episode1『巫女の資格』
私にとって、博麗の名前は特別な意味がある
私という存在は、この名前と共に成り立っていると言っても過言じゃない
でも
じゃあもし、それが永遠に失われてしまったら?
答えは簡単
私は消えてなくなる
「…………で? 呼出しときながら随分と遅いご到着じゃないか。閻魔様?」
外の世界から幻想郷を訪れた品々が行き着く場所、無縁塚。
桔梗は四季映姫に呼び出されてこの場所を訪れていた。
待ち合わせの時間は多少過ぎてしまったが、それでも映姫よりは早く到着出来たようだ。
そこへちょうど閻魔も姿を現した。
四季映姫・ヤマザナドゥ、ここ幻想郷の法であり、罪を断罪する裁判長だ。
「遅くなって申し訳ありません。映姫様は今お忙しいとのことなので私が代わりに映姫様からの伝言をお伝えします」
「は?」
映姫の姿をした人物は一礼して姿を変える。
見たところ敵意は持ってないみたいだし、映姫の遣いで間違いはないようだ。
「申し遅れました。私、映姫様の元で助手のようなものをしております照魔野まほろと申します」
「照魔……ということは雲外鏡か。通りで真似が上手いわけだ」
雲外鏡とは鏡の妖怪、つまり物真似が得意な種族だ。
まほろは軽く咳ばらいしてから映姫に頼まれた言伝を桔梗に伝える。
内容は単純明快。
今すぐに冥界に赴けとのことだ。
「んだよそれ。それって遠回しに俺に死ねって言ってないか?」
「そ、そんなことはないですよ! 今の幻想郷に冥界と顕界の境界は無いに等しい状態なんですから」
「冥界と顕界の境界が無いだ?」
「はい、以前冥界を束ねている亡霊が異変を起こしたことがありまして……」
亡霊の起こした異変、春雪異変は巫女の活躍により解決された。
その異変の影響で冥界と顕界を隔てる結界が緩み、二つの世界を行き来することが可能になったのだ。
しかしだからと言って誰でも行けるというわけではない。
それ相応の実力がない限り、冥界の主の能力で亡き者にされるのがオチだろう。
「で、閻魔は冥界で何をしろって?」
「行けばわかるそうです。詳しいことは私にはちょっとわかりかねます」
「はぁ……わかった。行き方とか誰かに聞いとかないとな」
「では、確かに伝えましたからね」
「ああ。閻魔によろしく伝えといてくれ」
まほろは桔梗に一礼するとそそくさと彼岸の方へ歩いて行った。
桔梗はその背中を見送りつつ、別のことを考える。
(冥界に行け、行けばわかる……誰か俺の知ってるやつでもいるんだろうか。まあそんなやつばっかりだろうな)
一瞬霊緋が浮かんだが、そこでいったん考えを止めた。
とにかく冥界に行く手段を考えるのが先だ。
一応神だったり妖怪だったりするくせに桔梗は空を飛ぶことが出来ない。
もし飛ぶ必要があったら誰かに連れていってもらう必要があるのだ。
(とりあえず紫あたりに聞いてみるか。スキマで送迎してもらえれば楽だし)
「着いたわ。ここが冥界の入口の幽明結界よ」
「話には聞いたことがあったが本当にでかいな。ザルになったとは思えないんだが」
霊夢は桔梗の手を離すと結界の前に降ろす。
あのあと紫に会いに行った桔梗だったが、紫は所用があるらしく案内人には霊夢が紫たっての指名で選ばれた。
最初は文句しか言わなかった霊夢だがなんだかんだで連れて来てくれているあたり暇を持て余していたのだろう。
「で? この先に向かえばいいということか。単純明快だな、あの閻魔も言ってくれるよ」
桔梗はジャンバーのポケットからスペルカードを取り出して発動する。
神としての能力がまともに使えていない桔梗にとって虎鉄を呼び出すにはスペルカードの補助が必要なのだ。
発動するとカードから出た光は右手に集中して剣の形に固まっていく。
出来上がったのは普段の虎鉄よりも小さく短い片手で扱える程度の剣だった。
「その剣、そんなに小さかったっけ?」
「いや、今は力を抑えてる。前の時は大丈夫だったが不安なんだ。また暴走されるとやっかいだからな」
「あんたも色々大変なのね」
「早くこの力を自分のものにしないと……暗夜天が迫ってるってのに」
桔梗は小さくなった虎鉄を新しく作り直したベルトのラッチに引っ掛ける。
こうして見ると少し短いが日本刀を刺しているようにも見えなくない。
「さて行こうか。時間が惜しい」
桔梗が幽明結界の大きな扉に手を伸ばしてぐっと力を込めて押し開くと、門はあっさりと開いて二人を中へと誘った。
「マジで開いたよこれ」
「そりゃ開くわよ」
幽明結界の中は若干ひんやりとした空気が漂い、いかにも『あの世』といったような雰囲気を出している。
白玉楼までは長い階段を上る必要があるのだが、当然飛べない桔梗は歩いて上るはめになった。
(これを上るのか。ま、いい運動になりそうだな)
この階段は本来歩いて上ることを想定していないのか、勾配がきつくさらに長い。
だが桔梗は歩きながらまったく別のことを考えていた。
自分を呼び出した理由、閻魔が何の理由もなく遣いをよこすとは思えない。
ここに来てわかったことは二つ、一つはもう二度と来たくないこと、もう一つは……
(なんつー霊力だ。それも二人か?)
桔梗は階段の中腹あたりに差し掛かってから白玉楼から溢れ出る霊力を感じ取っていた。
まだ遠いせいか微弱だが明らかに桁外れだ。
頂上の白玉楼に近づくにつれてどんどん強く、はっきりとした形を持っていく。
開きっぱなしの白玉楼の門までたどり着くと、その元凶がはっきりした。
着物を着た二人の女。
一人は雰囲気からしてここの管理人で間違いないだろう。
しかしもう一人は……
「あんたが呼んだのね幽々子、茶番に付き合ってる余裕はこっちにはないんだけど」
「待てよ霊夢。呼んだのは多分隣のやつだ」
幽々子の隣に立つ女は手に握っていた刀を抜くと切っ先を桔梗に向けてくる。
「やっぱりこうなるか、予想していた通りだ。霊夢下がってろ」
桔梗も虎鉄を抜いて構えた。
最初はどうかと思ったが、相手が刀を使うなら短い分振り回すのが容易な虎鉄は有利だ。
後は相手の腕次第。
「どこのどいつかは知らないが俺に刀を向けるとはいい度胸じゃないか」
「…………」
女は無言で刀を振り上げると、姿勢を低くして目にも留まらぬ速さで桔梗に迫る。
桔梗は驚きつつも剣先向きを読んでそれに合わせた。
驚くのも無理はない、その技は桔梗がよく使う技だからだ。
我流の剣技しか使わない桔梗にとって、自分とまったく同じ技を使う相手がいること自体異常である。
「てめぇ、どこでその技を!」
鍔ぜり合いに持ち込んで顔を覗き込む桔梗。
だが相手の顔に見覚えはなかった。
鋭い冷めた目付きの中にわずかに興奮が見てとれる。
その隙に女は刀をわずかにずらして力を抜き、桔梗の腹を蹴って離れた。
「ぐふっ……なかなかやるじゃねぇか、おもしれぇ」
女のひょろっとした身体から繰り出されたとは思えない蹴りは桔梗の闘志に火をつける。
遠慮する必要はない。
地面を力いっぱい蹴って突っ込む。
女は避けるそぶりを見せたが桔梗の方が速かった。
避けられないと悟った女は打ち合わせると同時に刀を捨て、桔梗の次の動きに備える。
「俺の勝ちだ」
その一瞬で女の動きを見切った桔梗は同時に虎鉄を捨てると空いていた左手を握りしめて打ち出した。
女も呼応するように拳を突き出す。
クロスカウンター。
しかし当たったのは桔梗の拳だけで、女の拳は頬を掠めた。
「…………やっぱり貴方には勝てませんか」
桔梗からそっと離れる女。
桔梗の一撃は女に当たる寸前で止められていた。
「誰だお前、俺が知る限りお前みたいな戦い方をするやつに覚えがないんだが」
「そう……ですよね。私のことなどとっくに忘れてますよね」
捨てた刀を拾い上げて鞘に収める女。
「どう、満足した?」
幽々子は女の肩をぽんぽんと叩く。
「やっぱり勝てる相手じゃなかった。あの人は強い」
「そうかしら零稀、貴女もなかなかよ?」
「零稀……霊稀だと?」
幽々子の台詞から聞き覚えのあるフレーズが飛び出して驚く桔梗。
忘れるはずはない。
博麗霊稀、初代巫女の霊緋に次代の巫女として認められた少女だ。
その遺体は霊緋の遺体と共に博麗神社の裏手にある墓に収められているはずなのだが……。
「ようやく気付いてくれましたか桔梗さん。なら、ここまで生きてきた甲斐があったと言うものです」
(まさか……墓まであるのに死んでないのか?)
不思議がる桔梗をただ嬉しそうに見つめる霊稀。
おかしい点はまだある。
霊稀は確かに人間だった、それは桔梗もよく覚えている。
だが目の前の霊稀は耳が尖っている、これは人間でないことの何よりの証だ。
困惑する桔梗だが、隣でずっと黙っていた霊夢は何かに気付いたようだった。
「顕界では死んだことになっているようですからね。驚くのも無理はありません」
「で、本人は呪いで妖怪になってると?」
ようやく口を開いた霊夢の一言にはっと気付く桔梗。
確かに見た目は幼少のころからかなり変わっているが、雰囲気や動きの癖は暗夜天異変より前からずっと見てきた霊稀そのものである。
「やっぱり霊稀……なのか?」
「まあ理由は本人の口から聞けるでしょ。幽々子、中に入れなさいよ」
「はいはい。妖夢、お茶の準備をお願いね」
その昔、暗夜天により崩壊寸前まで追い込まれた幻想郷だったが、黄龍と紫の尽力によってなんとか立ち直った。
しかし博麗の巫女はまだ未熟だったため、たびたび外からの侵入を許していたのだ。
元より霊稀は結界の扱いが下手だったせいもあるが、それは霊稀が一人前の巫女になってからもしばらく続いた。
そんな折、ある妖怪が幻想郷に迷い込む。
力が強く、欲も深い妖怪は手始めに人間を全て食い殺し、やがては幻想郷の支配を企んだ。
だがそうは問屋が卸さないのは誰もが知っての通り。
霊稀は博麗の巫女としてその妖怪の退治に向かったのだった。
「って聞いてると何事もなく終わったっぽく聞こえるよな」
「桔梗、話の途中でしょ」
白玉楼の客間に通された霊夢と桔梗は霊稀の昔話に聴き入っていた。
暗夜天異変と同じで、霊稀の行方不明になった経緯はどの歴史書にも載っていない。
その理由はだんだんとわかってきた。
霊稀の能力は『霊力を干渉させる程度の能力』、探知能力は桁外れだ。
恐らく誰かが気付くよりも早く動いて異変を根底から消しにかかったのだろう。
「で、戦いの末にそいつに妖怪化の呪いをかけられた、と?」
「いえ、そっちは簡単に片付きました。問題はその後です」
霊稀の話が続く。
妖怪の元にたどり着き、斬り伏せた霊稀はもう一度辺りを注意深く観察した。
邪念の反応はもうどこにもなく、安堵した霊稀もゆっくりと刀を収める。
が、その時だった。
何の音も気配もなく霊稀の背後を取る影。
反応が遅れた霊稀はしゃがみつつ、居合で相手の足を切り払う。
最高のタイミング。
しかしその一撃は完全に躱された。
(っ!)
「さすが幻想郷随一の剣豪、早い反応だ。だが所詮私の前には無力か」
「貴様、何者だ!」
見た目の年齢は霊稀と同じぐらいだろうか。
長めの栗色の髪に、吸い込まれるような漆黒の瞳。
一応幻想郷住人の顔は全員把握している霊稀でも目の前の女性は見たことがなかった。
手に持っている装飾の施された大きな鏡は霊稀の警戒心に満ちた表情を映し出す。
「見られてしまった以上貴女は邪魔になる。早々に消す必要がありそうね」
鏡を掲げる女性。
何か感じ取った霊稀は刀をいったん戻してまた居合の構えを取る。
何か呪文のようなものを唱え始める女性の周囲を、見たことのない文字が浮かんで包み込む。
(な……なんだ?)
辺り一面に光があふれる。
女性に向かって走り出す霊稀だったが既に時は遅く、霊稀の意識はそこで途切れた。
「あの時のことはここまでしか覚えていない。でも目が醒めた瞬間、自分の身に起きていることはすぐに理解出来た。」
先代の霊緋と違い、ポニーテールにしているためその違和感にはすぐに気付いたのだろう。
耳が長く尖っているのだ、違和感がないというのは鈍感もいいところだ。
「じゃあ犯人はそん時の女か」
「かもしれない、としか言えません。呪術の類であることはすぐにわかりましたが、そうである以上、自力で解く方法はありません」
「…………。あー、つまりだ。そいつを捕まえてきて術を解かせない限りお前は妖怪のままってことか?」
「はい、ですが今回ばかりはこの呪いに感謝ですね」
「は?」
「こうしてまた会えたのも、妖怪になって寿命が伸びたおかげですから」
満足そうな顔をする霊稀。
無理もない、霊緋と桔梗は捨て子の霊稀にとって唯一家族と思える存在だったのだから。
「そういや紫は知ってるのか? 俺は閻魔に言われるまで知らなかったけど」
「紫は絶対気付きませんよ。ここにいるのは私であって私じゃない。私の能力は覚えてますよね?」
(二代目博麗の巫女の博麗霊稀、今のところただ一人博麗の人間以外で巫女を勤め、大技を伝授された人)
一方、二人が話している間ずっと霊夢は霊稀を値踏みするように見つめていた。
一応霊夢も歴史書で見ただけではあるが霊稀の存在は知っている。
人間とも妖怪とも違う霊力の波長を持つ通称『孤独な黒衣の巫女』。
彼女が使っていたとされてる陰陽刀八式は未だに博麗神社の納屋の中に収められている。
「ところで一つ質問良いかしら」
霊夢は少しためらった後霊稀に声をかける。
どうしても聞きたいことが一つあったのだ。
「私は一回、そこで饅頭を貪っている幽々子を退治するために冥界に来たことがあるわ」
「春雪異変、幽々子が西行妖をもう一度咲かせようとした異変ね」
「その時あんたの姿は見なかったけど……」
霊夢の一言で話題に上がった幽々子は食べかけていた饅頭を口の中に押し込んでお茶を飲み干す。
「会うことは多分なかったと思うわ霊夢。彼女が来たのは確かにあの異変よりずっと前だけど、彼女はその時顕界にいたんだから」
「え?」
「この娘、そんななりをしてるけどかなりの天然でね? 春告げ精を捕まえに行くって一人大見得切って出ていってね……」
「わー! わー! それは言わない約束!」
あわてて幽々子を止めようとする霊稀。
だがそんなことでは幽々子の口は止まらなかった。
「異変が終わった三日後ぐらいになってやっと帰ってきたのよ。で、帰ってくるなり真顔で『ごめん、見つからなかった』だって!」
話ながら笑いを堪えていた幽々子だったが、ついに堪えきれず笑い出す。
それに釣られて霊夢や桔梗も笑い出してしまった。
「ちょっ、笑うなぁ!」
「いや、だって笑うなって方が無理な話だぜ! アハハハハハ」
「本当、ここまで抜けた巫女なんて聞いたことないわよ」
顔を真っ赤にして俯く霊稀。
ちなみに肝心の春告げ精は霊夢が冥界までの道中で遭遇、退治されている。
そのことも含めた話題のおかげで三人は時間が経つのも忘れて話続けた。
春雪異変の裏側、暗夜天異変のこと、そして霊稀自身のこと。
そして話し込んでいるうちに辺りは暗くなり、幽々子の提案で今日のところはいったん二人は帰ることになった。
霊稀はそこまで見送ると幽明結界の門まで二人と一緒に長い階段を降りていく。
「あなたは顕界に戻りたいとは思わないの? それだけ強いならまだ現役の巫女でもおかしくないと思うんだけど」
階段の中腹に差し掛かったあたりで霊夢はいきなり後ろを振り返って霊稀に質問を投げ掛けた。
しかしその質問に霊稀は答えない。
黙り込んだまま前を見つめている。
「……何かまずいこと聞いた?」
「いや、すまない。確かに顕界に戻りたいと考えたことは何度もある。でもな……」
立ち止まる霊稀。
それに気付いた二人も歩みを止めて後ろを振り向いた。
「妖怪の巫女など誰が受け入れる? それに、私から巫女として受けた名前をとれば捨て子の私には何も残らない。顕界には既に当てはない」
寂しそうに俯く霊稀。
その様子を見た二人はその後何も言わず、ただ階段を降りていった。
やがて幽明結界の大きな扉が見えて来る。
気まずい雰囲気だったが、二人が門の下までたどり着いた時、霊稀は桔梗に話しかけた。
「桔梗さん、わざわざ呼び出したりなんかしてすいませんでした。あなたに追いつけるように今後も精進します」
「うんにゃ、もう俺の後ろ姿ばっか追いかける必要はねぇよ。お前はもう立派な剣士だ」
「ありがとう……ございます。それから霊夢」
「なに?」
「私は途中で投げたけど、あなたは最後の最後まで幻想郷を守り抜いて。それが巫女である資格よ」
巫女の資格。
先代が殉職し、自身が投げ出してしまっただけあり、その言葉は重たい。
「当然よ、でも先輩からのアドバイスとしてもう一度肝に銘じておくわ」
霊夢は桔梗の腕を掴むと空へと浮かび上がる。
手を振って見送る霊稀は遠ざかる二人を静かに見つめていた。
「…………。」
「顕界に未練が出たかしら?」
突然背後に立って霊稀の肩に手を置く幽々子。
「…………一つだけ、さっき思い出したけど小さい頃から一緒だったやつにお別れを言えなかったってことぐらいかな」
「じゃあそれを叶えてみてはいかが?」
「え?」
振り向く霊稀。
後ろでは妖夢が紅白の装束と黒のロングコートを手に持っていた。
肩が大きく切り開かれた巫女装束、霊稀がまだ博麗の巫女だった頃に着ていたものだ。
「それは……」
「幽々子様に言われて里の仕立て屋に作らせました」
「戻るといいわ。幻想郷にはあなたが必要になる」
「幽々子……ありがとう!」