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心の鉤爪  作者: 英知辞典
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1章 ある青年③

チャイムが鳴り、次の授業が始まろうとしていた。次は慎一の好きな現代文の授業であった。正確には、慎一が好きなのは現代文の読解であり、決して授業内容や教師が好きなのではない。慎一は席に座ると鞄から小説を取り出し、先生が教室に現れるまで読んでいることにした。

大学受験まであと1年という時期に迫っていたが、そして慎一の志望する大学の合格判定は現時点で五分五分だったが、何らの危機感も感じなかった。

『受験如きに慌てふためくのは、正真正銘馬鹿の証である。授業を受け、ノートをとり、試験勉強をする。やれ東大やれ京大…生徒教師含め、彼らはみな馬鹿である。なぜ東大に合格するために勉強するのか。大学受験に必要な事柄は全て読書で賄える。普通の人間は読書していれば東大に行ける。馬鹿だけが勉強して東大へ行くのだ』

慎一の考えはこのように単純明快であった。

チャイムが鳴ったにもかかわらず着席せずに友達と無駄話をしている人間がいる。紙を丸めボールにして、ピッチャーとバッターに扮して野球ごっこをしている人間がいる。慎一は、こういう人間が嫌いであった。彼らはみな邪魔であった。着席して授業の準備ができない人間は、みな消えてしまえばよかった。彼らのようにルールを守れない人間は存在する必要がない。

人間は存在する以上、何かの価値を生み出すべきである。しかし、チャイムが鳴れば着席するという簡単な規則をも遵守できない人間は、規則を遵守できないという性質を無意味に周囲に振り撒くだけの存在である。秩序は、秩序たるためにもその中に無秩序の分子を擁してはならない。秩序という価値を損ねる者は、無秩序以外の何物をも生み出さない。ゆえに、彼らには存在する意義がない。

慎一は、ルールを守れない彼らの姿を室内に認めるや否や、自らの意思の力によってその存在を異次元に消し去った。存在を肯定したくない者がいるとき、まず彼らに意識を集中する。彼らの外見、表情、言動、全てを具に観察する。そして、ビニール袋に空いた小さな穴を袋の原形を失うまで拡大するように、外見や表情や言動の中にほんの僅かな汚点を見出し際限なく拡大する。やがて彼らはの存在は、汚点そのものに堕し、視界から消えてなくなってしまう。

こうして、慎一は、着席していない者の中に規則を守れないという汚点を見つけては、それを無限に押し広げた。彼らは意思の力によって跡形もなく存在しなくなった。この作業が済むと、水面に立った波紋が消えたように慎一の感情は再び平静を取り戻した。慎一の意思は、秩序の世界の監督者であり、訴追者であった。慎一の世界に邪魔者の入る余地は皆無であった。




慎一はいつしか自分の城を築き上げて、気に入らない人間がいたとき、彼らに気を煩わせるのではなく、城から放逐し平静を保つようになった。他人に苛立つほどエネルギーを浪費する営みは存在しない。そうであるならば、苛立ちの原因を、潔癖な自分を煩わせる醜悪な生き物を排斥すればよい。このようにして慎一は鉄壁の城郭に守られながら生きてゆくようになったのであった。

慎一は決して人付き合いが不得手なわけではなかった。むしろ人並み以上に男女や年齢分け隔てなく誰とでも親交できた。単調になりがちな話題が出ても、ちょっとしたユーモアを交えることを忘れず、自身の周りに集まる人間は笑顔を絶やさなかった。それだけでなく、他人から学業や人間関係について相談を持ちかけられるほど信頼が厚く、助言をしては更に信頼を増してゆくのだった。誰から見ても魅力的に映る理想的人間像を現出していた。

しかし、これは慎一の世界における真の姿ではなかった。触れようとしても触れられない半透明の影のような存在として、皆が住む豊かな感情の溢れる外界に降り立っているときの慎一であった。慎一の世界では、感情はテーブルに放り出されたチェスセットのように意味もなく、チェス板とテーブルの作用反作用の結果としてそこに置かれているに過ぎなかった。

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