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お題:穏やかなオチ 制限時間:2時間
水族館での七村は、俺がこれまで見てきた彼女の中で最も女子高校生らしくはしゃいでいた。
水族館はちょうどリニューアルの工事を終えたばかりということもあり、館内は薄暗くも清潔感があり快適だ。
七村はガラス通路の下で首を伸ばすようにして見とれ、ふれあいコーナーではヒトデを触って固いと驚き、深海魚やクラゲの前ではその生態についての記述を熱心に読んでいた。大水槽の前では海亀が横切る度に写真を取ろうとして苦戦する姿を、俺が海亀ごと撮って彼女に送った。
最初は互いに緊張して握っていた指先も、いつしかとても自然に繋げることができた。
大水槽が見えるレストランで遅い昼食を摂る。
俺は慣れない伊達眼鏡を外してテーブル脇に置いた。地元から離れていることもあり、俺達の事を知る者はいないはずだが、それでも念を入れて軽い変装のつもりだ。かなり太めのフレームを選んだため、パッと見、俺本人よりも眼鏡の印象が残るはずだ。
七村は館内ではいつもの赤い眼鏡をかけていた。ストライプブルーのワンピースがよく似合う。
「先生、意外と眼鏡似合いますよね」
七村がクスッと笑い、自分の眼鏡を外すと俺の眼鏡をかけた。
「あ、やっぱり度が入っていないから見えなーい」
「七村はコンタクトをしないのか?」
「はい。ちょっと、まだ怖くて」
「それじゃあ、公園で眼鏡かけずに本を読んでいたのは――」
「あれは……読むフリ。見えない方が何かと都合良いし」
「都合?」
「……見えすぎると……緊張しちゃうでしょ」
何だ。この萌えるカミングアウト。
付き合いだしてからの七村はとにかくデレる。
俺に話しかける時、甘えるような口調かと思えば敬語交じりに戻ったりして迷っている感じなのも、正直かなりくる。
あまりにも可愛い過ぎて、時々「うぉおお!」と叫びながら無茶苦茶に抱きしめたくなる衝動に襲われる。勿論、実際にはしないが。
食事を終えイルカショーを見た後、最後に土産物等が並ぶ館内のショップに立ち寄った。彼女に似合うアクセサリーはどれがいいだろうかと眺めていると、七村がイルカのぬいぐるみを手にしている姿が見えた。
「――ふわっふわ」
近付くと、赤ん坊のように抱っこして背中を撫でながら、七村は俺に顔を向けて緩みきった笑顔を見せた。
「ぬいぐるみが好きなのか?(うぉおお!)」
俺の言葉に首を振り、七村はイルカに目を落とす。
「ぬいぐるみはそこまで好きなわけじゃないんだけど、家族揃ってイルカショーを見たのがとても楽しかったの。
だからかなあ、イルカって海の生物の中で一番好き」
七村の家族構成は家庭調査票で把握している。父子家庭ということで彼女が母親代わりに家事をしているようだ。先日作ってもらった弁当も普段料理を作り慣れた味で感心した。慌ただしく家事をこなし弟の習い事を見送り、それでも高成績をキープし続けていられるのは、それだけこの子が努力家だという証拠だ。
「じゃあ、どれでも好きなの選んで」
「え?」
「土産。どれがいい?」
「ええっ、あのっ、大丈夫だから」
慌てたように首を振る彼女の腕に、俺はいくつか柄違いのイルカを取って次々に持たせていった。
「よし、じゃあ、これを全部買っていくか」
半ば本気で言った台詞に彼女は慌てて首を横に振り、結局、俺は最初に彼女が持っていたイルカを買った。
「……ありがとう。大事にするね」
「他に欲しいものは無かったか?」
「ううん、充分過ぎるくらい」
本当に嬉しかったらしく、水族館を出て車に乗り込んだ七村は、さっそく袋からぬいぐるみを出して腕の中に抱っこしていた。
あー、くそ。可愛い過ぎんだろ。
女の『可愛く思われたいのがだだ漏れの演技』は萎える。本人はバレてないつもりが見え見えなのがまた萎えポイントに拍車をかける。
だが七村の喜びは本心からだと分かる。
何でも買ってやりたい。
いろんな所に連れていってやりたい。
「――留美」
呼んでみると、ぴくん、とほっそりした肩が動いた。
「あのさ、俺も名前で呼んでもらってもいい?
メールじゃお互い名前で呼び合ってるけどさ、まだリアルでは一度も呼んでもらってないだろ?」
「あ、はい……」
どぎまぎした様子で留美はぬいぐるみを抱き直した。
ややあって、
「……幸助、さん」
吐息のように小さな声が漏れた。
ビ――――!
俺は想いっきりハンドルに頭をぶつけ、クラクションを響かせてしまった。
「だ、大丈夫っ!?」
「いや……すまん、もっかい呼んでみてくれ。よく聞こえなかった」
「……幸助、さん」
ビ――――!
辺りに人気が無くて良かった。
日が沈み空が薄暗くなりだした頃、朝の待ち合わせに使ったファーストフードの駐車場に俺は車を停めた。
なるべく人目につかないよう、一番隅の暗い場所を選ぶ。
「自宅まで送ってやれなくてごめんな」
「ううん、ありがとう」
頷いたものの、留美はなかなか車から降りようとはしなかった。
まだ別れたくないという気持ちがその表情から伝わってくる。
「――また何処か遊びに行こうな」
そう言って、ぽんぽんと頭を撫でて慰める。
「……幸助さん」
言いかけて、留美は口ごもった。
「どうした?」
問いかけには返事をせず、彼女は顔を近付けると黙って俺を見上げた。
いかん、暗がりでうるうるされるのは俺の理性が危険だ。
「遅くなると親御さんに心配されるぞ」
降りるよう柔らかく促すと、留美の顔がじわっと歪んだ。
「わたしって……やっぱり子供っぽい?」
「はっ?」
「だって、ぬいぐるみを選んじゃったし、水族館ではしゃいじゃって。頭を撫でてくれるのも初めは嬉しかったけど、それって子供っぽいから? って……あ……ちがうの、ホントはそんな事が言いたいんじゃなくて……あの……。
……キス、してほしかったの……」
思い切ったように言った後で、留美は俺から目を逸らした。
「初めてした時、わたし、凄く下手だったけど……でも、あの、頑張るから」
「ストーップ!」
俺は慌てて留美の口元を押さえた。
「それ以上言うな」
留美の眉間にぎゅうっと哀しげな皺が寄る。
「すまんっ! そういう意味じゃなくて!
あー。その、お願いだからあんまり可愛い事言うなよ……」
ゆるゆると眉が元に戻るのを見届けてから、手を離す。
「俺はな、社会的にはお前の担任で指導をする側だ。だから、お前が卒業するまでは誰にも知られないよう気を付けつつ、節度ある交際をしようと決めたんだよ。
初っ端からあんなキスをしてしまった事は本当に申し訳ないと思っている。
でも、これからはキスはしない」
留美の眉間に再び皺が寄そうだったので、慌てて指で伸ばしてやる。
「あのな。俺、知るほどにどんどんお前を好きになっていくんだよ。
だから中途半端な事をして苦しくなるなら、いっそ想いっきり清い関係の方がいいと思ってだな」
「――ほっぺは?」
潤んだ切れ長の瞳が、ひたむきに俺を見てくる。
「ほっぺじゃ……駄目?」
くっそおおおおお! 俺ってば意志薄弱!!
留美の左頬に手をあて、右頬に唇を寄せる。
あの夜と同じ彼女の香りにそれ以上は駄目だ駄目だと言い聞かせつつ、俺はそっと頬に触れるだけのキスをした。
顔を離すと、留美が恥ずかしそうに目を伏せているのが見えた。
三度クラクションを鳴らしたい衝動を堪える。
彼女が卒業するまであと二年半だ。
耐えろ、紳士の俺。
――トントン。
ふいに、運転席側の窓ガラスが叩かれた。
見れば、中年の男性がにこにこ顔で俺を見ている。
一瞬(不審者か?)と思ったが、身なりはまともで態度も非常に落ち着いている。
どうしたのだろうかと窓を開けた途端、
「お父さんっ!」
留美の叫び声と、重い拳が俺の顔に打ち込まれたのは同時だった。
これでも当初の予定より穏やかなオチです