秘密を盾に友人になろう
その日は良い天気で、学院裏の紅薔薇園には誰もいなかった。みんな、表のもっと明るくて、気持ちのいい白薔薇園にいる。
イゾルテは、誰もいないのを確かめて、ガサガサ薔薇の茂みに入っていった。人から見られない奥まった所で、いつも通りイゾルテはタバコを一本取り出し、火をつけた。
肺に煙を吸い込んで、ふうっと吐く。すうっと、イライラが引いて行った。
ぷかぷか楽しんでいると、不意に上から咳き込む音がした。彼女は急いでタバコを地面に落として、ぎゅっと靴で踏み消し、急いで出て行こうと足を上げた。だが、彼女がもたれ掛かっていた木の上から、ざっと黒い影が降りて来て、彼女は腕を掴まれて、逃げる事はできなくなった。
降りてきた黒い影の彼、グウィンは「君、タバコを吸っていなかったか?」と生真面目に冷たい責めるような声で聞いた。
しかし、そんなのはへっちゃらなイゾルテは「いいえ、吸ってないわ」と動揺も見せずにあっさり言った。
「だが、タバコの匂いがした。それに、地面に吸い殻が落ちている」
「まあ、それじゃあ、きっと、先に来てた人が吸ってたのね」
「いいや、君が来る前は私だけだった。それに、さっき咳き込んだばかりなのだから、その時に吸っていたはずだ」
「きっと、足の速い人なのね」
「咳き込んですぐに飛び降りた。数秒で見えなくなるくらい足の速い人間なんかいない」
「超人なのよ」
「しらばっくれるのはいけない。上から見ていた」
「見ていたと言うのに、どうして吸っていたかどうか聞くのかしら?」
「すまない、自白をうながすために言った。見たと言うのは嘘だ」
イゾルテは、その謝罪に驚いて、ついつい「なんで馬鹿正直にそんなこと言って、謝ってんの?」と言ってしまった。それに、上から現れた青年は「そういう性格なのだ」と答えた。
「ほほほ、面白いわねえ。ね、あなたなんてお名前なの?教えてくださらない?」
「グウィンという」
これが彼らのファーストコンタクトになった。
この時、イゾルテは不敵にアンニュイな笑みを浮かべ、グウィンは口を一文字に結び、眉をキリリとさせ、大きく厳しそうな目でイゾルテを観察していた。
彼は「君は生徒会長のイゾルテ嬢だな?」としっかりと観察した後にそう言った。間違ってはいけないと思ったからだ。
「そうよ」とイゾルテは簡潔に述べた。
「そうか。それよりも、タバコを吸っていたかどうかが重要だ。ポケットを改めさせてもらおうか」
「まあ、レディのポケットを見せろですって?」
「確かに、紳士としての行動ではないな。すまない。では、靴底を見せてもらおう。そのタバコは靴でなじって消した跡がある」
「あら、今度は、靴底?それも変態チックね」
「たしかにそうだ、申し訳ない。不快な思いをさせた」
ふむ、と考え込むグウィンに、ふうっと一つため息を吐いたイゾルテは「いいわ。どうせ、このままだと、堂々巡りだもの。どうぞ、見なさいよ」と右足を上げた。それに片膝をついてグウィンは「感謝する」と言って、恭しく丁重に彼女の靴底を見た。
靴底にはしっかりと灰色と濁った茶色の跡が付いている。それを確認したグウィンは、どうもありがとう、と再度お礼を言って、彼女の足を下ろした。
そして、彼女にまた質問をしようと顔を上げた瞬間、にっこりと笑うイゾルテを目があった。
なんだろう、とグウィンが思っていると、顎に鋭い衝撃を受けた。それからゆっくりと後ろに倒れて行く中、イゾルテが「ごめんなさいねえ、悪気はないのよ!それじゃあ、チャオチャオ〜!」と軽やかに逃げていくのを目の端で捉えた。
ばったりと倒れたグウィンは「素晴らしい気の強さだな…」と呟き、ちょっとだけ意識を飛ばした。
次の日、グウィンはイゾルテを探し回った。
タバコの件と顎を蹴り上げた件でだ。別に言い争ったりする気もないし、きついことをいうつもりもない。ただ、タバコの弊害と顎を蹴り上げることによって、相手に起きることを説明し、注意をしたいだけなのだ。
だが、探し回られていると聞いたイゾルテは、そうとは考えない。
タバコの件でなにか面倒事を起こされるのではないかとか、それを盾になにかを脅してくるのではないかと考えたのだ。
おかげで生徒会室に逃げ込んだり、トイレに逃げ込んだりして、どうにかこうにかグウィンを巻き続けた。
そうして放課後になった瞬間、イゾルテは教室からパッと抜け出した。カンカンカンと低いヒールのついた靴で上の階へどんどん登って行った。
立ち入り禁止の屋上に続くドアをそうっと開き、キョロキョロ周りを見回した後「ここに来たら、絶対に大丈夫ね」と屋上の一角で、ふうっと一息吐いて座った。
「なにが大丈夫なんだ?ここは立ち入り禁止だろう」
「きゃあ!」と声を上げたイゾルテは、グウィンの横っ面を張り倒そうとしたが、またしてもあの時のように腕を掴まれてしまった。
「なによ…。脅そうっての?」
「脅す?なぜ?」
「だって、タバコを…」
「タバコ?あれは、身体に害のあるものだ。確かに、ストレス緩和にはいいらしいが、身体に悪いのだから、やめるべきだ」
「は?」
「それに顎を蹴るのはいけない。舌を噛むかもしれないし、頭にも衝撃がいく」
「そ、それで?」
「?それだけだが」
イゾルテは緊張の糸が取れて、はあ〜と息を吐きながらズルズルと壁を背に座り込んだ。
「君、どうした?大丈夫か?もしや、タバコの害ではないか?あれは、運動能力を下げてしまうらしい。特にすぐ息切れするようになるそうだ」
「そんなんじゃないわよ」
「では、どうしたんだ?」
「あなたが、タバコを盾になにか言って来るのかと…」
「私はそんなことしない」
「どうだか…」
そう言われてムッとしたグウィンは「では、どうしたら私がそんなことを盾にしない人間だと信じて貰えるんだ?」と聞いた。
それに、ふっと笑って「あなたが私のタバコくらいの秘密を言って下さったら、信じてあげるわ」と言った。まあ、そんなことできないでしょうけどね、というように目を細めて笑えば、グウィンは考え込んだ。
「君のように知られて困る秘密が一つしかない」
「ふうん、それじゃ、言えるもんならそれをお言いになったら?」
「それを言えば、私がそんなことを盾にしない人間だと、そういうことをする不名誉な人間ではないと、信じてもらえるんだな?」
「ええ、信じるわ。言ってごらんなさいよ、その秘密」
イゾルテはそこまで重要な秘密ではないだろうと、斜に構えて腕を組んで見つめている。
グウィンは、意を決したらしく、じっとイゾルテを見つめた。
「私は…ラデュレ王国第二王子だ」
ここで、彼が生真面目な人間ではなければ、人に知られて困る秘密が自分が第二王子であるということ以外にあれば、彼はこんな愚行をしでかさなかっただろう。
それを聞いたイゾルテは、まん丸に目を見開いた後「嘘よお!なんて冗談いうのよ、あなた!あははは!」と大笑いした。ずうっと大笑いするイゾルテを、グウィンは笑いもせずに見つめている。
その様子に、段々と笑いが収まったイゾルテは、顔をひきつらせながら「冗談でしょ?」と尋ねた。
それに首を振って、王族のみが持つことを許される紋章の彫られた宝石を見せた。
それを見つめるイゾルテは、手を震わせて、引きつった笑い声をあげた。
「残念ながら、事実なんだ」
「な、な…。い、今まで、と、とんだ態度をとりましたわ、殿下」
「いや、殿下はつけないでくれ。先程と同じ態度で構わない。それに、これは学院長以外知らない秘密なんだ」
「はあ?!なんでそんな秘密言ったのよ!あなた、真面目すぎるわよ!真面目すぎて、おバカさんよ!」
「失礼な。でも、これで、お互い対等になったのではないか?」
「あなたの秘密と私の秘密じゃ、ちっとも対等じゃないわよ!」
「そうか…。うむ、確かに、対等ではないかもしれないな。それよりも、これで不名誉な人間ではないと信じていただけただろうか」
「こんなこと言われて信じないわけないでしょう!」
それは良かった、とグウィンは頷いた。
なにがいいのよ、とイゾルテは睨んだ。
「あなた、融通が利かないとか言われない?」
「なぜわかった?」
「わかるわよ、こんなこと言うんだもの…。はあ、あなたねえ、こんなこと言って、私がそれを誰かに言ったりしたらどうするのよ」
「そしたら、私もタバコのことを言う」
「まあ!そんなことしないとか言ったじゃない」
「君がそういう事をしたら、私がしてはいけない道理はないはずだ。そんなに言うなら、お互い監視でもすればいい」
「監視ですって?冗談じゃないわ。そんな事されるくらいなら、タバコのことを言われる方がマシよ」
「そうか…。だが、私が、安心できない」
「じゃあ、あなた、ストーカーみたいに私に付いて回るって言うの?よしてよ、絶対に言わないわ。だからやめてちょうだい」
「一人が好きなのか?」
「別にそんなんじゃないわ。ただ、人がいると、私、遊べないじゃない」
「タバコのことか?別にそんなこと知ってしまったのだから、今更では?他にも色々やっているのか?」
「やってないわ」
「じゃあ、問題ないだろう」
そう言うグウィンを、猫のような可愛らしい目で見つめているイゾルテは、はっと思いついたような顔をして「わかったわ、あなた、私に一目惚れしちゃったんでしょう?んふ、だから、そうしてしつこく言うのね。違って?」と悪戯っぽく擦り寄るように言った。
ん?と顔を近づけるイゾルテに、怪訝そうな顔をしたグウィンは「いや、まったく。君より綺麗な人だって見たことあるし、可愛らしい女性だって城で見る」ときっぱり否定した。
そう言われて、真っ赤になったイゾルテは「じゃあ、なんでこんなにしつこいのよ!まさか、友達にでもなりたいっていうの?」とグウィンの胸を白い指で突っついた。
突っつかれた彼は考えこむ動作をし「そうかもしれない。いや、そうらしい」とまっすぐ答えた。
「は?」と口を開け、理解が追いつかずポカンとするイゾルテに、グウィンはそのまま続けた。
「私は、残念ながら、この性格のせいで友人と呼べる人物がいない。兄の…ハインリヒにはたくさんいるのにだ。もちろん、兄とはとても仲がいい。友人でいうなら親友程度に仲がいい。だが、兄とだけ仲良しでもいけないと思う」
「はあ」
「私は宰相になる人間だ。だからこそ、そういう友人というものを持つべきだと思う。それに、もしかしたら、兄にたくさんの友人がいて焦ったのかもしれないし、元々、欲しかったのかもしれない」
「それで、私に友人になってほしいって言うの?」
「そういう事だ、と、思う」
「ふっ、ははははは!あなたって、真面目で堅物で、しかも不器用なのね!いいわ。宰相になる人だろうが、第二王子なんでしょう?仲良くしておいて損はないもの。友人になってもいいわ」
そう、握手する為の手を差し出し、グウィンはそれを握った。
お互いに見あった後、手を離そうとするグウィンの手をイゾルテは握りこんで「ただし」と凄む。
「友人になろうったって、すぐになれないわ。それに、あなたも私もお互いの秘密を握っている。不器用で純真そうなあなたのために言っておいてあげるわ。私とあなたは、まだ友人じゃないの」
「…、確かに、我々はお互いのことをよく知らない。それに、友人では、まだないだろうと言うこともわかる。それと、私はそこまで純真じゃない。ちゃんと裏で考えることもできる」
「あら、それはごめんあそばせ。それじゃ、これからよろしくね。グウィンさん?」
「ああ、こちらこそ。イゾルテ嬢」
彼らはお互いに手を離し、屋上を出て行った。
こうして二人は友人らしきものになった。