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そして、始まる  作者: 大平麻由理
本編
59/91

59.過去を乗り越え、そして今 その2

 前年の秋にストリートミュージシャンの仲間入りをして、広海の誘いでユニットを組むようになって一年経った頃、彼の音楽仲間にライブハウスでの演奏の助っ人を頼まれたのだ。

 インディーズで活躍中のとある音楽グループが、キーボード担当メンバーの突然の脱退で、困っていると言う。つまりその日一日だけ、凛香にキーボードを変わりにやってくれということだった。

 が、しかし。凛香は、ストリートの活動はそれなりに楽しんでやっていたのだが、それ以上のことはあまり乗り気ではなかった。

 もともと人見知りの激しい方であるし、人と接するのが苦手なこともあり、そろそろ広海とのユニットも辞め時なのではないかとまで思い始めていた。

 それを知った広海がしきりに凛香を引きとめ、なんとか一年持ちこたえたという部分もあり、この演奏依頼もできることなら断りたかったというのが本音だったのだ。

 でも、どうしても助けてやってくれという広海の願いを結局断りきれず、彼の言うことをそのまま信じてライブを引き受け、リハーサルにもしぶしぶながら参加した。

 ところが……。ライブ当日にとんでもない事実が判明するのだ。

 凛香のために用意されていた派手な衣装と、プログラムの変更。そして……。

 そのグループを脱退したキーボードのメンバーなんて、元々存在しないと突然知らされる。

 そもそもそのライブは凛香と広海のために企画されたもので、広海の音楽仲間と、ある有名なレーベルのレコード会社が仕立てた、インディーズとしてのデビューライブだったというわけだ。

 その先には、メジャーデビューへの道も開けていたらしい。

 あまりの仕打ちに驚いた凛香は、広海に説明を求めたが、広海も知らなかったとシラを切る。仲間が勝手にやったことだと言い張る。

 そんなはずはないと思いながらも、満員の観客が今か今かと凛香と広海の出番を待っている状況で、ヘソを曲げてステージを放棄するわけにもいかず、気乗りのしないまま舞台に向かうことにした。

 とりあえずこの場をやり過ごそうと、すでに用意されていた超ミニのレザースカートに膝上までのロングブーツ。ヘソ出しで、ラメ入りのド派手なタンクトップという、目を覆うような奇抜な格好で観客の前に立ち、ステージが始まった。

 もちろん恥ずかしさのあまり何度も卒倒しそうになったのは言うまでもないが、どういうわけか、曲が進むごとに照れくささの皮が一枚ずつ剥がれていき、広海のギターとサイドボーカル、そして他の仲間たちのドラムやベースに乗せられて、いつになく楽しいステージになってしまったのだ。

 ライブ会場の最前列には、いつもストリートで陣取って応援してくれている馴染みの女子高生の顔もあり、彼女たちから力をもらったおかげで、一層盛り上がったステージになった。


 無事出番が終わり、楽屋で仲間から労いの言葉をかけてもらう。いつの間にか、開演前の怒りもどこかに消え去り、興奮冷めやらぬまま廊下の隅で広海に抱きしめられ、そのまま告白されるのだ。

 そして、天にも昇る気持ちで交わした口づけの後、通りかかった仲間がニヤニヤしながら広海に言ったひと言が、凛香に真実を突きつける。


「鶴本。やっぱ、おまえの言ったとおりだったよ。レコード会社の人も手応え感じてたみたいだぞ。凛香ちゃん、すげえな。もうデビュー間違いなしだよ。俺らはバックバンドで支えるから、鶴本はもっともっと曲を書いてこれからもがんばってくれ。それにしても鶴本って、プロデュースの才能もあるんだな。衣装もプログラムもバッチリだったし、曲のアレンジも最高だったよ」


 そう言って、広海の肩をパンと叩いて、消えていった仲間の男。

 凛香は広海を睨んだ。多分、怒りに燃えさかる鋭い目つきで、わなわなと唇を震わせて。

 広海はしまったと言うような顔をして、申し訳なさそうに眉を顰め、凛香を窺い見る。ごめん、こうでもしないと、おまえはここに来ないだろ、などと言って。

 広海はすべて知っていたのだ。それも、彼こそ首謀者で凛香に内緒で全てのことを運び、おまけに彼女の心まで奪い取ろうとした。

 凛香の手のひらが広海の頬を捉え、周囲一帯にパシッと乾いた音を響かせる。

 衣装を着たままコートを羽織り、荷物を抱えて即座にそこを飛び出した凛香は、その日から広海とのコンタクトを一切拒絶したのだった。

 もちろん、デビューの話も流れた。レコード会社から直接打診があったが取り合わなかった。


 あの日以来、彼から身も心も背け続けたにもかかわらず、神様は再び凛香を広海に引き合わせた。

 あの時のはらわたの煮えくり返るような激しい怒りも、今では嘘のように鳴りを潜めてしまった。

 凛香自身が教師という職業に就いてみて、当時の広海の気持ちが理解できるようになったのかもしれない。

 凛香も常々、生徒の才能の芽をどうにかして伸ばしてやりたいと思っている。有り余るほどの感性をきらめかせている生徒に、その才能を引き出し開花させるため、あの手この手の助言を惜しまない。

 あの時の広海が凛香にしたのと同じことを、彼女自身もやっているのだ。

 凛香のミュージシャンとしての将来を、彼なりに後押ししてくれていただけなのに。

 それを裏切り行為だと思い込んだ凛香は、ずっと彼のことを恨み、彼を愛している気持ちを封じ込め、つい最近まで彼を拒否し続けてきたのだ。



「おい、大丈夫か?」


 バスルームの折り戸がガバっと開き、広海が中を覗きこむ。

 凛香は突然の広海の出現に、声も出ない。上半身を隠すことも忘れて、手に載せていた顔をはっと上げ、過去に戻っていた意識を現在に引き戻す。


「おお、生きてるな。よかったよかった。あまりにも静かだから、眠りこけて、溺れちまったんじゃないかと思ったぞ。早く上がって来いよ。ビールがよく冷えて、うまそうだぞ」


 広海に手を引っ張られて無理やり湯船から出された凛香は、彼の手で広げられたバスタオルにふわりと包まれ、その上から再び力いっぱい抱きしめられた。



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