスメイトが千聖が近づいたら波が引くように左右に別れた。
「大丈夫!」
「千聖ちゃん?」
「大丈夫、心配しないで」
俺がなにか言う前に遮ろうとしているのが分かった。
彬がいたときまではいつも友人に囲まれていた千聖。なのに今は梨花しかいない。
俺が死因が千聖のせいだと騒いでいた三年生。俺の死因のことで嫌がらせを受けていると言っていたのを思い出す。その余波なのか・・・周囲から人がいなくなったのだろうか・・・
それでも今目の前にいる千聖の笑顔は曇ることなく、悲壮感を感じさせない穏やかさだ。
一つ、きいていもいいかと問うと、なんですか?といつもの微笑みを見せた。彬の姿では聞けなかった疑問。アラタとして過ごす今なら答えをくれるだろうか。
「どうして彬の彼女にならなかったの?」
なるべく穏やかな声で聞いてみた。予想外の踏み込んだ質問に千聖が息を呑んだのに気づいた。視線が宙を泳ぐ。
「客観的に見て、彬は君を好きだった。千聖ちゃんも彬に好意を持っているように見えるけど。彬に告白さえさせなかったんだろう?彬から聞いてる。それに、寧音さんも君たちは付き合ってると思ってるような事を言ってたのに、君は彼女ではないと言ったよね。どうして?」
どうしても知りたかった千聖の気持ち。嫌われているとは思わなかったけど、すべてを受け入れられているとは思わなかった。
暫くの間視線を彷徨わせていた千聖が、ゆっくり俺の方を向いた。視線がぶつかるとため息を一つついた。
「私は彬くんのような『いい人』に好意を寄せてもらえるような存在ではないの。打算的で自分のことばかり考えていて、どうしようもない我儘なの。彬くんの隣に立つべきではないの」
「そんなことない!!」
思わず叫んでしまった。目を伏せていた千聖は、俺の声量に驚いて目を見開いて身体をビクッとさせている。
何を持って自分をそれほど卑下しているのか納得できなかった。
「千聖ちゃんは打算的じゃない。我儘でもない。それは転校してきて間もない俺でも分かることだよ。どうしてそこまで・・・」
俺の必死さに引いてた千聖がふっと笑みをこぼした。思わず可愛いとこちらも顔が緩みそうになる。
「アラタくんはいい人だね。彬くんみたい」
いつものような前向きな暖かな響きが影をひそめる声音に少し驚いた。千聖でもこんな話し方をするのかと衝撃を受けた。
何があってもニコニコと柔和な笑顔を崩さず、周囲の空気を和ましていた。明らかに千聖の心が揺れているのを感じる。何かに葛藤している。
千聖は視線を反らしてつぶやくように言葉を吐き出す。
「私の想いは重すぎてきっと嫌われる」
彬くん・・・ごめん・・・
最後の言葉は聞こえるかどうかくらいの絞り出すような、かすれるような囁き。
視線を反らしたまま、もう俺の顔は見ることもなく走り去った。
千聖の真意は分からない。でも何か俺に告げていないことがあって、そのことで心の中で葛藤している。それだけは分かった。
俺は千聖の背中に掛ける言葉も思いつけず、追いかけることもできなかった。




