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そして、始まる  作者: 大平麻由理
本編
18/91

18.おたふく その2

 でもまあ、デリカシーのカケラも持ち合わせない、こいつの歪んだ性格じゃあ、彼女もさぞかし苦労したことだろう。凛香はざまあみろとばかりに、フフンと鼻で笑ってみせた。

 付き合っている女性がいるとわかっていても、この男にすり寄っていく女は数知れない。

 こういう男と付き合った宿命とでもいうのだろうか。相手も苦労したことだろう。凛香は見たこともない広海の彼女に、大いに同情心を抱いた。

 そう言えば。広海は音楽教師に採用された初年度は、ここから随分遠い県西部の高校に配属されたのだ。

 凛香は広海から奪い取ったメニューを眺めながら、広海が就職した当時のことを思い出していた。


 一旦西部学区に配属されると、よほどのことが無い限り、西部の学区内で教師の移動が行なわれるのが常なのだが、広海はたった三年で、ここ東部の学区に飛ばされてきたのだ。

 それは凛香にしてみれば、大きな誤算だった。そうとわかっていたら、凛香はなんとしても別の県の教員採用試験を受けたはずだ。

 広海が院に進まず、就職すると知った時、凛香は迷わず院への進学を選んだ。

 学校勤めなど、結局は狭い世界なのだ。一緒に採用試験を受けて、万が一同じ高校、あるいは近くに配属されようものなら、否が応でも、ずっと顔を合わせ続けなければならない。

 それだけは何があっても避けたかった凛香は、わざと院に進学して就職の時期をずらし、広海が西部学区勤めで官舎暮らしという風の便りを聞いて、安心して採用試験を受けたという経緯がある。

 ここは日本国内でも上位に入るくらい、高校の数が多い県だ。一緒の高校に勤務することなど、宝くじの高額当選を手にするのと同じくらいに低確率だと踏んでいたのに、見事的中してしまったものだから、開いた口が塞がらない。


 凛香が前の高校に新卒で着任して三年目の時、東高から転勤してきた体育教師が、のちに彼女の恋人になる来栖だった。

 その来栖が、東高に勤めている時、なかなかしっかり者の音楽教師が西部から転勤してきて、女生徒に人気だったとか、仕事も良く出来るいい奴だったなどと、ことあるごとに凛香に話していたのだ。

 音楽教師と同等に自分も生徒から人気を博していたのを自慢をしたかっただけだというのは、凛香も薄々気付いていたが、この来栖と言う男、見かけだけはさわやかな体操のお兄さん系を誇るだけあって、彼の言うこともなまじうそではなかったのかもと大目にみていた。

 来栖は学生時代、競泳の全国大会で上位入賞の経験もあって、根っからのスポーツマンタイプだ。

 ところが、彼と付き合い始めたきっかけはあまり自慢できるものではなかった。

 飲みに行った勢いで、いつの間にそうなったというのがその答えだ。

 酔っ払った大男を介抱できるのは、その場に居合わせた女性の中で、たまたま凛香しかいなかったというのもあるが、やっとのこと来栖の住む官舎まで彼を送り届けたところ、突如正気なったこの男に告白され、夜を共にしたというのがことの始まりだった。

 嫌ならばすぐに逃げ出すことも可能だった。だが、すでに来栖のことを好きになり始めていた凛香は、このまま彼を一人にしておけなくて、ついつい誘いにのってしまったのだ。

 手をつないだこともなければ、キスなどもちろんしたこともなく。すべての行程をすっとばしていきなり関係を持ってしまったのも、来栖が初めてだった。

 この逆の話はよく聞くが、まるで送り狼が女である自分のようで、凛香は職場の誰にも付き合っていることを話せないまま今に至る。

 ところが思いのほか二人でいることが心地よく、凛香のありのままを受け入れてくれる来栖に、愛情を感じてもいた。


 そして、来栖が得意げに話して聞かせる見知らぬ音楽教師の特徴が、どうも凛香の知っている昔の知人に重なるのが気になっていた。

 ある日来栖の口から、謎の音楽教師の名が鶴本であると聞いた時、もうその人物が広海以外の誰でもないと凛香は瞬時に悟る。

 まさか自分の恋人が、広海と知り合いなどとは思ってもみなかった凛香は、院に進んでまで就職時期をずらした涙ぐましい努力が、いとも簡単に音を立てて崩れていくのを感じ取っていた。

 どうして西部にいたはずの広海が東部学区にいるのか? それは信じられない事実だったが、来栖にだけは広海と知り合いだということを絶対に知られたくなかった。

 もしそのことが知れたら、恋人の来栖にさえ言っていないあの過去の失態が広海の口からばれてしまうかもしれないからだ。

 凛香の過去最大の汚点であるあのことは、封印したまま来栖と付き合ってきた。

 ピアノを弾くことも、歌うことも……。来栖にはずっと内緒にしてきたのだ。

 幸い、今日までそのことが話題になったことは一度もない。すなわち来栖はまだ凛香と広海のつながりに気付いていないということになる。

 嘘をつくのが苦手な来栖が、知っていながら知らないフリをするなど、とてもじゃないが出来っこない、と凛香は信じて疑わない。

 ということは、広海も凛香が来栖の彼女であることは知らないはずなのに……。

 ところがさっき、広海は凛香の相手の名前を来栖だとはっきり言い当てたのだ。



「おまえ、遅いなー。早く決めろよ。ここのステーキセット、うまいぞ」


 来栖のことを考えていた凛香は、突然ぬっと顔を近付けて一緒に手元のメニューを覗き込む広海に驚き、反射的に壁際に身を引く。

 あの頃は広海のことなど何も意識することなく、こうやっていつも身を寄せ合っていたというのに、これしきのことでいったいどうしたというのだろう。

 肩を抱き合い、額を寄せ合い、まるで少年同士がじゃれ合うような二人だったはずだ。

 凛香はどくどくと暴れ回る心臓になすすべもなく、彼に顔をそむけたまま、こっそりと頬を赤らめた。



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