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そして、始まる  作者: 大平麻由理
本編
34/91

34.そして、始まる その2

「今、俺に言ったみたいなおまえの気持を、来栖さんにぶつけたことがあるのか? おまえの部屋にもあの人を入れないんだろ? どうなんだよ。それでも来栖さんを好きだって言えるのか?」

「そ、それは……」

「相手を好きになる、愛するっていうのは、本来の自分を全部相手に受け止めてもらうことなんだ。それが出来るなら、今からでも来栖さんのところに行って来いよ。俺は止めないから」


 来栖のところに行けと言う男をじっと見ながら、凛香は自分自身に問いかけてみた。

 まずは、今すぐ彼の元に行って、この気持をぶつければいいんだ。

 そして、やっぱりあなたが好きだから見合いをした彼女とは別れてくれとすがりつけばいい。

 それから。その後はいったいどうすればいいのだろう。

 凛香の思考はそこでピタッと停止してしまった。


 その先にあるのは、もう結婚しかないとわかっている。

 凛香自らが来栖に結婚を申し出るしか、残された道はないのだ。

 でも来栖には、意気投合した見合いの相手がいて、彼の心はすでにその女で占められている……。

 そんな来栖に、果たしてすべてをさらけ出すことが出来るのだろうか。

 冷静になるんだ、落ち着いてじっくり考えろと、自分に言い聞かせる。確かに来栖のことは好きだった。今でも好きだ。

 でも。それだけでしかない。

 凛香はすでに気付いていたのだ。来栖は一生を共にする相手ではないと。


「どうした。凛香、行かないのか?」


 広海の声が、凛香の心の空洞にすっと入り込む。


「広海……。私、やっぱり行かない。いいよ、もういい。もういいんだ」

「ホントにいいのか? 後で悔やんでも知らないぞ」

「後悔なんて、しない。明日か明後日に来栖に会って、きちんと話をつける。私が一言、別れようって言えばいいだけだ」

「それはそうだけど。おまえ、大丈夫?」

「それくらい、簡単なことさ。むかし広海の元を離れて、今また来栖を失って……。私は誰にも心を開けないし、頼ることも出来ない不器用な人間なんだ。こんなかわいげのない男みたいな女なんて、結局誰にも相手にされないんだ。もう恋愛はこりごりだ。一生一人で生きていくことにする。広海も、私みたいにならないうちに、早くいい人を見つけて幸せになれよ」


 ありったけの気力をふりしぼって、そう言ったのに。

 おまけに広海の今後のことまで気遣いをしてやったというのに……。

 気丈さを必死で保っている凛香を前にしながら、その男は肩を震わせ、声を上げて笑い始めた。


「くっくっくっ、あはははっ……! おまえ、やっぱりサイコー。大好きだよ、凛香」

「な、何だよ!」

「そうだ、その通り、誰とも恋愛なんかしなくていいからな。今までどおりまっすぐ前を見て、肩で風を切って、堂々と学校の廊下を歩いてくれたら、それでいいんだ」


 涙を流さんばかりに笑い転げる広海が両手を広げ、きょとんとしている凛香をすっぽりその腕に抱きしめた。


「な、な、何するんだ!」


 凛香が身をくねらせて広海の腕から逃れようとするが、ますますがっしりと抱きしめられ、1ミリたりとも動けなくなる。


「や、やめてくれ。それに、何だよ。学校の廊下を肩で風を切って歩けとか。私は背が高いうえに姿勢がいいから、そう見えるだけなんだ。ふ、ふざける、な! く、苦しい。離せ、離してくれーー!」

「嫌だね! こんなかわいい凛香を誰が離すものか。来栖さんありがとーっ! おまえね、俺にだけ、何でもさらけ出してくれてるんだぞ。そこんとこ、わかってる? もう今夜は帰さない。そうだ、おまえ体の具合が悪かったんだよな。ふふふ……。俺が、寝ずの看病をしてやるぞ。だから心配はいらないから……って、おい、こら! 凛香! 大丈夫か?」

「ひ、広海……。もう、だめ……だ」


 その日二度目の貧血を起こした凛香は、そのままソファに倒れこんでしまった。


 本当に寝ずの看病をしてくれた某校の音楽教師に、次の日の明け方、丁寧に自宅に送り届けてもらうことになった。

 意識が朦朧とする中、また何度も自分の名まえを呼んでくれたと、ハンドルを握る広海が嬉しそうに報告してくれる。

 そして、シューマンのあの曲を弾いてくれと頼まれたとも言って、満足そうにフフンと鼻を鳴らした。

 凛香は広海の言うことを全部信じたわけではなかったが、クライスレリアーナを弾いてくれと頼んだことだけは、薄っすらと記憶の片隅に残っていた。

 おまえが元気になったら全曲通して聴かせてやるが、今となっては、以前のような気持ちを抱いて弾くのはもう無理かもしれないな……と不可解なことを言う。

 早朝の車の中でしたり顔で話す広海に、凛香はどうして以前のように弾けないんだと訊ねてみた。

 ところが広海は、知りたければ図書館やネットでシューマンについて調べろとしか言わない。

 決して口を割らない広海にこれ以上訊いても無駄だと観念し、絶対に自分で調べてやると、持ち前の負けん気を炸裂させる。

 売られた喧嘩は買うしかない。凛香は鼻息も荒く臨戦態勢になる。


 が、クライスレリアーナを聴くということは、また広海と二人きりで会うということになる。

 そう思った瞬間、凛香の思考回路がショート寸前になり、心臓のリズムまで狂いだすのがわかった。

 これではまるで、初恋のときめきにもだえる少女のようではないか。

 夕べ、ずっと手を握っていてくれたのは、確かに広海だった。もう一方の手が凛香の額にあてがわれ、時に髪をも撫でる。そのぬくもりが、今まさに彼女の脳裏に蘇り、凛香の心を再び乱れさせるのだ。


 凛香は、自分の中で、今まさに何かが始まったのを感じ取っていた。




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