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そして、始まる  作者: 大平麻由理
本編
36/91

36.ありがとう その2

「かりんちゃん。本当にごめんね。もっと早くに会って、君にきちんと言うべきだったよ。悪かったと思ってる」

「ううん。終わったことはもういい。私だって悪かったと思ってるし。今思えば、ちょうど先生が見合いをしてる頃だったと思うけど、あの頃、先生が会いたいって何度か誘ってくれただろ? でも、私がそれを断って……。確かに仕事も忙しかったけど、時間を作れないわけじゃなかった。先生が何かを言いたそうにしてるのは気付いていたんだ。それを聞くのが怖かったんだと思う。それに、せっかくのプロポーズも断ってしまったし……」

「そうだったんだね。君にはいろいろと辛い思いをさせてしまった。あの時に、きちんと別れるべきだったんだ。僕も未練がましいことをしたと思ってるよ。いつかは君が僕のプロポーズを受けてくれるんじゃないかとかすかな希望を抱いていた。いつまでも待つぞ、って意気込んでいたんだ。往生際が悪いよね。なのに、結局僕の方が君を裏切る結果になってしまって。ねえ、かりんちゃん。僕の話、鶴本から訊いたんだろ?」

「えっ? それは、違う……。昨日先生に電話するまで、知らな……かった」


 昨夜、今日の約束を取り付けるために電話した時、来栖は自分から見合いの事実を語った。凛香はその時、初めて来栖の事情を知ったという反応を返したつもりだったのだが。


「かりんちゃんは、嘘はつけないからね。鶴本を傷つけまいと、そう言ってるんだろうけど。鶴本は、君のことが好きなんだろ? あいつも君と同じで、嘘がつけない正直なやつだからな……」


 凛香は思いがけない来栖の言葉に息を呑む。どういうことだろう。来栖は凛香と広海の関係は知らないはずだ。なのに、どうしてこんな話に?


「僕が気付いていないと思ってた?」


 凛香は引き攣った顔のまま、うんと頷いた。


「鶴本はね、僕を困らせまいと思ったのか、何も知らない振りをして、ずっとかりんちゃんの話を聞いてくれていたんだ。でもね、クリスマスが近い十二月のある日に、鶴本と飲んだことがあって。僕が所用で席をはずして戻ってきた時、あいつ、何かを口ずさんでるんだよ。よく聞いてみると、かりんちゃんが時々ハミングしてたのと同じ曲だったんだ。クリスマスのなんとかって言ってたよね?」

「あ……」

「かりんちゃん、言ったよね。この曲は大学時代の忘れられない曲だって。誰の曲か知らないけど、クリスマスが近付くとついつい口ずさんでしまうって。あれ、かりんちゃんが作った曲だったんだね」


 凛香は目を見開き、しばらくの間呼吸をするのも忘れて、来栖の口元だけをじっと見ていた。


「ああ、そんなに驚かないで。君を非難するつもりで言ったんじゃないから」


 来栖が困ったように眉をひそめ、日に焼けた顔を曇らせる。ひと目でスポーツマンだとわかる頑強そうな見かけからは想像もできない優しそうな声と、落ち着いた物腰は、久しぶりに会った今夜も全く変わりはない。

 さわやかで礼儀正しい体操のお兄さんスタイルはまだまだ健在のようだ。


「不思議に思った僕は、鶴本にそれは何て曲なんだって訊いたんだ。そしたら鶴本が、急に顔色を変えて、口を閉じてしまった。あいつ、無意識に口ずさんでいたんだね。これは何かあるなと思った。なかなか言ってくれなかったけど、僕のしつこさに負けて、ある人が作った思い出の曲だとやっと白状してくれたんだ」

「そうだったんだ」

「ある人って、もしかして、鶴本の好きな人だったりして……と冗談半分で訊いたら、図星だったみたいで。照れて違う違うとしきりに否定してたけどね。ああ、なるほどね、そういうことかってすぐにわかったよ。あいつ、あの時もかなり飲んでたからな。いったいどれくらい飲んだんだよってくらい、酔っ払ってた。それで、つい口が滑ってしまったんだろうな。この曲を知っているのは自分とその人と、ごくわずかな人だけだ……って言ってた。その人のことが今でも忘れられない、とも……。今付き合ってる彼女には、絶対に言えないって、苦笑いを浮かべてた」


 凛香は心の中で、広海のバカと毒づく。広海が底なしなのは、学生時代もそうだったし、勤務校の飲み会でも確認済みだ。

 でも、酔ってるそぶりは見せず、いつも淡々としていて平気な顔をして帰っていく広海しか知らない。来栖がこの曲を知るわけがないと想定して、酒の勢いで自分でも気付かぬ間にそんなことまでしゃべってしまったのだろう。

 凛香は何も言えずに俯いたまま、店員がこまめに継ぎ足してくれる緑茶のゆげの行方を追いながら、尚も話を続ける来栖に耳を傾けた。


「次の日だったかな、君に会った時、またもやあの曲を口ずさんでいる君がいて。もう間違いないと思った。実はかりんちゃんが鶴本の忘れられない彼女なんじゃないかってね。よく考えてみると、二人は同じ大学の同期なんだよね。でも、美術と音楽じゃ接点がないし、お互いに知ってるはずはないだろうと思い込んでいた僕の認識が甘かったんだね……」

「来栖先生……」


 凛香は顔を上げ、不安そうな目で来栖をじっと見つめた。



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