表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そして、始まる  作者: 大平麻由理
本編
73/91

73.今でも、大好きです その1

 心配していた渋滞もなく、二十分ほどで順調に隣町に入る。

 ドライブスルーもある郊外型のSコーヒーは、カップルや男性の一人客で半分ほどの席が埋まっていた。

 だがいくらここが隣町で、店内が空いているとはいえ、生徒がいないとは限らない。凛香は席を決めるフリをしながら、高校生チェックも怠らなかった。

 カウンターでコーヒーを受け取り、奥の円形テーブルの席を陣取る。椅子はちょうど四脚。凛香はなるべく広海のそばに椅子を移動させて、彼の真横に密着ぎみに座った。

 すると五分もしないうちに、カールした髪を弾ませながら、瑛子がトレーを手にこちらに向かってくる。

 新聞を見ていた中年男性が瑛子をちらりと横目で見た。カップルで来店中の男性も、さりげなく彼女を目で追っているのがわかる。

 瑛子の登場で、店内が一瞬華やいだように思えた。


「お待たせしました……」


 そう言ってふっとテーブルの前に立ち止まった瑛子は、残り二つの椅子を見て、困惑の表情を浮かべた。

 椅子は円形テーブルを囲むように等間隔に並んでいるのではなく、あきらかに凛香と広海から離れた場所にあったからだ。

 もちろん初めからそうなっていたのではなく、凛香が広海のそばに椅子をくっつけた時に、こうなることを予想して残りを引き離しておいたのだ。

 これが今の凛香にできる精一杯の牽制パフォーマンスだった。


「意外に早かったね。里見さん、さあ、座って」

「あっ、はい」


 広海に促され、瑛子がしぶしぶ片方の椅子に腰を下ろす。

 ほぼ真向かいに座った瑛子は、時間的にあれからすぐに学校を出たはずなのに、化粧直しは完璧だった。

 マスカラもしっかりと増量され、唇はまばゆいほどにグロスがきらめいている。

 まさしく、女の魅力全開といった風貌だ。広海争奪戦へのただならぬ意気込みが感じられる。

 凛香は決戦に備えて、コーヒーを一口飲んだ。くせのない柔らかい味だ。が、しかし。広海の淹れてくれるコーヒーの方が何倍もおいしいような気がした。

 彼と一緒に過ごした日の翌朝は、必ずコーヒーを淹れてもらっている。

 彼がたてたコーヒーの香りで目覚める幸せは何物にも代え難い。もう誰にも譲れない。広海の淹れてくれるコーヒーは自分だけのものだと、凛香は瑛子を前に決意を新たにする。


「で、用件は何? 里見先生」


 いきなりだった。広海のストレートな問いかけに緊張が走る。おもむろにスーツの上着を脱いだ広海が、それを凛香の膝に預けるように載せた。とても自然な流れだった。

 瑛子の視線が広海の一挙手一投足を追う。彼女の口元が少し歪んだように見えた。

 凛香の膝にある広海の上着から一瞬鼻先をかすめる匂いに、軽くめまいを覚える。それは大人の男の匂い。抱きしめられた時に感じる広海の匂いだった。

 そして彼がネクタイの結び目に片手をあてがい、左右に揺すって緩めるしぐさに、凛香はもはやノックアウト寸前にまで追い込まれる。

 恋敵を前にしながらも、隣の恋人にときめいてしまう凛香は、もはや手の付けようがないほど恋の病が重症化してしまったのだ。


「あ、あの……」


 瑛子がしきりに膝の上の手を組み替えて、落ち着きのない様子で話し始める。


「鶴本先生は、前の彼女さんと、その……。年末に別れたとお聞きしました」

「そのとおりだが」


 広海は瑛子を真っ直ぐに見て、答えた。


「じゃあ、なぜ。どうしてあたしの申し出を断ったんですか? あたしのこと、そんなに嫌いなんでしょうか?」


 早速瑛子が噛み付いてくる。でも、どうしてそんな短絡的な理由になるのか。瑛子が嫌いだから付き合わないとするならば、広海が付き合わない人間は皆、彼が嫌っている……ということになってしまう。


「ははは……。それはまた極論だな。里見さんのこと、別に嫌いじゃないよ。国語の米倉先生も、数学の井本先生も。体育の弓削先生も嫌いじゃない。でも、彼女らとは付き合ってはいない」


 国語科の米倉は、近々定年を迎える年齢ながら、すこぶるパワー溢れる独身女性教師の筆頭だ。

 同性の職員の中で凛香が一番尊敬する先輩教師でもある。両親の介護をしながら仕事もこなし、手がける趣味もプロ並の腕を誇る。

 数学科の井本は離婚経験がある四十代の美人教師だ。家庭内別居中の三年の学年主任が、どうも彼女に言い寄っているらしい……という噂もある。もちろんそんなわけ有り中年男を相手にする様子はなく、テニススクールの若いインストラクターと燃えるような恋をしている最中だと、佐々木が耳打ちしてくれている。

 体育科の弓削は、器械体操をしていたというだけのことはあって、小柄だがきびきびした動きで仕事にも真面目に取り組み、生徒からの信頼も勝ち得ている将来有望な新卒教師だ。

 瑛子も含めて、この四人が東高の独身女性カルテットと言いたい所だが、凛香も正真正銘まだ独身だ。なので五人合わせて、お一人様クインテットになる……などとのん気なことを考えている場合ではない。

 瑛子が鼻息も荒く、身を乗り出して反撃を始めた。


「鶴本先生! そんなへりくつは聞きたくありません。あたしは、あたしは……。せっかく先生がフリーになるのを待ってたのに、どうしてあたしと付き合って下さらなかったんですかって言ってるんです! 実際に付き合ってみないと、あたしのこと、何もわからないじゃないですか。それにあたし、鷺野先生より若いし、女らしいし。誰が見たって、あたしの方が先生と似合ってるはずです! 違いますか?」


 瑛子のあからさまな言い分に、じわじわと怒りが込み上げてくる。凛香のこめかみにギリギリと青い血管が浮き出た。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ