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そして、始まる  作者: 大平麻由理
本編
79/91

79.ヒーロー その1

「先生、これ着てください」


 副委員長の平野が、ハンガーにかけられた黒い衣装を手に取り、強引に凛香に押し付ける。


「急いでくださいね。先生ったら、こんなぎりぎりになるまで教室に戻って来ないんだもの。このままどこかに消えちゃうんじゃないかって、ホントに心配したんだから。もうどこへも行かせませんからね!」


 平野が腰に手をあて、凛香の前に仁王立ちになる。彼女の後ろには、ソフトボール部主将と砲丸投げ地区大会優勝の陸上部員、そして剣道部有段者、と見るからに頑強そうな三人の女子生徒がボディーガードさながらに、副委員長と共に睨みをきかせていた。

 もう逃げられない。生徒に指定されていた時刻ぎりぎりまで、割り当てられていた他の業務に当たっていた凛香だったが、こういう時に限って何も問題が発生せず、担当業務からすんなり解放されてしまったのだ。

 教室に向かえば、あの拷問にも似た変装写真モデルとやらの仕事が待ち受けている。凛香の足取りは非常に重かった。

 だが、しかし。生徒達は猫の手も借りたいほどの忙しさで校内を駆けずり回っているはずだ。ということは、もしかしたら……。

 凛香の男装のことなど、もうすでに忘れ去られている、なんてことになっていたりして。

 ってな具合で、都合のいい期待を胸に、限界ぎりぎりのゆっくりとした歩調でのらりくらりと教室に戻った結果が、このありさまだ。

 やはり彼らは、凛香をタイムサービスの目玉商品に据えることをあきらめてはいなかった。


 凛香は手に持った黒い衣装をまじまじと見た。普通のスーツのようにも見えるが、上着の丈が長めなのに気付く。タキシードだ。おまけに、のりの効いたパリパリの白いカッターシャツまでご丁寧に添えられている。


「鷺野先生。撮影場所の背景スクリーンの裏がフィッティングルームになってます。多分、ズボンのウエストが合わないと思うので、サスペンダーを使ってくださいね。じゃあ」


 子どもの頃、祖母に無理やりつけられたことがあるサスペンダーの大人バージョンが、スクリーン裏の薄暗い試着室に投げ込まれた。


「先生、早くしてくださいね。廊下にはもう行列ができてますから」


 カーテンから顔だけ覗かせた平野から、念押しの声がかかる。すっかり生徒に主導権を握られてしまったようだ。

 抵抗しても無駄だと悟った凛香は、今身につけている紺のパンツスーツを、猛スピードで身体から剥ぎ取るように脱ぎ去った。

 そして生徒の注文どおり、少しダブつき気味のタキシードを身にまとう。どっちが前かわからない年代物のサスペンダーをようやく取り付け長さを調整し、首元でかしこまる蝶ネクタイの位置をキリっと正した。

 フィッティングルームのカーテンのすき間から外を見てみた。すると、いつの間に集まってきたのか、客を呼び込むため営業活動に勤しんでいたメンバーまでもがすでに教室に戻っていて、今か今かと凛香の出現を待っているのだ。


「先生、もういいですか? 入りますよ」


 返事を待たずして平野が強引にカーテンを開け、あわてる凛香を外に引きずり出す。


「待って、わかったから。ちゃんと皆のところに出るから。そんなに引っ張るな……」


 出口に揃えて置かれている黒のピカピカのエナメルシューズを履き、生徒の前に立ったその瞬間。


「きゃああああっ!」

「素敵ぃーーっ!」

「しびれるぅうううう!」


 生徒の黄色い声がそこかしこに響き渡る。


「な、な、何の騒ぎなんだ?」


 いったい、どうしたと言うのだろう。あまりの反応のすごさに驚き、思わずその場に立ちすくむ。


「凛香ちゃーーん! こっち向いて。いいぞおっ!」

「タカラヅカみたい」

「足、ながっ!」


 みんなの視線が一斉に凛香に注がれる中、クラスきってのおしゃれ女子が手のひらに大量のワックスをつけ、爪先立ちになりながら凛香の髪を撫で付ける。

 あっと言う間にオールバックに形作られたヘアスタイルは、全体が少し長めだが、それなりに男性っぽく見える。


「うわーーー! まじで、かっこいい」

「凛香ちゃん、最高っ!」


 女子も男子も、凛香の変身に興奮状態だ。

 そんなにこの変装がおもしろいのだろうか。凛香は今までに味わったことがないような不思議な感覚に包まれる。

 たとえ男としての自分への賞賛であったとしても、ここまで褒めてくれると、嬉しいものだ。

 緊張がほぐれ調子に乗った凛香は、ためしに片手を腰にあてがい右足を一歩ふみ出した。そして、もう一方の手の親指と人差し指をVの字にして顎のあたりに持っていき、ニッと口の端を上げてみた。


「ひやああーーっ。かっこいい!」

「凛香ちゃん、もう悩殺寸前!」

「あーーん、キュンキュンしちゃう!」


 生徒達の反応に気をよくした凛香は、教室のど真ん中でさまざまなポーズを決めて、ますます生徒達の歓声を(あお)る。


「ボクさあ、マジで、先生のカノジョになりたいよ」


 普段から物静かで乙女ちっくな男子生徒が目をハートにしてつぶやく。他の生徒達もどんどん前に出てきた。


「凛香ちゃん、もっと笑って」

「凛香ちゃん、ぐるっと回転してみて」

「凛香ちゃん、愛してるって言って」「凛香ちゃん、何か歌って」「凛香ちゃん、あれして」「凛香ちゃん、これして」「凛香ちゃん……」


 注文がどんどんエスカレートしてくる。そして、より一層前へ前へと凛香のそばに近寄ってくる生徒達に、最後はもみくちゃにされてしまった。


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