探偵にはちょっとした嘘は必要さ
賭けボクシングが終わった後も、グウィンの気にしている団子鼻の彼は、そこに居続けた。
おかげで、二人は隅の方で、怪しまれないようにおしゃべりをし続けることになった。
ちなみに、彼女の押したアルヴィンはきちんと勝って、二人と、あの男たちにお金をもたらした。
「なんで居続けてんのよ、あの坊ちゃん。終わった後までいるって絶対なにかあるわよ」
「面倒くさそうにしないでほしい」
「だって、面倒くさそうなんだもの。一体なんなのかしら」
「さあ、それはわからない。ただ、兄になにかしようというのならば、容赦はしない」
「まあ、こわい。ふふ、とんだブラコン野郎ね。そんなんじゃ、モテないわよ?」
「モテる必要性を感じないのだが」
「唐変木の朴念仁って言われない?」
「それは、言われたことない」
「あら、そう。堅物なのね」
ふん、と鼻を鳴らして、つまらなさそうに紅茶をすすった。
ジト目で対象の彼を見つめていると、なにかを見つけたのか、顔をハッとさせて、そちらに駆けて行った。それを追って行くと、ボクシングに出ていたデレックというボクサーがいた。中々、女性に人気のありそうな顔である。
そちらに向かって、にこやかに彼は向かって行った。
「どういうことだ?」
「さあ、私、しーらない。帰る」
「いや、待て。きっちりと最後まで見届けないと」
「堅物、真面目くん!少しは世間と人の心っていうのを知るべきね」
「どういうことだ?」
はあー、と、ため息を吐いて、片肘つき「報告が来ましてよ、閣下」と投げやりに言った。
やってきた男は、苦笑いをしながら戻って来た。
「イゾルテちゃん。彼を狙っていたなら、ご愁傷様だ」
「あら、可愛いけど、別に狙ってないわよ。それで、なんなの?まあ、わかるけど、横の彼のためにご説明していただける?はぁあ…」
「おっと、彼氏にか?いいぜ。ええと、あんた、男同士が恋したりなんぞを知っているか?」
「知っている。たまに騎士団にいる。それで、それがどうかしたのか?」
「じゃあ、簡単なこったな。あそこの坊ちゃんは、あのボクサーに恋愛中だ。まあ、付き合ってはいないみたいだけどな。なにかの悪巧みでもなさそうだ。ありゃあ、ちょっかい出したら、馬に蹴られるぜ。そんじゃまあ、勝たせてもらったし、やることやったし、帰るぜ。じゃあなあ」
「そうか、感謝する。良い1日を」
「ハハハ!真面目だなあ、あんた。あんたらも良い1日を、そんじゃな」
そうして、彼は、つるんでいた連中と共に出て行った。
グウィンは、それをちらっと目で見送った後、また、対象の彼を見た。それに、また溜息を吐いた後、イゾルテは「もう、好きにしなさいよ」とでも言うように、行儀悪く足を組んで、紅茶をすすった。
「あれは、本当に恋をしているのか?」
「知らないわよ、そんなもの。気になるなら、聞いてみれば?」
「だが、邪魔をしては悪い気がする」
「そう思うならほっときなさいな。相手もまんざらじゃなさそうだし、別にいいんじゃない?」
「確かに、それもそうだ」
「それじゃ、帰りましょ?私、長居はする気、ないの」
「それでは、出よう。今日は付き合ってもらって感謝する」
「このまま帰るの?」
「やることは終わった。このまま下町にいる必要がない」
そう言うが早いが、グウィンは立ち上がり、さっさと外に出るために歩き出した。それに慌てて、イゾルテは追いかけようとして立ち上がった。
なんとなく、あの生徒とデレックのいう方を、ちらっとみれば、なにかの受け渡しをしているようである。
思わず、ガッと、彼の手首を掴んで「まだ、紅茶を飲み干してないのに」と、座れという意味でそう言った。すると、それはいけない、と彼は大人しく座った。しかし、すぐに、イゾルテに立ち上がらされて椅子を移動され、そこに座ることになった。
斜向かいではなく、真向かいになった。
不思議そうに、イゾルテをグウィンは見た。
「どうした」
「なにかの受け渡しをしてたわ。なにかしら。お金?でも、それにしちゃ、小さいわ。振り向くんじゃないわよ」
「わかった。なにかの受け渡しか。どんな袋に入っている?」
「白い、トランプが入る程度の大きさよ。中を確認してる。あー、あれは、うーん、相手が利用してるわね。探りを入れる方がいいかしら」
「危険な可能性もある」
「じゃあ、あなたが行く?」
「私は、そういうことは得意でない」
「でしょうね。あの坊ちゃんが出たら、行ってみるわ」
「わかった。確かに、害のある物で、それに関して、兄に、金だの権力だので融通してほしい、なんて言っては、困るからな。危険だと思ったら、すぐに行こう」
「あら、嬉しい。安心だわ」
「君と友人になってよかった」
「ほほほ。そうでしょう?これじゃ、友人というより、仕事のパートナーだけど…。それじゃ、いくわ。もしも、私がそっちを見たら、来てちょうだい」
対象の彼がいなくなったのを確認して、イゾルテはデレックに近づいていった。
グウィンは場所を変えて、彼女たちがよく見える位置に座った。ちらとこちらを見たイゾルテは、ニコッと笑ってウィンクした。
「ねえ、あなた、デレックさん?」
そう、イゾルテは、無垢な少女のような声色で聞いた。それに、デレックは、にっこりと笑って「そうだよ、お嬢さん」と答えた。
「先ほどのボクシング素敵でしたわ。私、感動しちゃった。どうして、あんなに身のこなしが軽やかなの?お食事?それとも、練習?」
「ハハ、ありがとう。きっと練習の成果かな」
「まあ、努力家なのね!私、努力家な方って好きだわ。ねえ、教えてくださらない?一体全体、どうして、あんなに素敵に戦えるのか」
「そんな…、素敵だなんて、照れるな。でも、いいよ。教えてあげるよ、君にだけね。あそこで、教えてあげよう」
「あら、あそこで?いいわ。教えてちょうだい?」
にっこりと、イゾルテは答えた後、ポケットにねじ込まれている袋をチラッと見た。
デレックのどちら側にあるのかを確認した後、ねじ込まれている方のポケットの方に座った。それから、お酒を頼んだデレックに、私も飲んでみたいわ、と頼み、お酒を持って来てもらった。
二人で乾杯し、とりとめのない話しを十数分したところで、彼女は、わざと「酔っちゃったみたい」と眠そうに頬を赤くさせて言った。
下心まんさいらしいデレックは「じゃあ、俺に寄りかかりなよ」と言った。
それに大人しく従い、彼の肩にイゾルテは頭を乗っけて、自然な感じで下を向いた。そうして、ポケットの中身を虎視眈々と見つめながら、彼の腕をそっと触り、組むふりをして、ポケットから物を引き抜き、なにか言ってくるデレックには適当な返事をする。
そうして、袋の中身を見ると、なにかの葉っぱらしい。それを、ひとつまみ拝借し、自分のポケットに入れた後、そっと袋を元に戻した。
向こう側で、これをみているグウィンは、すごい度胸と腕だな、と素直に感心していた。感心はしていたが、危険があれば、すぐさま出て行くつもりだった。
しかし、万事うまくやったイゾルテは、そっとグウィンに目配せをした。彼は了承の意で頷き、さっと立ち上がって、向かっていった。
彼は、二人の横に立ち、イゾルテの腕を取った。
それに驚いたように目を見開いたイゾルテは「まあ、グウィン!こんなところまで来るだなんて!」と声をあげ、そっと「お嬢様」という形に口を開いた。
ちっともバカではなく、理解力のあるグウィンは、そのまま、お嬢様、と口に出した。
「一回くらい、こういうところに来てみたかったのよ、ごめんなさい!お父様には黙ってて」
「…いいでしょう。一度目ですから、今回は目をつむりましょう。ですが、次はありませんよ、お嬢様。さあ、帰りましょう。そこの者。お嬢様をどこかで見かけても、決して話しかけないように」
「え、あ、は…」
「いいですね?」
「は、はい」
「ごめんなさい、デレックさん」
そう言うと、二人は、従者とお嬢様のようになにかをぼそぼそと喋りながら出て行った。それを、デレックはポカンと見つめた後、なんだよ…、と呟いて、机に突っ伏したのであった。