05_呪い女オウナ
コボルトたちと別れたゲルトンが空き地に戻ってくると、太陽はすっかり空のてっぺんに上り切っていた。
荷物が重くなっていることに加え、転ばないよう気を付けて足を進めていたため、登りに比べて足取りも遅くなって時間がかかる。
平地についたところで、ゲルトンは大きく息を吐き、肩にズシリと重たかった荷物を地面に置いた。荷重がかかっていた首や肩を回すと、筋肉や関節がゴキゴキと音を立ててほぐれていく。腰に手を当てて体を伸ばすと、彼ののどからくぐもったうめき声が漏れる。
体が十分にほぐれると、ゲルトンの腹がクゥと情けない鳴き声を上げた。ゲルトンは体の欲求に逆らわず弁当を使うことにして、地面の小石を軽く払って腰を下ろした。
水筒に残った水を半分ほど飲み、朝に用意したパンと干し肉を取りだす。
水分を失った肉は黒褐色で小さく縮まり、ところどころ脂が白い筋になっていた。ゲルトンが前歯でかみつくと、乾燥しきった肉は脂肪の筋を境目にして簡単にほどける。肉のかけらはかすかに煙のにおいをまとっていて、噛むほどに刷り込まれた塩味と獣肉の味、そして脂のうま味が口の中に広がる。
口の中に塩味が入ることで、さらに食欲が増した。表面が茶色に固まったパンの塊にかぶりつく。パンはツンとした酸味が強く口に残った脂をきれいに拭い去っていく。
ゲルトンは、時折水を口に含みながらパンと肉を繰り返し口に運ぶ。干し肉も大きなパンの塊も、すぐに小さなかけらになり、ゲルトンの口に放り込まれていった。
「ぐふうぅっ……」
最後のひとかけらを飲み込んだゲルトンは、大きなげっぷをして、その場にゴロンと横たわった。満腹でいつもより大きくなった腹を上下させ、ゆっくりと深呼吸をしているうちに、自然と瞼が落ちていった。
満腹の昼寝を楽しんでいるゲルトンのもとへ、すらりと背の高い人影が一つ、ゆったりとした足取りで近づいてくる。
頭から濃い紫色のローブをすっぽりかぶった人影があと二足の距離まで近づいたところで、ゲルトンがむくりと体を起こした。目が縦になるほど見開かれ、気合のこもった視線を放つ。片膝立ちで人影に向けて肩を見せる半身の姿勢を取り、両手はすぐにでも幅広の刀身を抜き放てるよう柄とサヤに添えられている。
ローブ姿の人物が歩みを止め、フードを外して顔をあらわにする。ローブの袖から出た手は褐色でほっそりとしている。フードの中から出てきたのは、耳が長く目鼻立ちがやや薄い細面の女性の顔だ。
女性の顔を認めると、ゲルトンの顔から険しさが抜け、警戒した姿勢も解けた。女性のほうもニッコリと静かに表情を和らげる。
「なんだオウナさんか。驚かすなよ。人がゆっくり寝ているところに」
オウナは村の外の山に住む呪い屋だ。村民たちの多くが木造の家に住む中、彼女は扉と採光窓を付けた洞穴を住居としている。村の人々がオウナの家を訪ねることはほとんどなく、彼女も村民たちと積極的に交流を持とうとはしていなかった。
村の設立当時から山に住んでいると言われているが、彼女の容姿は若々しさを保ち続けており、そのことが村人たちを遠ざける一因となっていた。
村人たちは、彼女の不思議な服装やなぞに包まれた生活や、彼女が執り行う呪いに恐れを抱き、自分たちの生活から切り離そうとしてきた。
そんな中、山と村を行き来するゲルトンは、彼女とも品物や情報のやり取りを行い、交流する数少ない一人だった。
「驚かそうだなんて。アタシは風邪ひかないか心配で話しかけようとしただけさ」
オウナの声は、見た目からは予想できない、低くかすれたものだった。
「寝るなら家に帰って寝ないとね。風邪ひかなくても獣や魔物に食われることだってあるのだし。山の者はいつだって脂肪に飢えているんだから」
オウナもコボルトたちと同じように、ゲルトンの腹を見て笑みを深くする。
「そしたらオウナさんが助けてくれや」
「アタシのようなか弱い女を盾にしようだなんて……。報酬弾んでもらわなきゃ」
オウナの目線がゲルトンの腹から少し下がって、太い脚の間をじっと見つめる。
オウナは交易をするとき、金や品物の代わりにゲルトンと枕を共にすることがあった。彼女は二人で布団に入ると、まるで命を吸い取るように何度も何度も彼の精を求めた。
ゲルトンも、まるで初めての迸りを覚えた少年のように途切れることなく彼女の求めに応じていた。
「やめてくれよ。俺だってもう若くないんだ。毎度毎度あんなにされたら死んじまうよ……死因女なんてみっともなくて葬式も出せやしねえ」
「あら? いいじゃない。幸せの絶頂で白い羅光になって天に昇っていくなんて素敵よ」
オウナは口に細い指をあて、クスクスと笑い声を忍ばせる。ひとしきり笑い終えると、彼女の目に鋭い光が宿る。
「ゲルトン、あなた山に入っていたのでしょう? 何か感じなかったかしら?」
「俺は何も。コボルトの大将も同じこと言ってたけど、そこまで感じ取れる能力は持ってねえんだ」
「そう……彼らも気づいているのね……」
オウナは納得したように頷いてゲルトンの横をすり抜けようとする。
「おいおい、待ってくれよ。一体何が起こるってんだ?」
オウナは立ち止まって振り返ると、首を小さく横に振る。
「何が、はわからないわ。アタシにも、きっと彼らにも。けれど何かが起ころうとしていることはわかるの。まるで山全体が身構えているようだわ」
「そんなもんかねぇ……。何か村の奴らに伝えることはあるかい?」
「今は平気。まだ少しだけゆとりがあるはずよ」
オウナはそう言ってフードをかぶり、山の中へしずしずと歩き去っていった。