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そして、始まる  作者: 大平麻由理
本編
28/91

28.キュートな寝顔 その1

 ああ……。そうか。ここは広海の官舎だった。凛香はようやく自分のおかれている状況を理解し、もそもそと上半身を起こす。


「わ、悪い。昔のことをいろいろ思い出してたら、ついつい眠くなってしまって……」


 ソファのすぐ下でめいっぱい不機嫌な顔をしながら胡坐をかいている広海が、横目でじろっと凛香を見る。


「ったくしょうがないやつ……。で、俺の頼みは聞いてくれるのか?」

「えっと、文化祭のことだよな?」

「そうだ。生徒をがっかりさせるな。なあ凛香。あいつらの希望に応えてやれよ」

「……考えておく。今すぐ返事しなくてもいいだろ? こっちにもいろいろ心積りってのがあるからな。まあ、あれだな。前向きに……検討するよ」


 ここまで言われて完全拒否は出来ないだろう。凛香は次第に広海の意図に呑まれて行く自分を容認し始めていた。


「そうか! よし、わかった。是非とも前向きに頼む」


 広海の顔がぱっと明るくなった。


「ああ。わかった」

「いいねえ。なんでまた、そんな風に肯定的な気持になったんだ? さっきはもうダメかと思ってあきらめ半分だったんだぞ。なんかいい夢でも見たのか? 気持よさそうにすやすや寝息を立てていたからな」

「いや別に。どこまでが過去の記憶で、どこから夢だったのかはよくわからない。ただ広海と一緒に歌い始めた頃は、それなりに楽しい毎日で、仲良くそばを食べたりもしたなって、思い出していた。なのにどうして一年後にあんなことになってしまったんだろう、ってね」

「おまえもそう思うだろ? なんでもっとうまく立ち回れなかったのかなあと、後悔の日々だ。俺だってあの頃の自分が不甲斐なくて仕方ないよ。あの騒ぎの数日後に、おまえの部屋に置いていた俺の荷物が宅配便で送られてきて。ああ、おまえは本気だったんだ、これでおまえとも本当に終わったんだとはっきり自覚したんだ」

「そうだったな。あれは自分でもびっくりするくらい、素早い行動だったと思う」


 段ボールに広海の私物を詰め、コンビニに持って行って配送の手続きをした日が思い出される。

 いろいろなバンドの楽譜からCD、そして歯ブラシにカップにトランクス。同棲でもあるまいし、なぜそんなものがあるのか理解に苦しむものまで、すべて彼の持ち物を送り返したあの日が今となってはなつかしい。


「おまえの変わり身の早さのおかげで、あの後ひと月ほど俺がどれだけ荒れたと思う? もちろん正月も実家には帰らなかったし、バイトもクビになって、食うのにも困って。今だから白状するけど、俺が物心ついてから泣いたのは、あの時が初めてだった。もうボロボロだった」


 連絡もすべて断って、顔も見たくないほど嫌いになった相手だというのに、凛香はその頃の荒れた広海を何度か目撃したことがあった。

 そこに広海がいるとわかっていながら、二人で通った居酒屋をふらりと覗いて彼の姿を確認すると、黙ってそのまま立ち去るのだ。

 本当は声をかけたかったのかもしれない。そんなに辛ければうちに来ればと電話をかけようと思ったこともあった。


「あの頃の俺、どうしようもないほど若くて未熟だったんだ。恥も外聞も捨てて、おまえのところに泣きついて行けばよかったのに、変なプライドが邪魔してそれが出来なかった」

「あんたらしいよ、まったく」

「俺らしいか……。でも、本当はおまえとずっと一緒にいたかったのに、失恋した自分に酔って、自分ほど惨めな男はいないと仲間の同情を煽って……。とうとう今日までそれを引きずって来たってわけだ」

「でもな、広海。あの時、あんたが泣きついて来たとしても、私はあんたを受け入れることは出来なかったと思う。あれで良かったんだよ。お互い違う世界を見て、いろいろな人と出会ってきたからこそ、今こうやって真正面から向き合えるようになったんだ。言っておくけど、あの時は、あれが私の精一杯の広海への抵抗だった。あんたのことを心から信じていただけに、本当に許せなかった。あれが私のケジメだったんだと思う。ああ、思い出すだけでもいまだにムカついてくる」


 もちろん、今でも広海を許すつもりはない。広海の身勝手さに、凛香の心はズタズタにされたのだから。

 ただそれと文化祭のことは別の次元の話だ。文化祭実行委員長がどうしてもと望むなら、希望を叶えてやるのも悪くない。

 教師が本音でぶつかれば、きっと彼らも本気を返してくる。お互いがもっと分かり合える、絶好のチャンスでもあるのだから。


「おまえの気持ちはわかってるつもりだよ。俺のやったことは許してくれなくてもいい。一生かけて償っていく。この先、ずっと」

「無理しなくてもいいぞ。まあ、私たちは、これ以上深入りすることもないだろうし、今のスタンスを続けていけば、お互いが傷つくこともないと思う」

「また、そんなことを言うのか? 俺はやっと今、突破口が開いたと思ってる。おまえがどんなに嫌がっても、今度は引き下がらないからな。覚悟してろよ。でもな、俺、ちょっとショック受けてる。なあ凛香、俺ってそんなに魅力ないのか? 俺と二人きりになっても、グーグー眠っちまうくらいリラックスできるって、どうよ……」

「あ──。どうしてだかわからないけど、広海といるとなぜか眠くなるんだ。それはもう、条件反射みたいに。昔だってそうだったじゃないか」

「ああ、そうだ。残念ながらそうだった。凛香を大事に思うあまり、おまえに手出しできなかった俺が悪いんです。俺がおまえをそんな風に育ててしまったんです。はい、そうです、その通りです……」



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