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そして、始まる  作者: 大平麻由理
本編
35/91

35.ありがとう その1

 夏休みもいよいよ今日が最終日だ。生徒達は今頃、徹夜覚悟で宿題の残りと格闘中に違いない。まあ、ほどほどにがんばれよとクラスの生徒の顔を一人一人思い浮かべ心の中でエールを送った。

 美術の課題は、一年が水彩写生画と文化祭のポスター。二年は四コマ漫画と文化祭のパンフレットの構成が課せられている。

 そのうち文化祭で使い物になるものは、多分二割くらいだろうと予測する。

 悲しいかな、本当に美術が好きで授業を選択した生徒ばかりではないのが現状だ。

 書道は墨の後始末が面倒くさいし、なんと言っても道具が重い。音楽はクラシックがうざいし、音符が読めなくてもなんら生活に影響がないから無視してオッケーなどと散々文句をたれた挙句、消去法で美術を選んだ生徒が多いのは今も昔も変わらない。

 ところが広海がこの学校に赴任してからは、音楽を選ぶ男子生徒がじわじわと増殖中だと聞く。ギターやドラムなども使って学期末にはミニコンサートまで開催する熱の入れように、音楽本来の楽しさを知った生徒がここぞとばかりに押し寄せる。吹奏楽部にも続々と入部者がやってくるというから驚きだ。

 広海がいち早く生徒の心を掴み指導力も高いというのは来栖の話から推測していたので、まさしくその通りだと認めざるを得ない。

 凛香も広海の熱心さに誘発されて、負けじとさまざまなことを取り入れてきたつもりだ。漫画を題材にした実技演習も行うし、本格的な陶芸も窯元の協力を得て実現させた。


 漫画といえば凛香が高校生の頃、あつかましくも出版社に投稿したことがある。

 大賞や準大賞、佳作など名のある賞は逃したものの、入選者の中に名まえが載ったことはある。その時の審査員の講評は……。

 背景の書き込みはある一定のレベルに達しているが、キャラクターが淡々とし過ぎて、面白みにかける。次作に期待したいというものだった。

 もしかして……と手ごたえを感じていた作品だっただけに、その結果には随分落胆したものだ。

 もちろん、それっきり投稿はしていない。漫画には早々に見切りをつけたのだ。

 当時のGペンも、スクリーントーンもまだ凛香の机の引き出しのどこかで眠っているはずだ。しかしもう二度と使うことはないだろう。部活の漫画好きの生徒に譲ってもいいかなとふと思う。


 凛香は冷房が心地よく効いた自分の部屋で、パソコンの画面を前にキーボードの上で手の動きを止めていた。完全に思考力が止まってしまったのだ。

 風紀関係のプリント原稿を今夜中に作り上げ、明日の朝、生徒が登校してくる前に印刷することになっているというのに、このままでは大変なことになる。凛香はあわてて邪念を振り払い仕事に集中する。

 と言っても、去年の原稿に少し手を加えるだけだからそんなに時間はかからない。よし、頑張ろう。自分を奮い立たせ、リズミカルにキーボードを叩く。

 これが終われば、後はもう寝るだけだ。まあ、それもパソコンの調子が良ければという条件つきではあるが。


 結局、七月も八月もカレンダーどおりの出勤で、有給休暇も自宅研修も取らなかったというか取れなかったのが今年の夏休みの現状だ。

 もちろん部活もあるので土曜日も日曜日も大方出勤していた。つまり、ほぼ毎日学校に出向き、広海と顔を合せていたという勘定になる。

 蓄積された疲れが肩や腰に重くのしかかる。実家にも帰っていない。休みが欲しい。この時期に及んで、凛香は切実にそう思った。


 パソコンデスクの隅で、キラリと光る細い鎖状のアクセサリーの残骸が目に入る。凛香はそれを見ながら、一週間前に来栖と会った日のことを思い出していた。



「これは、かりんちゃんが持っててくれたらいいよ。返してもらうおうなんて思っちゃいないさ」

「でも。私が持ってても、もう……。先生の、その。彼女さんに、悪いし……」


 凛香は、来栖が指定してきた創作和食料理の店の奥まった席で、筆箱の大きさくらいの箱を、相手に差し出していた。


「君がそんな気を遣う必要はないよ。だって、それは君の物だから。君のために選んだ物だもの。君の喜ぶ顔が見たくて贈った物だよ。邪魔になるようだったら、ショップに持って行って売ればいい。ただし、有名なブランド物じゃないし、たいした金額にはならないだろうけど、金やプラチナとしての最低限の価値はあるだろうから」


 さっきから繰り返される押し問答に、とうとう凛香が折れる。その小箱を引き戻し、仕方なくカバンにしまった。中身は二本のネックレスと、ファッションリングだ。何かの節目に来栖が選んで凛香に贈ったものだった。

 ネックレスの内の一つは、凛香も気に入っていて、肌身離さずつけていたものだ。あとの二つは、あまりにもデザインがかわいらしすぎて、ほとんど身につけたことはない。

 もらった次のデートに一度つけたくらいで、それ以降はずっとドレッサーの中にしまっておいた物だ。

 別れるからといってすぐに捨てるのも忍びなく、それならば贈り主である来栖に引き取ってもらおうと、家からいそいそと持ってきたのだ。



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