23.カリスマ主夫広海 その3
というのも、今年のバレンタインデーには、どういうわけか、男の広海よりも、凛香の方が多くチョコをもらった。
見せ合ったわけではないが、職員室で席が近いため、お互いの戦利品が丸分かりだったのだ。
凛香は、その結果に複雑な思いを抱いていた。もし自分が東高にいなければ、きっと広海の方がたくさんもらえたはずなのにと普段憎たらしい広海に同情的な気持ちになっていた。
広海が、かなり凛香の人気をうらやましがっていたのも事実だ。そんな広海にはファミリーサイズの袋詰めアーモンドチョコをどっさりと贈ってやればいいのだ。
広海はどんなに高価なチョコよりも、庶民の味のアーモンドチョコが一番好きだったはずだから。
うーーん。挽きたてのコーヒーのいい香りが凛香の鼻先をくすぐる。昔から広海の淹れるコーヒーは、文句なしにうまかった。
広海がカップを二つ載せたトレーをソファの前のローテーブルに運んできてくれたのはそれから数分後だった。
「こうやって、おまえと二人でコーヒーを飲むのは、何年ぶりかな」
コーヒーカップを手に、ソファにもたれるようにして広海と並んで床に座る。凛香はコーヒーを口に含み、広海の話に耳を傾けた。
「なあ、凛香。俺たち、あんな別れ方をしていなければ、結構うまくやっていけたんじゃないかなあ。おまえはどう思う? 俺の都合のいい思い込みか?」
「ああ。思い込みだ」
間を空けずに答える。
「即答かよ……」
広海はがっくりと肩を落とし、ふうっと寂しげなため息をついた。
「私はあんたと付き合ってたわけでもないし、あのあと進展してたかどうかなんて、実際問題、考える方が無駄だと思う。私はあの時、広海や他のメンバーに騙されたんだ。あのことだけは一生忘れないからな。……今言えるのは、それだけだ」
「まだ、そんなこと言ってるのか? 黙ってたのは、確かに悪かったと思う。でも騙したわけじゃない。凛香ならプロとしてやれるし、きっと成功すると思った。あの時のおまえのステージは、最高だったと思ってる。客だって、俺たちだって、みんなおまえに釘付けになって。いつしか会場中が一体になっていた。おまえも、そのことはわかってただろ?」
凛香は悔しそうに唇をかみしめ、膝の上のコーヒーカップに視線を落とす。
そんな話をするために、ここに来たわけではない。昔の話を蒸し返すのが目的ならば、今すぐにここから立ち去りたい。
凛香は不機嫌さを全身で表して、広海を睨みつけた。
「わ、悪い。つい昔のことばかり言ってしまって。そんなつもりはなかったんだ。ただ、おまえと二人でここにいるのが、夢みたいで。まだ信じられなくて。これから先、もう絶対にこんな時間が持てるなんて思ってなかったから、つい浮かれてしまった。俺が悪かったよ。じゃあ、本題に入るけど。いいか?」
まだ広海の態度を許したわけではないが、凛香は黙ったまま頷いた。
「仕事の話と、さっきの来栖さんの話。どっちから聞きたい?」
凛香は迷いながらも顔を上げる。
「じゃあ、仕事の話から。まさか、また別の補習講座の手伝いをしろとか言うんじゃないだろうな?」
いくら生徒のためとはいえ、もう広海の手伝いはこりごりだ。
「それはない。補習講座は予定通り、あと二日で終わるよ。そうじゃなくて、実は秋の文化祭のことなんだ。俺は今年度、生徒会の担当教員でありながら吹奏楽部の副顧問ってのは、おまえも知ってるよな?」
「もちろん、知ってる」
そうだった。広海は、クラス担任の業務以外に、二足のわらじを履いているのだ。
凛香はクラス担任以外には、美術部の顧問と風紀担当に当たっている。
見た目は広海と同じ数のわらじを履いているが、風紀担当は他に五人もいる上、マッチョな男性体育教師が頑張ってくれているので、当番の時だけ、校門に立っていればいい。
広海の忙しさに比べれば、凛香の分担業務など、無いに等しいかもしれない。
「じゃあ、生徒会の文化祭実行委員長が、吹奏楽部にいるってのも?」
凛香は不思議そうに首を傾げる。さすがに、そこまでは把握していなかった。
が、それがどうだと言うのだろう。
「知らないってか? おまえ、本当に自分のクラスの生徒以外は何も知らないんだな」
「ふん、知らなくて悪かったな。美術部員なら知ってるぞ」
「そりゃあ、そうでしょう。でも、生徒はそんなおまえを慕ってるっていうから、世の中ホントにわからないことだらけだな。で、そいつが俺に頼んできたんだ」
「何を?」
「先生たちのかくし芸を、舞台発表でやって欲しいって」
「か、かくし芸?」
「そうだ。おまけに、是非とも鷺野先生には出場して欲しいんだとさ。鶴本先生から頼んでくれと、泣きつかれた」
なんだ、それは……。凛香は小馬鹿にしたような冷ややかな視線を広海に返した。
三年生の卒業にあたっての謝恩会や三送会では、そんなおふざけもたまにはある。
でも、文化祭だぞ? なんで教師が生徒主体の舞台にほいほいと出なきゃならないんだ。他をあたってくれ。全く、話にならない。
凛香は、おもいっきり首を横に振り、却下と叫んで広海の話を跳ね除けた。