♥♥♥♥4
お題:知らぬ間のにおい 制限時間:1時間
「――ごちそうさまでした」
ぱしん、と手を合わせて先生が満足そうにお腹を撫でた。
「こういう手作り弁当ってすげえ久々に食ったなあ。旨かった」
「良かった。苦手な食べ物ってありますか?
本当はきんぴらや煮物も入れる予定だったけど、まずは訊いてからと思って」
「何でも食う。っつうか、そういうのが食いたいです」
「じゃあ、また今度お弁当作ってきますね」
「うん。ありがとう、留美」
顔を上げると、隣で先生が凄く優しい目でわたしを見ていた。
(あ……)
じわじわと顔が熱くなっていく。
名前を呼ばれるのが、こんなに嬉しいだなんて。
ガサガサとレジ袋を探る音がして、
「ほい」
とカフェラテが渡された。
「あ、これ飲んでみたかったの」
有名カフェとの限定コラボ商品で、興味はあったものの高額なため気になりつつも買えずにいたやつだ。私が貰ったのはモカ、先生はエスプレッソ。
「美味しい。苦味がしっかりしてる」
「うん、うまいなこれ」
「エスプレッソって全然甘くないの?」
「飲む?」
当たり前のように飲みかけのラテを手渡される。
こんな事でも、付き合ってるんだって実感できて楽しい。
「留美は行ってみたい場所ってある?」
ラテを飲みながら先生が尋ねてきた。
「まともなデートってまだしたことないだろ。
俺が車出すから、人目を気にしなくてもいいような所に遊びに行こうか」
デートだって!
車出すって!
わーわー、と内心大騒ぎしながら考える。
先生と一緒なら何処でもいいって思ってるけど、あ、そういえば……。
「水族館」
「うん?」
「あのね、水族館に行ってみたい。
小学生の頃一度だけ行ったことがあって、夢みたいに綺麗で、それからすぐお母さんが入院しちゃったから……」
「よし、分かった。今度の休みは水族館に行こう」
「いいの?」
「おう、迎えに来る」
「ありがとう!」
嬉しくなってカココ、と椅子を引いて先生の傍にくっついた。
「俺、結構汗かいてるぞ」
「うん。先生の匂いがする」
「げっ。そんな普段から臭ってんの?」
先生が焦ってすんすん鼻を鳴らしたので、わたしは笑って首を振った。
「あのね、前……公園で痴漢に遭った事があったでしょ」
「……あったな」
今でも思い出したくない程ゾッとする記憶だ。
でも。
「あの時、先生が被せてくれたジャージから同じ匂いがしたの」
そっと先生の身体に鼻を寄せて匂いを嗅ぐ。石鹸と汗が混じったこの匂いが臭いだなんて全く思わなかった。
むしろ、ずっと嗅いでいたいくらい。
「好きな匂いだなって、思ってた」
暫く間が空いた後、先生がそっとわたしの頭を撫でてくれた。
「頼むから……あんまり可愛い事言わないでくれ」
少し困った声が降ってくる。
「――先生って、よく頭を撫でるよね」
ツキツキとかさ。
ちらっと心の中で付け加える。
「実家に年が離れた妹がいるからなあ。昔っから頭ぐしゃぐしゃにかき回して可愛がってたから、癖付いちまってるのかもな」
すっと離れかけた手を慌てて掴み、
「もっと」
とわたしは先生にねだった。
ねだった後で、自身の甘えっぷりにドン引きする。
先生も少し引いたかも……。
不安になった私の頭にもう一度優しい掌が落ちてくる。
ほっとして目を閉じ、わたしは幸せな心地良さに浸った。
素直に甘えてもいいのが嬉しかった。
ジリリリリン、ジリリリリン
突如机に置いていたスマホから着信音が鳴りだし、慌ててわたしは身体を離した。
着信は父からだった。
教室の隅まで移動して受信マークをタップする。
「もしも――」
『留美ぃいいいいい!』
電話向こうで父は泣いていた。
「ど、どうしたのお父さん?」
『おおお、お前っ、付き合っている男がいるのか!?
今朝はそいつに弁当を作っていたのかっ!?』
そうだった。
ついつい先生との時間が楽しくて忘れかけていたけれど、ハートマークだの『すき』と書いた旗だのを付けた恥ずかしいお弁当を間違って父が持っていっていたのだった。
ええっとええっと……。
わたしはルビに教わった台詞を使った。
「ほ、ほらぁ、わたしの友達にルビって子がいるでしょ?
あの子に、『学校で彼氏にお弁当渡したいけど上手く作れないから』って頼まれてたんだって!
お父さんったら~、もう、慌ててそっちを持っていっちゃうんだもん!」
『えっ、そうだったのか!? じゃあ、留美に付き合っている男がいるわけじゃないんだな!?』
「あ……」
振り返って先生の方をチラリと見る。
もし、父に先生と付き合ってる事がバレてしまったら。
お弁当疑惑だけで泣いていた父の事だ、きっと大騒ぎで反対されるのに違いない。
「い、いるわけないでしょー! 何言ってんの!?」
『!
そうか、そうか、うん。そうだな、すまん、うん、お父さんホッとしたよ』
あまりにも父が嬉しそうだったためチクチクと胸が痛んだが、とりあえず納得してくれた事にわたしはホッとした。