31.終焉の気配 その2
「私もあのことがあるまでは、広海のこと、結構好きだったかも。相思相愛だったのに、おしいことしたな。フッフッフッフ……」
来栖のことを早く知りたいのはやまやまだが、これは広海なりの気遣いかもしれないと凛香は思い始めていた。
ショッキングな事実を告げる前に場を和ませておこうという、ありきたりな作戦だ。
ならばそのお礼にと、極上のジョークで切り返したつもりだったのだが……。広海の顔がじわじわと赤くなり、潤んだ瞳で凛香を見つめているではないか。
「り、凛香。相思相愛って……。ホントにそうだったのか?」
「そうだったけど? でないと、あんなに広海と一緒にいるわけないだろ」
大学ですれ違った時、広海の隣に見知らぬ女子学生がいた時の寂しさと悔しさったらなかった。
見てはいけないものを見てしまったようで、二人から目を逸らし、その場から逃げ去ったこともあった。
後日、どうしてあの時声をかけてくれなかったんだと広海に責められても、本当のことが言えなくて、悶々としていたのを思い出す。
あれは限りなく嫉妬に近い感情だったのだと思う。いや、完全に嫉妬だろう。
その頃から、広海を見る目が変わったという自覚がある。
「それならそうと、なんであの時はっきり言ってくれなかったんだよう。俺は、ずっと独り相撲だと思ってたんだぞ。長い片思いだったな。なあ、凛香。今から俺達、やり直さないか?」
はあ? なんでそうなる。凛香は、この男の思考回路がさっぱりわからなくなっていた。
「広海の馬鹿! 空気を読めよ、空気を。今、そんな話をしてる場合じゃないだろ? もう焦らすのはこれくらいにしてくれ。これでも私、結構傷ついてるんだから……」
「わ、わかったよ。俺が悪かった。ごめん……」
広海が決まり悪そうにぼそっと謝った。
「それで、さっきの続きだが……。来栖さん、それまで俺に話していたかりんのことは全部嘘で、本当は全く正反対の女性なんだって突然言い出すんだ。彼女の真実を話すと、俺が引くんじゃないかと思って、正直に言えなかったらしい」
「なんだ、それ……」
「実は、かりんは元同僚で、男っぽい性格で、こんな女性で、こんなこともあって……って包み隠さず話してくれた。もちろん俺は引きはしなかった。かりんの個性は誰かさんと全く同じだし、世の中にはよく似た人がいるもんだと逆に微笑ましく思ったくらいだからな」
「そんな……」
「それで、その時俺は確信したんだよ。かりんという女性がおまえだってことを。いつしか来栖さんは、自分の理想の女性像を俺に話していたんだ。さもそんな女性がいるかのようにね。おまえのことは好きだったけど、いつかは自分の理想の女性像に近付いてくれると、ずっとそう思って待っていたらしい。でも、おまえは、そうならなかった……」
「そ、そうだったんだ……。ちょっとショックかも。じゃあ、どうすればよかったのかな。女らしくと言われても、これでも精一杯、女らしいつもりなんだけど。学生時代に比べれば、随分努力もしたし……」
「わかってるって。おまえは十分に女らしいよ。そりゃあ、言葉は悪いし花柄のワンピースは着ないけど、心も身体も何もかも、正真正銘素敵な女だ。誰が何と言おうと、おまえはいい女だよ」
広海はそう言って凛香を正面から見下ろし、頬に手を添えてきた。
「女、女って、知ったかぶりするな。あんたに私の身体まで確かめさせた覚えはないから」
広海の思わせぶりな手を払いのけ、調子に乗るこの男に釘を刺す。
「あー。せっかく優しく労わってやってるのに、そんな身も蓋もないことを言うなよ。おまえは確かに女だって、一般論を言ったまでだろ。それと、俺の叶わぬ願望……」
「勝手に言ってろ」
こんな奴を相手にしたのがそもそもの間違いだったのだ。
この男が語る来栖の姿を、このまま真に受けてもいいのだろうか。凛香の脳裏に一抹の不安がよぎる。
「俺って、さっきからおまえにやられっぱなしだよな。自分でも情けない奴だと思うよ。でもな、学校では俺の方がずっと形勢が有利だろ? まあ懺悔の気持ちもこめて、ここではおまえに一歩譲っておくとしよう」
「私が一歩引いて黙っておとなしくしてるのをいいことに、学校でのあんたの横暴っぷりには、ちょいとばかし頭にきてたところだからな。いつか見てろよとずっと仕返しの機会を伺ってたんだ」
「おお、こわーーっ。もう十分に仕返しはもらったから。これ以上は勘弁してくれよ。で、話はもどるが。東高に転勤が決まった時、おまえ、来栖さんにプロポーズされたんだよな?」
どうして広海がそこまで知っているのだろうと不快な気分に襲われるが、来栖と親しかったのなら、それも仕方ない。
「そ、そうだ」
凛香はとまどいながらも正直に認めた。
「でもおまえは、断った」
広海が有無を言わさぬ目で、凛香をじっと見据えて言った。
「そう……だ」