30.終焉の気配 その1
広海が気まずそうに目を逸らす。凛香はそれでも知りたかった。来栖にいったい何があったのか、真実を知っておきたかったのだ。
「広海。あんたが来栖のことをかばっているのか、それとも、私にショックを与えないために事実を隠したいのか……。あんたが話したがらない理由がどっちなのかはわからないが、私は本当のことが知りたいんだ」
「う……」
広海は苦しそうに呻く
「そのうち彼に直接聞くつもりではいるけど、その前にあらましを聞いて、気持の整理をしたいと思ってる。だから、ねえ広海。お願い、教えて。あんたが言ったなんて、来栖には言わないから」
何にしても心構えは必要だ。それに凛香には知る権利があると思った。
「凛香。俺は別に来栖さんに言ってもらっても構わないさ。もしおまえが本当に知らないというのなら、それはルール違反だと思うからな。当然、来栖さんに否がある。なあ、凛香。いつから来栖さんに会ってないんだ?」
「先月から。その前もほんの少し、会っただけだ。研修会場で、顔を見た程度だけど」
「そうか……」
まるで凛香の痛みを分かち合うかのように、広海が悲しそうな目をして頷く。
「広海……。本当のことを言うと、今年になってから、ほとんど会っていないんだ。恋人らしい関係は、ここ一年ほど全くない」
彼と触れ合わなくなって久しい。その状況に慣れてしまった自分がいること事態、恋人関係が終わっていることの証明でもある。
「あ……。まさか、そこまで疎遠になっていたとは。俺も知らなかったよ」
「向こうがとっくに冷め切っているのは、薄々気付いていた。別れる覚悟は出来ているつもりだ。いつまでたってもかわいげのない私が嫌になったんだと思う」
「そんなことはない。来栖さんだって、凛香のことはかわいくて仕方なかったはずだ」
「過去はそうだったかもしれないが、今はもう……。だから、どんな内容を聞いても驚かないし、言ってもらったほうが逆にすっきりする。だから……」
「俺も、おまえが知っておいた方がいいとは思う。そりゃあ、知っておくべきだろう。でも結構キツい内容だぞ。本当にいいのか?」
「いい。私は大丈夫だから、あんたの知ってること、全部教えて欲しい」
すがるような思いで広海に懇願する。でも広海はうんと低く頷くだけで、口を閉ざしたままだった。
もし凛香が広海の立場だったらどうするだろうか。やはりなかなか言えないのかもしれない。広海が躊躇するのもわかる。自分の一言で目の前の人間を傷付けてしまうかもしれないのだから。
「なあ、広海。私は大丈夫だから」
「ああ、だけど……」
「じゃあ私から言う。来栖に別の女が出来たんだろ? 違うのか? ねえ、言ってよ。黙ってないで、早く!」
大方、女問題だろうと見当はついている。職場にいい人が出来たのかもしれない。いや、卒業生からのアタックに負けた可能性もある。
手紙攻撃にメール攻撃。果ては実家にまで足を運ぶ卒業生が複数いたのも事実だ。
成人式の写真を焼き直して、郵送してきた者もいる。敵はなかなか手ごわい。けれど純粋な彼女たちに彼が心を傾けたとしても、凛香には責める資格はない。
また、広海と瑛子みたいに職場の女性に迫られた場合も、それを回避するのがどれほど至難の業なのかも、理解しているつもりだ。
彼が新たな恋に生きるというのなら、認めざるを得ない立場なのも凛香は承知しているつもりだった。
何か言いたげな目をして、それでいてなかなか言い出せない来栖の心の葛藤を、凛香はずっと前から察知していた。
それが別の女性の影響であることも、とっくに気付いていたのだ。
広海に真実を話してもらえれば、耐えられるような気がしていた。
広海なら、凛香がどんなに取り乱しても、きっとそのまま受け止めてくれるはずだと思ったからだ。
広海ならすべてを包み込んでくれる。広海なら、広海なら……。
「おまえなあ……。本当にさっきから、反則ばかりやりやがって。今の凛香、めちゃくちゃかわいいし。というか、教師になってからのおまえって、ホント、別人かと思うくらいきれいになったよな」
こんな切羽詰った状況でもそんなことをぬけぬけと公言する広海に、凛香は開いた口が塞がらない。
来栖のことはどうなったんだ。そんな歯の浮くような社交辞令より、一分一秒でも早く話の先を聞かせて欲しいというのに。
「まあまあ、そんなに慌てるなよ。その前に俺の話も聞いてくれ」
「え? わ、わかった。何だよ、いったい」
ああ、じれったいったらありゃしない。あともう少しで事実が明るみに出るところだったのに。
まあ、この男の機嫌を損ねたらますます聞き出しにくくなるから、ここは我慢するしかないだろう。
「あのな、去年の春、東高でおまえと久しぶりに顔を合わせた時、悔しいが、おまえっていい恋愛をしてるんだなあと思ったよ。ああ、俺はもう完全に出遅れたってな。でも俺は、今の女らしい凛香もいいが、昔のとんがった意味不明な凛香も好きだった。あれはあれで、俺のツボだったし……」
告白タイムでもあるまいし、気安く好きだったなどと言う広海にますますあきれる。けれど、そんな広海の思いを嬉しいと思う自分もどこかにいて、複雑な心境になる。