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そして、始まる  作者: 大平麻由理
本編
3/91

3.恋の第一段階 その1

「よお!」


 駅前広場の時計の下で、宇治が今までに見せたことのないような笑顔を貼り付けて手を振っていた。


「ど、どうも……」


 いつもの無愛想で高慢な宇治とはあまりにも違いすぎるため、返事に困った凛香はガラにもなく俯き、口ごもってしまう。


 凛香の家と高校のちょうど中間にあるこの駅は、特急電車も停車する乗降客の多いところで、老舗デパートをはじめ商店街も常に賑わいを見せている。

 ファストフードの店も一通り揃っているので、学校帰りの学生にも人気のスポットだ。


「さあ、行くぞ」


 そう言って差し出されたのは……。宇治の手だった。

 あちこちに絵の具がついている手。

 凛香とあまり大きさの変わらない、だけど、ごつごつした手。

 彼の手がさも当然のように凛香の手をつかまえる。


「せ、せ、先輩! なんで。なんでこうなるんですか?」


 繋がった手を見てじたばたする凛香の疑問などいっさい耳を貸さず、宇治がぐんぐん歩き始める。

 凛香は生まれて初めての出来事に目を白黒させていた。


 たとえ部活の仲間ではあっても、男の人と待ち合わせをしたのも初めてならば、手を繋いだのも初めてだ。

 道行く人が全員こっちを見ているような気がして、顔を上げて歩くのが辛い。


 画材店に入ってからもレジで精算をする時以外は、ずっと手はつながれたままだった。

 うかつにも横を向こうものなら、親ですら近年そこまで至近距離で見たことが無いというくらい近くに宇治の顔が迫ってくるので、正直怖い。


 基本的に、同じ背格好の二人なものだから、目が合った時の気まずさといったらない。

 出来るだけ横を向かないように首を前向きにしっかりと固定した。


 買い物のあと、宇治のお気に入りだという丼物の専門店に連れて行かれ、生まれて初めて親子丼なるものを食べた。


 もしかしたら子どもの頃、当時まだ生きていた祖母に作ってもらったことがあったのかもしれないが、今となってはそれも定かではない。


 母親は父親と共に四六時中働いているため、丼物のように個別に作る料理は基本的に食卓に登場しないのが鷺野家の日常だった。

 カレーにおでん、シチューに豚汁。大なべに三日分くらいの分量を作るのが彼女の母親の定番料理なのだ。


 でもその店では、調理場を囲むようにして設置してあるカウンターに客が座るため、作っている過程が丸見えだった。


 親子丼などきっと手間がかかって上級の料理テクニックを必要とするものだとばかり思っていたが、実際はそれほどでもないと知り驚く。

 鶏肉とネギを散らした薄くて小さな片手鍋に甘辛醤油の煮汁を入れ、くつくつ煮立ったら卵でとじ、熱々のご飯に載せて、はい、出来上がりとなる。ものの数分の調理時間だ。


 凛香はその工程を穴が開くほど眺め続けたおかげで、親子丼の作り方をおぼろげながらも理解できた。

 これなら自分にも出来るかもしれない。家事全般は概ね苦手な凛香だが、弟に作ってやればきっと喜ぶだろうな……などと思いを巡らせる。


 凛香の隣で、カツ丼大盛りをぺろりと平らげ、白い歯を見せて満足そうに笑う宇治の存在をすっかり忘れていた凛香は、あわてて視線を調理場から自分のからっぽの丼に移し、遠慮がちにご馳走さまと言って頭を下げた。


 そして帰り道。今日の目的も果たし、凛香のカバンは返してもらった絵の具の重みでずしっと沈み込む。


 まだ手は繋がれたままだが、もうこれ以上一緒にいる理由も見つからない今、駅で即刻別れるものだとばかり思っていた凛香は、宇治の予想だにしない行動に首を傾げる。

 そのまま駅構内を通り抜け、北側にある道を上がって行こうとするのだ。


「あ、あの。どこに行くんですか? 私、電車に乗らないと帰れないんですが……」


 凛香はさも困ったような顔をして、宇治に訴える。


「まだいいだろ? せっかくのデートだっていうのに、こんなに早くおまえを帰すわけにはいかないよ。もう少し……。一緒にいたいんだ」


 凛香は耳を疑うような宇治の言葉にびっくりしすぎて、開いた口が塞がるまで相当の時間を要したことは言うまでもない。


 で、で、デート? この状況は、デートなのか? 

 凛香は慌てて、本日の自分の行動を振り返ってみる。

 宇治と手を繋ぎ、一緒に買い物や食事をして、挙句、別れを惜しまれた……。


 これはやっぱり……。間違いない。正真正銘、デートなるものだ。

 誰がなんと言おうとデートに違いない。 

 先日見たテレビドラマで主人公が彼女と過ごしていた休日と全く同じ行程だ。


 凛香は初めてのデートなるものに、あろうことか、胸をときめかせてしまった。

 が、しかし。普通、愛しい相手と一緒だからこそ胸が高鳴るはずなのに、凛香の脳裏には一切その部分が抜け落ちていることに気付く。

 純粋にデートそのものの響きに舞い上がっていた、みたいだ。


 ドラマでのデートの締めくくりは、主人公の一人暮らしのマンションに彼女を招き入れる場面になっていた。

 ただし、世間話をしただけで、すぐに帰って行くというつまらない設定だったはずだ。


 確か宇治の家はこの近辺だと聞いている。ということは、つまり。

 この後宇治も、やはりドラマと同じ手段を用いる可能性は……非常に高い。


「なあ、鷺野。今から、俺の家に来ないか?」


 ほらほらほら。やっぱりそう来たか。

 



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