52.夫唱婦随 その2
「みんな、自分の仕事が忙しいのと、ブランクが長いのとで、昔のようには弾けないと思い込んでいるだけだと思う。俺たちよりずっと上の世代は、フォークやニューミュージックの全盛期に青春してたんだ。十代の頃にギターやドラムに嵌った人口は、きっと俺やおまえの想像以上いるはずだ」
「そうかな?」
「ああ、きっとそうだよ。俺がなんとかするから、任せておけ。おまえはとにかく、ボーカル一本でがんばってくれたらいい」
「えらい自信満々だな。でもまあ、確かに広海の言うとおりな気もする。私の父親もギターやるみたいだし」
「そうだろ? まあ、俺を信じて吉報を待っててくれ。で、曲はもちろん、あの当時のオリジナルでいいよな」
「え? オリジナル?」
「そうだ。コピーもいいけど、ここはやっぱり自前でいこうよ。なんなら新曲もプラスしようか? 今風のアレンジも加えて、しっとりしたのも一曲くらいは欲しいよな。アカペラなんかもいいかも。でも、やっぱ、迫力のある方が、ストレス発散にもってこい……」
「ひーろーみー。全く、あんたって人は……」
凛香はあきれたように、首を左右に振った。生徒に頼まれたとか言いながら、広海本人が一番楽しんでいるように見える。
この生き生きとした表情がすべてだ。誕生日とクリスマスと正月が三つ同時に来たみたいに無邪気に喜ぶ姿は、昔とちっとも変っていない。本当に進歩のないやつ。
「なんだよ。俺、なんか変なこと言ったか?」
「ったく、でれでれと嬉しそうな顔しやがって……。あんたが楽しんでどうするんだ」
「別にいいだろ? だって、考えてもみろよ。おまえの歌が聴けるんだぞ。それもあの頃みたいに、俺と一緒にステージに立って、拍手喝采を浴びて……。これのどこが楽しくないってか? 楽しいに決まってるじゃないか。なあ、凛香」
「はいはい。勝手に言ってろ。それより、早くあんたの家に行こうよ」
「おっと、そうだったな。あいつらに会って、とんだハプニングだったよ。まさか、否定せずに恋人宣言をしてしまうとはな」
「あそこで、私たちはまだそんな関係じゃないとか本当のことを言っても、空々しいだろ? いいわけがましくて、逆にあの子たちの想像力を煽るだけだ。広海の部屋に行くということは、そういう客観的な人の目も覚悟の上なんだから。ということで、早く行こうよ。これ以上遅くなったら、ピアノが弾けなくなってしまう。それに、ビールもぬるくなるし」
いくら停車してる車が少ないからと言って、いつまでも駐車場のど真ん中で立ち止まって話しているわけにもいかないのだ。
時は刻々と過ぎていく。凛香はすぐそこに停めてある広海の車に向かって再び歩き始めた。そして、助手席のドアに手を掛けた時、広海がそっと肩を揺すった。
「凛香。俺達が一緒に東高で働けるのも、もしかしたら今年度で最後かもしれないな……」
急に何を言い出すのかと思えば……。
意味不明なことを口走る広海など、この際無視することにして、凛香は車のドアを開けようと再び試みるのだが。
広海がそれを許さなかった。
「ちょ、ちょっと。広海、なんで閉めるんだよ。車に乗らないのか?」
「ああ」
「えっ? どうして? それに、今年度で最後ってどういう意味だ。高校の統廃合があるのか? 西高と合併の噂が本当だとでも? そんなの聞いてないぞ」
車を背にして、閉まったドアにもたれかかるように立っている凛香に、広海がありえないほど接近して顔を覗きこむ。
誰が見てるとも知れない公共の場でそれはないだろうと、凛香はくねくねと身をよじった。
「こら、くにゃくにゃ動くな。ちゃんとまじめに聞けよ」
「は、はい」
冗談ではなく、意外にも真剣な顔をした広海にたしなめられる。
「なあ、凛香。同じ職場に鶴本先生が二人いたら、どうする? 困るだろ?」
「はあ? 鶴本先生が二人ってどういう意味? あんたの親戚でも高校に赴任して来るのか?」
「おまえなあ……。俺の言いたいことくらい、さっさと気付け」
「だから、何? そっちこそもったいぶらずに、さっさと言ってよ」
「ったくもう、ムードも何もあったもんじゃないな。いいか、これから言うことを、よーく聞くんだぞ。おまえんちは弟がいるだろ?」
「うん。それで?」
「俺んちは、とりあえず俺が長男。つまり、おまえには鶴本になってもらうことになる。だから、そうなったら、どちらかが別の高校に移動しないとまずいってわけだ。でもって、俺の方が東高勤めが長いから、あそこから出る可能性が高い。そういうことだよ」
「ふーーん。って、なんでこの私が鶴本になるの? 意味がわからない」
「だーかーらー。夫婦になるって言ってるんだよ。俺とおまえがっ!」
「なんだ、そうか……って、ちょっと待って! へ? 夫婦、ですか?」