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そして、始まる  作者: 大平麻由理
本編
61/91

61.派手好きな彼氏 その2

 ほんの数時間前まで、あれだけ飲んでいたにもかかわらず、二日酔いには縁遠い凛香は、まだまだ飲み足りない気分だった。

 それは広海も同じで、凛香に対して骨なしくらげ男になっている以外は、至ってまともだ。

 けれど、さすがに車で通勤するには無理があるので、最寄駅から電車を使うことに決めた。

 となると、別々の車両に乗る必用がある。というか、マンションからも他人のようにばらばらに歩くくらいの配慮がいるだろう。

 ここも校区なので、そのあたりは細心の注意を払わなければならない。

 広海との新たな人生の幕開けでもある新学期が、とうとう今日からスタートしたのだ。



 美術教室は中館二階の東の端にある。準備室にも机があり、三十代の男性教師と一緒に、第二の職員室としてこの部屋を使っているのだが。

 本日は始業式だったため、平常の授業がない。ホームルームを終え、クラス業務から解放された凛香は、提出されたばかりの山のような宿題を抱え、美術準備室にやって来た。

 三時からは定例の職員会議が始まる。それまでに提出物のチェックを済ませようと、かさ高い荷物を胸の辺りで抱え込みながら、準備室のドアを開けるため、手探りで鍵を差し込む最中だった。

 荷物を下ろせば、もっと簡単に開けられるのは当然なのだが、鍵開けゲーム的な感覚で、凛香はその痛々しい状況をも楽しんでいた。なのに……。


「おい、何やってるんだよ。鍵、貸してみ?」


 そう言って凛香の手から有無を言わせず鍵を奪い取ると、片手でいとも簡単にガチャっと準備室のドアを開錠し、さあ、中へどうぞと凛香を部屋に押し込むスーツ姿の男……。

 まるで高級ホテルの接客係のように、しなやかで卒のない身のこなしで、顧客満足度ナンバーワン! って、そんなことではなくて。

 なんでこいつは、ささやかな人の楽しみをそんなに簡単に奪うんだ。


「あと少しで開きそうだったのに! この、KY野郎!」


 凛香の怒りは収まらない。


「おい、何怒ってんだよ。おまえが困ってるだろうと思って、人がせっかく親切に開けてやったのにさ。どうして、広海さん、どうもありがとう、うっふん、って、素直に言えないのか?」

「はあ? 何で礼を言わなきゃいけないんだよ。私はね、いつもこうやって抱えきれないくらいの大荷物持って、神経を指先に集中して、鍵を開けてるの。一発で鍵穴にささったときの嬉しさといったら、ホールインワンどころの騒ぎじゃないんだから。ああ、悔しい! あと少しだったのに。ったくタイミングの悪い奴。で、なんで南館三階の主がここにいるんだ?」


 机の上に荷物を置いた凛香が腕を組み、広海を問いただす。


「おまえに会いに来たに決まってるじゃないか。昼休みくらい、一緒に居てもいいだろ? なあ……」


 なあ、凛香……と猫なで声で擦り寄ってくる。凛香は呆れ果てて、横に立つ広海を軽蔑の眼差しで睨みつけた。

 こいつは今、体内部品が外れかかっているのだ。理性を保つネジをどこかに落としてしまったに違いない。

 このまま野放しにしておくわけにはいかない。はっきりと言っておく必要がありそうだ。凛香は心を鬼にして、広海に向かって言った。


「一緒にいていいわけがないだろ? いいか、広海。ここは学校なんだから。始業式で、授業が早く終わったといっても、部活はある。ここにだって、誰が来るかわからないんだし」

「別に変なことするなんて言ってないよ。今朝駅で買ったパンを食べながら、例の件の相談でも……と思ってね」


 パンが入った白いレジ袋を持ち上げ、にっと笑う。

 例の件て、何だろう……。ま、まさか、結婚のこと? 凛香は急に焦りを覚える。

 夕べは一応、関係の進歩はあったわけだし、気の早い広海は、結婚後のお互いの仕事の話にも触れていた。

 けれど、まだきちんとしたプロポーズの言葉を聞いたわけではない。そこのところは、きっちりけじめをつけてもらわないと困る。 

 広海ときたら、まるで我が物顔で向かいの男性教師の席に腰を下ろし、ペットボトルのキャップをくるくると取りはずして、コーラをゴクゴクと飲んだ。それはそれは、とてもおいしそうに。

 そして三角パックに入ったサンドイッチを、食パン四枚分の厚みのままかぶりついて満足げな笑みを浮かべ、愉快そうに話し始めるのだ。

 もちろん、例の件について。


「ここのカツサンドは結構いけるな。ソースがいい味出しててうまい。……で、教頭に頼んだら、二つ返事で引き受けてくれたぞ」


 って、もうそんなことまで頼んだのだろうか? きっと仲人のことだ。広海の手回しの早さに、呆れて物も言えない。

 最近は仲人なしの式が主流と聞くのだが、広海の考え方が案外古風なのかもしれない。それとも広海の実家が旧家で、いろいろややこしいしきたりが待ち受けているとでも? 

 だが凛香は今までに一度だってそんな話を聞いたことがなかった。学生時代に何度か招かれた広海の実家は、ごく普通の一般家庭だった。

 ただし、父親は広海が高校生の時に亡くなったと言っていたので、母子家庭なのだが、母親が特別に厳格で近寄り難い人という印象もなかったはずだ。

 凛香の母親に似ているところもあって、ほがらかで暖かい人柄がにじみ出ているようなタイプだったと記憶している。



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