62.派手好きな彼氏 その3
「衣装はどうする? 俺はどうにでもなるけど、おまえは、それなりにこだわりがあるだろ? レンタルという手もあるけど、手持ちのをリサイクルというのも……」
レ、レ、レ、レンタル? それって、もしかして、ウェディングドレスのこと?
ま、まあ、どっちでもいいけど。
けれど凛香には夢があった。その昔、マンガ家を志していた頃、主人公の不幸な娘がこれまた不幸のどん底にある恋人と結婚するという設定で、自分で縫ったドレスを着て式を挙げる場面を描いたことがある。
そのドレスはとてもシンプルなマーメードラインの物で、胸のあたりと裾にパールとラインストーンをあしらい、描きながらそれを着ている自分を想像してうっとりしていたのを思い出す。
凛香は絶対に結婚なんかせずに、一生働いて一人で生きていくと決めていたにもかかわらず、ウエディングドレスにあこがれている自分がいることに気付き、愕然としたものだ。
その時の願いを叶えるのが今なのだとすれば、それはやはりレンタルではなく、誰かに仕立ててもらうのが一般的だろう。
そうなると早めに発注しなければ、式に間に合わない。広海の先走りを否定ばかりもしていられない現状に焦りを感じながらも、あまりにも進みすぎる結婚話に、ついて行けなくなっているのも事実だった。
手持ちのをリサイクルというのも一案だが、もしかして、広海の母親がその昔に結婚式で着た思い出の一着があるとでも言うのだろうか。
だとすれば、これは相当手ごわい。
「おまえ、なんか顔が赤いぞ。どうしたんだ?」
「べ、別に……」
「そっか……。夕べのこと、思い出していたんだろ? なんなら、今夜も。俺はいつでもオッケーだが……」
「ば、馬鹿! だから、学校でそんなこと言うなって、さっきから言ってるじゃない!」
ここに広海以外誰もいないとわかっていても、室内をきょろきょろと見回してしまう。
こんなところを誰かに見られたらどうするんだと、気になって仕方ないのだ。
それに、いつでもオッケーとか、声に出して公言するようなことではないだろう。聞く人が聞けば、何を意味する言葉なのか、丸わかりだ。
一晩で何度も繰り返された一部始終を思い出し、凛香は再び赤面する。
「えっ? おいおい、凛香。なにか勘違いしてませんか? 俺はただ。今夜もおまえのために、ピアノを弾いてあげましょうかと言ってるだけなんですけどねえ……」
「はあ?」
「いや、もちろん、おまえのリクエストとあらば。ピアノ以外でもお応えする所存ではありますが。体力だけは維持するよう、常に努力を惜しみませんから、何ラウンドでも応じられますけど?」
こ、こいつ。おちょくりやがって。凛香の怒りとも恥ずかしさとも取れる行き場のない感情が溢れそうになる。
昨夜、ピアノの前で広海のかもし出す雰囲気にうっかり呑まれてしまった結果がこれだ。
こんな奴に心を許してしまった自分が情けなくなる。またもや、この恋は失敗なのだろうか。
「凛香、まあ落ち着けよ。この話の続きは家に帰ってからということで。今夜はきちんと布団で寝ような。もうソファはこりごりだ。落ちた瞬間は、あまりの背中の痛さに目から星が飛び散った。で、舞台のことなんだけど……」
今夜もまた一緒に過ごすことを確定宣言された凛香は、この男にはもう何を言っても無駄だと悟る。
それにいくら向こうが何ラウンドも可能だと言っても、こっちの身体がもたない。睡眠不足と疲労でまた倒れてしまうのがおちだ。
いっぱい食べて、程よく飲ませて、さっさと眠りについてもらうことが円満な関係を維持する秘訣だ……って、どうしてそうなる。またもや彼のペースに乗せられるところだったではないか。
そんなことより、今考えるべき重要な問題が山積みだというのに。
今広海が口にした、披露宴の舞台についても詳しく聞かなければならない。
どうしてそんな先の話しになるのか、まったくもって理解不能だ。凛香はこれ以上、もう何も考えられない。
相当派手な結婚披露宴をお望みの目の前の恋人に、我慢の限界がきた凛香は、こぶしで机をドンと叩き、立ち上がった。
「広海! どうしてそんなに先々のことを、あんた一人で勝手に決めるんだ。芸能人でもあるまいし、結婚式に舞台なんかいらないだろ! ウェディングドレスだって、そんなもの、今から決めてどうするんだよ。結婚の日程すら決まってないのに。そんな話をする前に、やることがあるんじゃないの? いつ私が、あんたと結婚するって言った?」
広海がサンドイッチを口に頬張ったまま、ピタリと動きを止める。きょとんとした顔で。目を丸く見開いて。
そして、次の瞬間、何かを察知したかのように彼の目に光が宿り、再びもぐもぐと口を動かし始める。
伏目がちになった広海がふっと息を漏らし、不敵な笑みを浮かべて凛香を見た。