1歩目
お題:あいつと超能力 制限時間:2時間
「――何かありましたか? 吉備」
藤岡はろくろから完成した器をそっと取り上げてから、俺を見た。
「例の件に関してなら、上村さんも一緒に」
「いや、今日はただの気分転換だ」
俺は藤岡の隣に座ると、土の塊をすくって台座に乗せた。
友人の藤岡隆二の窯元で俺はろくろを回している。少しでも指先がずれればあっという間に形が歪む繊細な作業。藤岡に向いた仕事だ。
藤岡の窯元では希望者にろくろ体験をさせている。ごくたまにだが、こうして俺もろくろを回させてもらっている。最初に回したのは、こいつと出会った高校時代だ。遊びに来た俺に、親父さんが体験させてくれたのが始まりだった。
俺はどちらかといえばずさんな性格だが、それでも初回にしては上手い方だと褒められ、調子に乗った。以来、年に1、2度はこうして一人訪れては藤岡の横で集中する。無心になり、終わった頃にはすっきりできる、いい気分転換だ。
「――何かあったのですね」
土の器を並べ、新たな塊を手にしながら藤岡が呟いた。
「吉備、昨夜寝ていないでしょう。クマができていますよ」
「お前には負けるよ」
藤岡の睡眠時間はかなり短い。その上、こいつにはとある能力があり、その影響で身体はともかく精神の疲れが取れない為、常時濃いクマが浮かんでいる。それさえ無ければいい男なのだが。
「私のクマは既にトレードマークなので、いいんです。
あなたが酷い顔をしていたのは、卒論直前か教員採用試験前くらいのものでしょう?
まあ、今現在差し迫った仕事上の問題が無いのであれば、人間関係、それも女性絡みじゃないですか。
確か……七村さん、でしたね。彼女と何かありました?」
ぐにゃり。
せっかく形を整えていた湯呑みがべろべろに歪んでしまった。
「……律から聞いたのか?」
「いいえ、行院には最近会っていません。
先日生徒さん達といらした際、互いに気にし合っていたようですから」
頭を垂れたような失敗作を前に、俺は膝に肘を置き、指を組んで俯いた。
「……親父さんにばれた」
「ああ、成る程」
「付き合いだしたばかりで、冷静になれなかった。
デート帰りの車でキスしていたところを、見られちまった……」
「それは大変だ」
「別れるようにと言われた。学校や教育委員会にも話がいくらしい。
……俺のせいだ」
「そうですね。教え子さんとのお付き合いなんて、世間一般では許されない関係です。卒業するまで待てばよかったものを。軽率でしたね」
返す言葉もなく俺は目を閉じた。
終わってから反省したところで、もうこれまでの関係には戻れない。
恋だけじゃない、仕事も終わりだ。
「それで。どうされるつもりですか」
「どうするも何も……このまま処置を待つしかないだろ」
「受身ですか」
「他に何ができる」
「……つまらない男になりましたね、吉備。昔のあなたならば、そこで親御さんが許してくださるまでお百度参りをする勢いで通い詰めたでしょうに」
俺は顔を上げて藤岡を睨んだ。
「……今の俺は教員だ。お前みたいな自由業と違って、立場だの何だのといろいろ縛りがあるんだよ。
いつまでも熱血バカなままじゃいられねえんだ、あの頃みたいに異世界に飛んで暴――」
言いかけて、口をつぐむ。
この話題は、今の藤岡にするべきではない。
藤岡は作業室から出て行った。
ぽつんと一人になり、俺はぼんやりと作業場の外を見た。樹木がそよぎ、空いた窓からそこそこ涼しい風が吹いてくる。観光地にあるため、広い庭も綺麗に整備されている。
門を潜り、数人の中年女性が離れの店に入っていく。藤岡の作品は繊細でありながらモダンな感性で人気だ。今頃店で妹の奈々枝さんが出迎えていることだろう。
緑のマグカップを留美に選んだ時の事を思い出す。
あの時の俺達は、まだ互いの気持ちを確認できていなかった。だから、深入りせずにいようと思っていた。
けれど上村と一緒にカップを見ている留美の姿を見て、俺はどうしてもプレゼントしたくなったのだ。彼女だけに贈り物をすれば、気持ちが伝わってしまう。
それでも、喜ぶ顔を見たいと思った。
彼女の笑顔が欲しかった。
『……め、なさい先生……ごめんなさい先生……』
涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らし、幾度も俺に謝ってきた留美。
俺は、彼女にそんな顔をさせたくて付き合いだしたのではない。
「手を洗った方がいいですよ」
いつの間にか藤岡が傍に立っていた。冷茶のグラスを載せた盆を作業台に置き、くい、と洗い場を顎で指す。
俺は立ち上がると、乾いた泥を落としに行った。
クーラーも扇風機もない作業場で、俺は気付かぬうちに汗だくになっていた。茶が旨い。一気に飲み干したグラスに、急須を傾け注ぎ足しながら、
「決めました?」
と藤岡が尋ねた。
「本当は後押ししてほしかったんでしょう、私に」
「――そうかもなあ」
「人間、覚悟を決めれば大抵の事は乗り越えられるもんです」
「お前が言うと説得力あるな」
「当たり前です。人より倍の、濃い人生を送っていますから。
それに、実は私もあなたと二人きりで会いたかったんです。
上村さんや妻が、もうすぐあちらの私の元へ辿り着きますから」
「上村に……言っておかなかったのか」
「ええ。いずれ知ることですから」
藤岡は自身の両手をじっと見つめた。
「吉備。逃れられない運命というものはあります。
私が住むもう一つの現実から、私はもう逃げる事ができない。
けれど、抗える運命というものもまたあると思うのです。
私は彼女を手に入れるため、間接的にしろ国を滅ぼす大罪を犯した。それでも私は諦めず、あがきにあがいて彼女を手に入れた。
あなたはまだ抗っていないじゃないですか。
見苦しくてもいい、欲しいなら動きなさい。身分や立場といったものはどうしようもない差ではありますが、関わりのない者からすれば些細な事です。
あなたは、七村さんが欲しくないのですか?」
俺は藤岡の手を握り、その両の掌に触れた。今も尚、数多くの作品を作り続けているその掌は、ふしくれだってごつごつしている。
「――欲しいよ」
俺は覚悟を決めた。