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そして、始まる  作者: 大平麻由理
本編
67/91

67.月夜のプロポーズ その1

 ──結婚しよう。


 広海の目が凛香だけを見て、はっきりとそう言ったのだ。

 声が少し上ずっているように感じたのは決して気のせいではないだろう。

 プロポーズを切り出すタイミングを彼なりに吟味し、断られる可能性も踏まえながら、腹をくくって挑んだ結果に違いない。


 ところがどういうことだろう。いざ言われてみると、まるで夜空にひっそりと浮かぶ月のように、あくまでも冷静で落ち着き払っている自分がいるのに驚く。

 それはもっと神々しく感動的瞬間であるはずで、ああロミオ……と、シェイクスピアの悲劇さながらに、感極まって涙を流す場面だと信じて疑わなかった。

 無上の喜びに包まれ、溢れんばかりの幸福感に酔いしれて、周りも見えなくなる。

 この先、どんな人生が待っていようとも、この人と一緒に立ち向かっていくのだという使命感に燃え、ひしと抱き合い、お互いを欲し合う……はずだったのに。

 なのに、その気配のカケラすらどこにも見当たらないのは、どうして?

 来栖にプロポーズされた時は、ただびっくりして、ええ、なんでそうなる? と疑問符ばかりが凛香の脳裏を埋め尽くした。

 想像すら困難なありえないことだと思った。


 今度こそ(ちまた)で語られているような、ロマンチックな経験ができるのではないかと、心のどこかで広海のプロポーズに絶大なる期待を寄せていた凛香は、あまりにも普通すぎるこの流れに、肩透かしを食らった気分になる。

 それもこれも、全部広海が悪いのだ。プロポーズの前から、結婚を前提にした話ばかりするから、ここぞと言う時に喜びと感動が薄れてしまったのだろう。

 でも……。世間で繰り広げられるプロポーズは、案外こんなものなのかもしれないとふと思った。

 映画や小説のようにはいかないというのは薄々気付いていた。あなたが好きだの告白もないまま、いつの間にか結婚していたという人もいると聞く。

 それに比べれば、今夜の広海の姿勢は好ましい部類に入るのではないかと思い直す。


 凛香は広海の勇気を讃えるように、生真面目に彼を見つめ返した。

 そして、うん、わかったとこれまた生真面目に返事をする。


「凛香……。本当にいいのか?」


 広海が少し眉を下げて、心配そうに凛香を覗き込む。

 そうなのだ。凛香は愛想を振りまくのが大の苦手ときている。そのせいか、いつも澄ましていてお高くとまっているとか、つんつんしていると言われることが多い。

 こんな時くらい、にっこりと優しい笑みを返せたらいいのだが、広海の緊張が伝染している今、それは凛香にとっては無理な相談だった。


「だから、いいって言ってるだろ?」


 幸せな気分をうまく表現できない凛香の口から出る言葉は、いつだって勇ましい。


「本当に本当に、俺で……いいんだな?」


 あれほど自信満々に引越しや結婚後の勤務のことまでも話していたくせに、広海ときたら、いざとなると情けないほど弱腰になる。

 つべこべ言わず黙って俺について来い! と胸を張って言ってくれればいい。それでいいのに。

 凛香はふとそんな考えを持ってしまった自分にびっくりしていた。

 自分の意見を持たない優柔不断な男も嫌いだが、強引で封建的な男はそれよりも嫌いだったはずだ。

 だが、自分をリードしてくれる男性像を無意識のうちに広海に期待している自分がいるのを知った今、凛香は自身の心境の変化にとまどう。

 変な話だが、この人に守られたいと本能の部分で彼を求める自分が顔を出したことに、安堵すらしているのだ。


「ったく……。私は広海がいいんだって、何度も言ってるじゃないか。広海以外の男とは、結婚しない」


 凛香は自分の言動が恥ずかしくなって目を逸らし、密着しながら隣をゆっくりと歩く広海のスーツのボタンを、紺色の生地ごとぎゅっと握り締めた。


「そうかそうか。それを聞いて安心したよ。って、今夜のおまえ。やけにかわいすぎないか? ああ、俺。マジでヤバイくらい、おまえがかわいいく思えてしょうがないよ」


 凛香の頭をがばっと抱え込んだ広海が、もう一方の手で、ボタンを握っている彼女の手をがっしりと捉えた。知らない人が見たら、広海が誘拐犯だと疑われてもおかしくないくらい、がんじがらめになっているのだ。


「ひ、広海。このままじゃあ、歩きにくいんだけど……」


 そうされるのが決して嫌ではないのだが、広海の腕が凛香の視界を妨げ、足元がおぼつかなくなるのだから、彼をたしなめるのも仕方ない。


「あ──。ごめん」


 広海が腕の力を緩め、凛香の頭に回っていた手が、肩に下りてくる。


「よし。そうとなったら式は早いほうがいいな。なあなあ、冬休みに式を挙げるってのはどうだ?」


 凛香はぴとっとくっついてきた広海の顔を押しのけて言った。それはあまりにも早すぎやしないかと。


「冬休み? それは無理だよ。いろいろ準備もあるし、間に合わないって。それに寒いし。家族や招待客にも気の毒な気がする。来年の春休みじゃだめ? それか、夏休み」

「な、夏休みだって? 夏休みはいくらなんでも遅すぎるだろ。俺は待てないね。それなら先に籍だけ入れて、明日からおまえに同居してもらう」

「明日から同居? なんでそうなるんだよ。信じられない。本気で言ってるのか?」

「あたりまえだ。今だってそれに近い状況なんだし。おまえは嫌なのか?」

「嫌とか、そんなんじゃなくて。非現実的だろ? 生徒になんて説明するんだ。無責任な異性との交遊を指導する立場にある私たちが、欲望に負けてなし崩しに籍入れて同居だなんて、誰に言える? 内緒にするには無理があるし、きっと校長だっていい顔はしない」

「だから、籍はちゃんと入れるんだ。別に誰にも咎められないと思う……けど。やっぱり、ちょっとまずいか……」

「ああ。まずい」

「じゃあ……。百歩譲って、春休みに式を挙げるのなら。それで手を打ってもいい。それが限界。それ以上引き伸ばすのは絶対にダメだ」


 凛香の肩を抱いていた広海の手に力がこもった。

 でも凛香の本心は、春休みでも早すぎるのではと思っていた。それは、自由を謳歌するため結婚を先延ばしにしようとか、広海との生活に不安があるとか、そういう理由ではなかった。


 問題は来栖の存在だ。

 つい先日別れたばかりなのに、もう次の相手と結婚が決まったとなると、当然、二股疑惑は避けられない。

 瑛子にも言ってしまったのだ。自分には前任校に彼氏がいるので広海とは付き合ってないと。あれは夏休みに入ってすぐのことだった。

 それなのに、もう広海と結婚するなどと、いったいどんな顔をして言えというのだろう。どの口がそれを言う? これが二股でなくて、何?



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