2夜目
お題:高貴なサラリーマン 制限時間:15分
「すいません。
俺さっき珈琲と間違ってカフェオレ買っちゃったんですけど、良かったら飲みませんか?」
差し出された缶と差し出した相手の顔を思わず交互に見てしまう。
ジャージ姿で背の高い、大人の男性だ。
「捨てるのも何なんで」
「……どうも」
いぶかしく思いつつも、受け取らずに気を損ねさせる方が怖かったので、おずおずと缶を受け取る。温かい。
「じゃ、それだけですから」
彼はそう言い残してあっという間に走り去ってしまった。おそらくランニングをしていたのだろう。
見知らぬ人からいきなり飲み物を渡されて、ちょっと気持ちが悪かった。しかも、これから思いっきり泣こうとしていた矢先に、気をそがれたのだ。
ああ、もしかしたら涙を見られてしまったのかもしれない。
(……余計なお世話ってやつだよなあ)
カフェオレの缶を調べてみたが、特に穴が開いていたりイタズラされているわけでもなさそうだった。
流石に飲む気は起きなかったので、わたしはカイロ代わりに両手で包みながら立ち上がった。
ランニングが一周終わった彼にまた見つかるのも面倒臭い。今夜は残り時間を道場で過ごそう。
弟が空手の練習を週2回に増やしたいと言ってきた。
「おれ、もっと強くなってねえちゃんを守る!」
そんな事を言いだしたのは母を亡くしてからだ。
父に相談すると、
「好きなようにさせてやろう。隆は何かに打ち込みたいんだろう」
と、思い当たるふしがある顔で言われた。
「留美はもうすぐ受験だから、俺が週1でも仕事を切り上げようか?」
「ううん、大丈夫。難しい高校じゃないし、待っている間も道場で勉強してるし」
いつもは公園で待ち時間を潰していたり、先日変な男の人に声をかけられたなんてことは言わない。ただでさえ父は憔悴しきっている。
父は母を亡くしてから、今まで以上に仕事に打ち込むようになった。入院費や手術代、葬儀にかかったお金は一介のサラリーマンにとってはかなりの負担額だ。寂しさを仕事で埋め合わせている部分もあるのだろうが、それでも愚痴の一つも言わず連日遅くまで残業をしている父をわたしは尊敬している。
「すまんなあ、お前はしっかりし過ぎているから、ついつい頼りっぱなしだな」
「パパこそー。いつも遅くまでお疲れさん」
そういったやり取りの後、わたしは再び公園に訪れる事になった。
「ねえちゃん、おれがとっくんしてるのを見ちゃだめだからな!」
と弟に言われたからだ。
カフェのお金を三回我慢すれば、参考書と同じ値段だ。そう考えたらとても無駄なお金は使えない。
仕方なく、いつものベンチに座る。課題を終わらせた後、図書館の本を読んでいると再び声がかかった。
また、あの男だった。