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2歩目

お題:純白の伝承  制限時間:2時間

 今夜の公園のベンチに、先生は来ていなかった。


 いつもの場所に座り、大池の水面を眺めながら、


(もう、終わりなのかな……)


 と寂しく思う。



 先生と出会ったのはこの場所だった。

 お互いの事なんて知らないまま、持ってきてくれた紅茶を静かに飲んでいた。

 週に二度、夜の公園の小さなお茶会。 

 

 先生と生徒という関係だから好きになったんじゃないのに。

 一緒に過ごすこの時間が好きで、惹かれたのに。



 どうして先生は先生だったんだろう。

 たとえば、同じクラスメイトだったり、逆にわたしが荻野先生みたいに同期の教師だったりしたら、こうして非難されるような関係にはならなかった。

 それどころか、暖かく見守ってもらえた筈だ。



 父には、学校には絶対に言わないでとお願いしている。


『先生の事を学校や教育委員会に言ったら、一生許さないんだから!

 お弁当だって絶対作ってあげないから!』


 先生が帰った後にそう怒鳴ったら、父は動揺しておろおろしていた。

 今まで反抗的な態度を取ったことがなかったから、傷付けてしまったかもしれない。

 少しだけ心が痛むが、あの時の殴られたりお茶をかけられた先生を思い出せば、許す事なんてできない。




「――よう」

 

 隣に座った今夜の先生は、何故かスーツ姿だった。

 近くのカフェで買ってきたらしい、蓋付きの紙カップに入ったコーヒーを渡される。温かなそれを、二人並んで黙って飲んだ。飲み終わるまで、互いに一言も話さなかった。



「……俺達は付き合うべきじゃなかったな」


 ぽつりと呟いた先生の言葉に、心が凍る。キィン……という耳鳴り音が頭に響き、世界が一枚の薄い膜で覆われたように感じた。


「教師と生徒の恋愛なんて、世間じゃ認めてもらえないのは当たり前だ」


 やめて。


「だからさ、俺達」


 聞きたくない。


「別れよう」

「いやっ!」


 わたしは先生の胸にしがみついた。


「どうしてそんな事言うの!? だって、まだ付き合いだしたばかりだよ!? お弁当に煮物入れてないし、デートもまだ水族館しか行ってないし、名前だってまだちょっとしか呼べてないし、それから……っ……ふ……ううっ、やだぁ、絶対別れない……っ」


 先生みたいに大人になれない。割り切れない。

 わたしは広い胸に抱きついたまま、わんわん泣いた。身体を離されたら終わりだと思ったから、すがるようにしてしがみついていた。

 やがて。


「――ごめんなあ」


 そっと、肩を引き離された。



 ああ、嫌がられた。

 子供みたいにすがりつく真似をしたから、先生に呆れられた。


 やっぱり、我慢しなきゃ駄目だった。



『七村ってホントしっかりしてるよね』


『留美のおかけで父さん安心だよ』



「……っ」


 ごしごしと目を擦り、乱れた呼吸を必死で整える。



 嫌われる終わり方だけは絶対に嫌だ。

 もう、これ以上ワガママを言っちゃ駄目だ。


 先生には、仕事がある。立場がある。



「せ……せ……、いま……で、ありが……」


 嗚咽を堪えながら言いかけたお礼は、目の前に差し出された小箱で、ぴたりと止まった。


「――話を勝手に終わらせるな」


 先生は咳払いをして箱を開けた。


「勿論、今すぐは無理だ。

 人前でおおっぴらに付き合えない関係だから、いったんは別れよう。

 ――2年半も待てるか?」


 目に映る、ビロードの台座にはまった銀色の指輪。


「……え、……あ、あの」


 まさかの展開に思考がついていけない。


「あー、つまりだ、七村留美さん」

「は、はい……」


「二年半後に、俺と結婚してください」


「……」



 わたし達、付き合いだしたばかりだったんだよ?

 お互いの事、まだよく知らないんだよ?



「……そんなに……待てるの?」


 わたしの問いかけに、


「待つ」


 先生はきっぱりと言った。


「留美が嫁さんならどんなに幸せだろうって、弁当の卵焼き食いながら思った。

 人一倍努力家で、面倒見が良くてしっかりしていて、そのくせ甘える時はすげえ可愛くてさ。こんな子が待っていてくれるなら、二年半なんてあっという間だよ」


 くすぐったい言葉に思わず顔が綻ぶ。


 先生は指輪を取り出すと、わたしの右手を取った。


「本当は青春時代を束縛するなんて良くない事かもしれないな。

 だから、他に好きなヤツができたらそっちに行っていいぞ。俺は止めない」


 薬指に通してもらいながら、「行くわけない!」と即答する。


「先生みたいな人、他にいないもん!」

「いや、数年経てばもっと良い男なんて他にいくらでもいるって気付……うん、まあいいや。自分から不利にしないでおく」


 右手に収まった指輪を見て、


「似合っている」


 と先生は呟いた。


「綺麗……」


 台座に小さく埋まっているのは、もしかしてダイヤモンドだろうか。

 生まれて初めてつけた指輪が、まさか婚約指輪だなんて。





『おかあさん、きれーねぇ』


 幼い頃、フォトアルバムを開くと現れる花嫁衣裳の母の姿は、当時のわたしの憧れだった。


『おひめさまみたい』


 お色直しで着たピンクや水色のドレスも素敵だったけど、わたしが一番気に入っていたのは、美しい透かしの入ったヴェールを被った、純白のドレスだった。


『留美ちゃんも、いつか好きな人ができたらウェディングドレスを着られるわよ。

 でも、お父さんはきっと泣いてしまうでしょうね』


 隣で洗濯物を畳みながら母が笑う。


『るみ、おとうさんとけっこんするよ!?』

『まあ、そうなの。お父さん帰ってきたら教えてあげなくちゃね』


 そうだ、留美ちゃん。


 畳んだ洗濯物を持つと立ち上がり、ちょっと待っていてね、と母は二階に上がっていった。

 しばらくして戻ってきた母の手にあったのは、四角い箱。そっと開けると、写真で見たのと同じ花嫁用のヴェールが入っていた。


『うわあ!』

『ふふ。本当は留美ちゃんが結婚する時までの秘密にしようかと思っていたんだけど。着けてみる?』


 鏡に映った自分は、美しいヴェールに包まれて本当にお姫様に見えた。


『留美ちゃんが結婚式で付けてくれたら、お母さん、とっても嬉しいわ』


 母は、写真と同じ笑顔だった。





「先生」

「ん?」


「わたし、先生のお嫁さんになりたい」


 途端に、わっと身体を持ち上げられた。


「っしゃあああ――ッ!」

「ひゃあっ」


 わたしを両手で高く掲げたまま、先生は「わはははは!」と笑いながらぐるぐると回った。

 

「先生、先生やめてっ、周りの人が見てるから!」

 

 ややあって、わたしを胸まで下ろすと、先生はぎゅうっと、力一杯抱きしめてくれた。


「あーっ、すっげえ緊張した! プロポーズ受けてくれなかったどうしようって思って、震えてたわ俺」

「どれだけ浮かれてるんですか、もう」


 そうツッコミながらも、内心可愛くてたまらなく思ったわたしは、やはりこの人にベタ惚れなのだろう。



「さて。じゃ、このまま弟さんを迎えにいって、お父さんに話をしに行かなきゃな」


 先生が手を出してきたので、わたしは右手で握り返す。

 

 そうして二人で指輪を包んで、公園の道を歩いていった。



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