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そして、始まる  作者: 大平麻由理
本編
12/91

12.運命は動き始める その2

 それにしてもこの職員室の暑さはどうだろう。

 律儀にエアコン設定温度を二十八度に守る教頭のおかげで、座る場所によっては三十度を越えているのだろう。百人近くがひしめき合う職員室は、さながら真夏の温室のようでもある。

 団扇(うちわ)代わりの透明ファイルをパタパタさせながら滴る汗を拭い、会議内容のメモを取る斜め前に座る五十代の男性教諭が気の毒になってくる。

 それに引き換え、隣に座る広海の涼しげな顔。いかにも一生懸命話を聞いているような素振りを見せながら、実際この男の頭の中は、ノリのいい音楽が鳴り響いているに決まっている。

 その証拠に膝に乗せた手は、明らかにピアノを弾くように右へ左へとリズミカルに動き回る。

 いくつになっても落ち着きの無いやつ……。凛香は軽蔑の眼差しをたっぷりと広海に注ぐのを、今日も忘れることはなかった。


 凛香の耳から、学園祭について説明中の近江の声が次第に遠のいていく。眠気は無くなったはずなのに、意識が勝手に過去へと遡っていくのだ。

 広海の指の動きに重ね合わせるように、凛香はあの若かりし頃の自分を再び思い出していた。



 凛香は通学に往復で四時間以上もかかることを理由に、サークルには入らないと決めていた。

 もともと仲間作りにも興味がなかった凛香は、大学では勉強して好きな絵が描ければそれでいいと考えていたのだ。

 高校の美術部では、結局誰一人親しい友人など出来なかったし、心落ち着く場所でもなかった。

 宇治を振ったと噂が流れた後は、生意気な鷺野としてみんなから一線を引かれていたようにも思う。

 もうわずらわしいことはいやだ。大学では必要以上に人と関わるのはやめておこうと決めていた。そう決めたはずだったのに……。

 絶対に誰の甘い誘いにも乗らないと固く決心していたにもかかわらず、凛香はあるサークルに引き込まれてしまい、それがきっかけとなって広海と運命的な出会いをすることになるのだ。


 あれは確か大学に入学して一週間くらいたった頃だったと思う。

 教授に課題の質問をしようとして教官室を探し、慣れない構内をぐるぐる回っている時だった。

 どこからともなくピアノの音が聴こえて来るのだ。

 もともとこの大学には音楽専攻科もあるのだから、ピアノの音が聴こえても何も不思議はない。

 ただここは美術棟で、北のはずれにある音楽棟の音が、ここまではっきりと聴こえることなど、まずはありえない。

 それは凛香が初めて耳にする曲だった。しっとりとした異国情緒に溢れたメロディーに引き寄せられるようにして、いつの間にか旧棟の一階奥にある講義室の前まで来てしまう。

 そこには、軽音楽サークル、ミニコンサートというタイトルのポスターが貼ってあった。

 いいカモが来たとばかりに、どうぞどうぞと上級生らしき人に背中を押され、講義室の中に無理やり閉じ込められる。

 薄明かりの中、凛香は錆付いた椅子に座り、ミニコンサートの客の一人として、そこに招かれてしまったことにようやく気付いた。

 ピアノがやさしく鳴り、女性ボーカルのハスキーな声がピアノの音色にかぶさる。

 どこか懐かしさの漂うその曲は、昔、父親が車の中でよく聴いていたアメリカのフォークバンドの曲に似ているような気がした。


 コンサートが終わり室内を見渡すと、明らかに新入生と思われる見知らぬ顔が、十人くらいそこに並んでいた。

 手にはプログラムが印刷されているチラシを持っている。きっとどこかで配っていたのだろう。

 この時期、新入生の勧誘も兼ねて、こういった集まりをいろいろなサークルが企画していたのは知っていたが、まさか自分がそこに足を踏み入れることになろうとは、凛香とて思ってもみないことだったのだ。

 でも聴いた音楽はすばらしかったし、学園祭でもないのに日常的にこういったことが行われる大学というところに、いい意味でのカルチャーショックのような衝撃を受けたのも事実だった。

 凛香は高揚した気持を抱えたまま二時間かけて家に帰りつくと、真っ先にピアノの蓋を開け、今日聴いたボーカリストを真似て弾き語りを試みてみる。

 ピアノと言えばクラシック音楽しか結びつかなかった凛香に、新しい風が吹き抜けた瞬間だった。

 そして翌日、あの先輩ボーカリストのようになりたい一心で、迷うことなくサークルに入会届けを提出したのだ。


 ところがそのサークル。大いに問題ありの集団だということに、入会した初日に思い知らされることになる。

 昨日演奏していたボーカルの人は他校のバンドのボーカルも兼任していて、すこぶる忙しいらしく、ほとんどこのサークルには顔を出さないなどと言うではないか。

 彼女のボーカルにあこがれてこのサークルに入会した凛香は、南国の楽園から一気にツンドラ地帯に置き去りにされたような感覚を味わった。

 他のサークルメンバーも、新入生歓迎会や合コンのことばかり話していて、楽器を演奏するでもなく、音楽のおの字も語らない。

 全くもって、インチキ音楽サークルだったのだ。

 そうとわかれば凛香の次に取った行動は誰よりも早かった。

 なんとしてでも引き止めようとする先輩を振り切って、たった一日でそこから抜け出すという快挙を成し遂げたのだ。

 せっかく入会してくれた新入生の五人のうち、すでに二人に逃げられたと、後日先輩がぼやいているのを耳にした凛香は、自分と同じようなのがもう一人いるのかと妙に親近感を覚えた。

 それが広海だったというのは、その時の凛香はまだ知るよしもなかった。



ここまでお読みいただきありがとうございます。

以前クライスレリアーナというタイトルで連載していたものを、加筆修正のうえ、再投稿しています。

話の流れに大きな変化はありませんが、新しいエピソードを盛り込んだ内容になっています。

最後までお付き合いいただけると嬉しく思います。




尚、一部加筆修正中ですので、タイトルナンバーが正確に表示されていない箇所があります。

順次訂正してまいりますので、少しお時間をいただけますよう、お願い申し上げます。2013年11月



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